電気連結器とは? わかりやすく解説

連結器

(電気連結器 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/26 23:26 UTC 版)

連結器(れんけつき、Coupler)は、鉄道において鉄道車両同士を結合し、牽引時の引張力および制動時や推進運転時の圧縮力を伝達する装置である。

連結器の機能

連結器に要求される機能は、おおよそ以下の通りである[1][2]

引張力の伝達・連結の確実さ
車両間の引張力を伝達することが、連結器の基本的な機能である。機関車が被牽引車(客車貨車。以下、客貨車と略)を牽引する列車であれば、機関車と次の客貨車との間に最大の引張力がかかる。特に上り勾配加速中にはさらに大きな力がかかるため、これに充分耐えられる強度が要求される。また大事故につながる危険があるため、連結が解けて列車が分離する事故(列車分離)は絶対に避けなければならない。そのため、強度だけではなく、一部の部品が壊れても連結が解けない機能を持たせる信頼性設計が必要となる。
容易な連結・解放
前述の「引張力の伝達・連結の確実さ」と相反する要素であるが、連結器は車両の増解結が容易かつ確実に実施できなければならない。但し、日常的に編成が固定されている車両同士(多くの新幹線車両のような固定編成や、通勤電車MM’ユニットなど)においてはこの限りではない。
圧縮力と衝撃力の吸収
下り勾配、減速中、連結時、列車の中間や最後尾に補助機関車が付く場合などには、推進(圧縮)力を受けるので、これに耐えられる強度が要求される。その他、客車では乗り心地向上、貨車では荷崩れ防止、そして何より安全確保のため、車両の連結や運転中に生ずる衝撃による前後衝動を吸収し、車体が両側から押されて持ち上がったり破壊されたり(座屈)しないよう、緩衝装置が設けられる。
左右・上下動への対応
列車が曲線や分岐器などを通過する際には、前後の車両が互いに各方向に傾き、勾配進入時には、上下動(車体を支えるばねの伸び縮み)や荷重による車体の沈み具合によって高さに食い違いが発生するのでこれらに対応する性能も求められる。

連結器の種類・用途等

車端(エンドビーム=端梁)に取り付け、別の車両との連結・解放に使用する「連結器」(カップリング)と蒸気機関車(エンジン)と炭水車(テンダー)やユニット内の動力車同士をつなぐ「永久連結器」(ドロー・バー)や(旧式)電気機関車の複数の動力台車をつなぐ「中間連結装置」があるがこれらは頻繁に切り離すことがないので棒の両端をピンでとめ、必要な場合は別途適当な緩衝装置を設けて遊間を無くしたもの[3]なのでここでは様々な種類がある前者を中心に述べる。

リンク式連結器

連結にリンク()機構を使用する連結器全般を指す。鉄道黎明期より使用されてきた連結器であり、「鎖式連結器」→「スリーリンク・カップリング(狭義の「リンク式」)」→「ねじ式連結器」というような進化を遂げている[4]他、亜種にピン・リンク式連結器がある。いずれもリンクは引張力を伝達できるが推進力は伝達できないため、通常はこれとは別の緩衝器(バッファー)を設けて推進力の伝達を行う。

構造は単純であるが、連結時に人間がいちいち連結作業を行う手間があるほか、リンク部分を人の力で持ちあげられる程度の重量(約20.5 kgほど)に収める必要があるため、強度確保のために部品の断面積をいたずらに大きくすることが困難で、加わる力(引張力)は10 tから15 t付近が上限とされ、列車編成の長大化が困難[注釈 1]であり、輸送力増強には障害となった[5]。このため日本をはじめ、アメリカ合衆国ソビエト連邦ロシア)を中心とする東欧圏中国などでは、そのほとんどが自動連結器(後述)に置き換えられており、これらの国々では軽便鉄道など一部のみで用いられている。

初期のリンク式連結器

鎖式連結器(chain coupling)
以降の形式と違い「鎖の先端」にフックがついているものでこれを相手の車両のバッファービームにかけて使用する。外れやすい欠点がある。
連環連結器(three-link coupling)
フックがバッファービームに固定され、ここに三連の鎖(中央の輪はただの鎖の輪でねじの機能はない)をかける構造。後述のねじ式連結器とほぼ同じ構造であり、互換性もあったのでイギリスなどでは旧式の貨物用や入換用の機関車では蒸気機関車末期でもこれを交換せずに使用していたものがある[4]
日本ではこれをただ単に「リンク式連結器」と呼ぶケースもある[3] [5]ので注意が必要である。

ねじ式連結器

ねじ式連結器と緩衝器
連結状態
(左の客車側は連環連結器)
螺旋連結器と連環連結器の複式連結[6]
C11のねじ式連結器。1934年 - 1940年にかけ孤立してねじ式連結器を使用した紀勢中線用に、特に改造された事例

「screw coupling」の直訳で、「ネジ式連結器」や「螺旋(らせん)連結器」とも呼ばれる。連環連結器の改良型で、車両に付いたフックに車両に付いた鎖で止めるという構造は同じだが、この鎖の中央部分がねじ棒(ターンバックル)で鎖のたるみをなくすようになっており、これによって引き出し時の衝動が抑えられる[4]

連結器は車端中央に配置されて引張力を伝達し、推進力は車端に配置された緩衝器(バッファー)を介して伝達される。バッファーは標準軌においては車端中央に設けられたフックの左右に1基ずつ設置される(2本バッファー方式)が、この構造では急カーブを曲がれなくなるので、ノルウェーで急カーブを想定した1,067 mm狭軌路線開業時に中央に1本だけバッファーのあるセンターバッファー方式(Norwegian coupling)が考案され、ナローゲージ(南アフリカ・ニュージーランド・インドネシアなど)ではこちらが主流になっている(日本は例外的に2本バッファー方式[注釈 2][7]

なお、日本でも私鉄ではセンターバッファー方式を伊豫鉄道(現在:伊予鉄道)が採用しており(車端中央のフック直上に1基のみ設置という形式)、また、センターバッファー方式でもイギリスのウェルシュプール&サンフェア軽便鉄道(Welshpool and Llanfair Light Railway)やマン島鉄道(Isle of Man Railway)、などの「中央にバッファー・左右にリンクorねじ式連結器1本ずつ」[8]などの例がある、他にも2本バッファーならぬストックトン&ダーリントン鉄道の「フックは中央だがバッファーが逆台形に4つ」という4本バッファーの例もある[9]

前述のように連環連結器と連結が可能なことを生かし、螺旋連環連結器として両者を同時にかけることもあり、1900年以前から客車の写真の多くが、一方に螺旋連結器、他方に連環連結器を装備している状態だったが[10]、日本の国有鉄道(当時は逓信省)では1900年(明治33年)10月の鉄道建設規程第42条でこれを正式として「車両の連結は総て複式連結の装置とし、その一は螺旋連結器とを要す[注釈 3]」と定められ、片方の車両からのみ鎖をかけた場合や双方かかっていても連環連結器同士では連結してはいけないことになり[11] [10]、一方から螺旋連結器を相手のフックに掛け渡して締めつけたあと、さらにその上から他方の連環連結器(螺旋連結器)をフックに掛ける手順になった[3]

この方式は万一螺旋連結器が破損しても連環連結器により列車分離事故を防ぐことができるが、作業が二度手間になることや、車両の螺旋連結器を装着している側と連環連結器を装着している側が対向していなければならないといった制約がある。この手間が後の自動連結器への付け替えの一要因ともなった[1]

日本では、鉄道省(国鉄)が1925年大正14年)に全国一斉の自動連結器への交換を実施したため(詳細は下記#自動連結器化)、ねじ式連結器はほとんど使用されていない。国鉄等で標準的に採用されていたバッファーを左右に装着するタイプの連結器は、博物館明治村に動態保存されている明治時代の蒸気機関車・客車で、現役の姿を見ることができる。また、2001年(平成13年)には、伊予鉄道が開業時の蒸気機関車と客車を模した「坊っちゃん列車」の運行を開始し、車端中央部に1基のみ緩衝器を備えるタイプが復活した。

ヨーロッパ全域と中東地域のトルコイランシリアの大半やアフリカエジプトチュニジアアルジェリアモロッコなど数か国、南米アルゼンチンウルグアイパラグアイの狭軌路線以外とチリの一部車両では21世紀現在もユニット編成の電車高速鉄道車両を除き広く使用されている。


連結・解放のしくみ
  1. 緩衝器同士を接触させ、やや圧縮させた状態で双方の車両を静止させる。
  2. 一方の車両の格納用フックに掛けて格納してあるリンクを、相手側フックに掛け渡す。
  3. リンクの中間にあるねじ機構は、ターンバックルと同様に右ねじと左ねじを組み合わせた構造となっており、ハンドルを正面から見て右方向に回すとリンクは短くなり、引張状態となれば連結状態である。原則連結器のたるみはない状態にしてリンクを緊張させ、前後の車両のバッファーが触れ合う状態にする[注釈 4]
  4. 切り離し時はハンドルを左方向に回し、リンクをゆるめ、格納用フックに掛けて格納すると、切り離し完了となる。

ピン・リンク式連結器

ピン・リンク式連結器。
木曽森林鉄道120号ディーゼル機関車(酒井製作所製)。
同連結器の側面[注釈 5]

名前が似ているが狭義のリンク式連結器(three-link coupling、連環連結器)とは全く構造が異なり、フックがなくリンクとピンによって連結する連結器である。通常、先端に穴が空いた四角または楕円形の受け板があり、リンクを穴に差し込み、落とし込みピンを入れて連結する。リンクが固定式の場合は連結方向が限られる。構造は非常に簡単だが、連結時にピン挿入の手間がかかり、また強度が低いため、ごく簡易な用途にしか使用できない。アメリカ合衆国では黎明期によく使用されたが前述の問題により、1889年「鉄道安全器具法 (Railway Safety Appliance Act)」が制定されて空気ブレーキと自動連結器(ジャニー式)の装備が義務化され、少なくとも連結器は1891年から自連への置き換えが始まり、10年間かけて117万6,599両の取り換えを終了した[13] [注釈 6]。その後は簡便さゆえに軽便鉄道や産業鉄道向けで世界中で使用され、現在のフォークリフトにもその機構の名残といえる落とし込みピンによる連結機能が残されるなど、広範囲に普及している連結器である。日本の営業路線でこのタイプの連結器が現存するのは黒部峡谷鉄道のみである。

構造上自動連結器より厚みを薄くできるので、様々な車両に対応できるように取付位置の高さが何段階にも変更できるものもあった(見た目はスリットが縦にいくつも並んだような構造で任意のスリットにリンクを差し込む)[14]

ピン支持部、落とし込みピン、リンクを大型化し、ピン支持部の下に設置した幅広のバッファで押し合う構造の連結器も存在し、こちらは低規格であっても大きな牽引力を要求される鉱山鉄道などで使用された。例えば、明神電車ではこの種の連結器が客車にまで使用されていた[15]栗原鉄道など一部の鉄道事業者では垂直方向にリンクを使用する連結器が使用され、この構造はピンの落とし込みができないため、ピンに関節を設けて抜け止めとしていた。また日本では、出所不明[注釈 7]ながら車端中央の緩衝器の下に可動式で先端がフォーク状になったアームを伸ばし、車両の連結時に双方から伸びたアームの固定穴の位置を合わせ、ボルトを水平方向に通してナットで固定することで2本のアームを固定し牽引力の伝達を可能とする、特異かつ非効率的な構造の連結器が鞆鉄道湘南軌道などで使用されていたことが確認されている[注釈 8][16]

書類上この連結器は「中央緩衝連結器」と呼称するが、受け板の形状などから、俗に朝顔型連結器ともいわれる。公刊書籍・雑誌でのこの呼称の初出は1950年代鉄道模型趣味誌であったとみられている[17][疑問点][注釈 9]

自動連結器

連結器同士を接触させるだけで自動的に連結され(「自動連結器」の「自動」とはこのことを指す)、解放てこを動かすだけで解放できる、取り扱いが容易な連結器である。現在のアメリカ合衆国・カナダ・ロシア・中国などで一般的に用いられている。日本では機関車・客車・貨車などで広く用いられている。略して自連(じれん)と呼ばれる。

最初の自動連結器は、1868年アメリカ合衆国の発明家イーライ・ジャニー (Eli H. Janney) によって、人が手と手を組み合わせた形をヒントに考案され、1873年にアメリカ合衆国特許が取得された[18]。開発当時、アメリカでは原始的なピン・リンク式連結器と手ブレーキが使用されていたが、1880年代アリゾナ州が安全性確保の見地から、州法[要出典]により自動連結器と自動空気ブレーキの採用を義務化して以降、急速にこの2つの機構が普及した。1893年には、当時のハリソン大統領がこれらの装着を義務づける連邦法法案(鉄道安全装置法 Railroad Safety Appliance Act)に署名し、連結器とブレーキシステムの統一が完了した。

ジャニー式の自動連結器はアメリカ鉄道協会 (AAR、Association of American Railroads) 規格に制定されており、この系譜に属する連結器は世界の自動連結器の多数を占める。「ナックル(肘)」、「ナックルピン」、「錠」によって構成される連結器でナックルピンを軸にナックルが回転し、錠がナックルを固定することでナックル同士が引っかかり、車両が連結される[19]。単純な構造で大きな牽引力に耐える実用的な方式である。錠と解放てこの位置の違いによって上作用式と下作用式に分けられ、機関車・貨車は、てこの取り回しがしやすい上作用式が、客車などの旅客車では、貫通路の渡り板に抵触しない下作用式が多く用いられる。

標準の高さは、AARにおいては空車時850 mm(32.5 in)±25 mm(1 in)、積車時830 mm±25 mmとしており、日本など大多数の採用国の高さもこれに準拠しているが、インドの広軌線の、元のねじ連結器中心高に合わせた1,100 mm前後、全国自動連結器化以前の北海道及び1944年(昭和19年)以前の樺太庁の660 mm - 700 mmなどの例外もある。

ナックル可動のジャニー式とは異なる原理で設計された自動連結器として、イギリスで開発されたウィリソン式連結器(Williston Coupler, ウィルソン式とも)がある。こちらはナックル部分が動かず、ジャニー式と機構が全く異なっていて、相互の互換性もない。ウィリソン式連結器はイングランドのダービーのジョン・ウィリソン(John Willison)によって特許が取得された(アメリカ合衆国で1910年出願、1916年米特許取得[20][21])。[22]ドイツクノール社(Knorr)はウィリソン式を購入して自国の重量列車とパリのいくつかの近郊列車で使用したが、その後このタイプを大規模に採用しているのは第二次世界大戦後のソビエト連邦とその後身であるロシアなどの諸国で、改良のうえ「SA3形連結器」として使用している。日本では日立製作所がパテントの利用権を取得して製造販売し、越後交通栃尾線日本鉱業佐賀関鉄道などの軽便鉄道や工事用トロッコで使用された。

主な自動連結器

ジャニー式連結器

ジャニー式自動連結器を上から見た図

ジャニー式連結器は最初期の商業的に成功した自動ナックル連結器1873年にイーライ・ジャニーによって特許が取得された[23]。AARではこれらはMCB連結器 (Master Car Builders Association) として知られる[24]

イギリスでは客車の一部車両が装備して“バックアイ連結器”として知られる(オハイオ州コロンバスのバックアイ・スティール・キャスティングスによって1890年から製造されたことに由来)。

AAR/APTA E型、F型とH型 タイトロック連結器英語版は全てナックル連結器と互換性があるが、(貨車、タンク車ロータリーホッパー、客車など)専用の車種だけが対応する。タイトロック連結器は第ニ次世界大戦後の日本における密着式自動連結器に相当し、原型は1930年代にアメリカで実用化された(特許事例1935年出願、1939年公開[25])。

連結・解放のしくみ

ジャニー式の系譜に属するナックル可動の自動連結器には、「錠掛け」、「錠控え」、「錠揚げ」の3つの状態がある[26](自動連結器の3作用という[1])。連結作業では、少なくとも一方の連結器が「錠揚げ」位置で、ナックルが開いていなければならない。一方切り離し作業は、ナックルがフリーな状態である「錠控え」位置で行う。

以下は自動連結器の各状態を示したものである。錠控え位置・錠揚げ位置では、連結器根元上部の錠揚げ(紛らわしいが部品名である[注釈 10])が飛び出しており、錠が解除されている事が確認できる。

錠掛け位置
錠が下がり、ナックルが閉じて固定されている状態。連結中はこの状態となり、走行中の振動で外れることはない。錠揚げ位置からナックルを閉じると、同時に錠が落ちてこの状態に移行する。相手方が錠揚げ位置にあれば、この状態でも連結は可能。
錠控え位置
錠が上がり、ナックルは閉じつつも動きがフリーである状態。そのままナックルを開く(車両を切り離す)ことができる。解放テコにより錠揚げという部品を持ち上げることで、錠掛け位置からこの状態に移行する[注釈 11]
錠揚げ位置
ナックルが開いた状態。錠はナックルにより持ち上げられている。連結を行う際には少なくとも一方をこの状態にしておく。錠揚げを一番上まで持ち上げると、錠がナックル開きという部品に作用してナックルが開かれ、この状態となる。また単に錠控え位置からナックルを開いてもこの状態となる。

SA3形連結器

SA-3形連結器の模式図
作動の様子を説明するアニメーションはここをクリック
ロシア製のSA-3形連結器
解放されたSA-3形連結器

SA3形連結器はウィリソン式自動連結器の系譜上にある自動連結器で、ロシアほか旧ソビエト連邦構成国で主に使用される連結器である[27]

ロシアの鉄道は草創期の19世紀から20世紀前半にかけ欧州型(イギリス型)のねじ式連結器が用いられてきたが、牽引量の制約、バッファーによる連結、解放作業時の事故などの制約を抱え、北アメリカのジャニー式連結器のような自動的な連結が不可能なことは、他のねじ式連結器採用国と同じであった。ロシア帝国時代の1898年から連結器問題が俎上に挙げられたものの、ロシア革命後に至るまで長く規格変更は実現しなかった。

ロシア帝国時代に1524mm軌間がロシアの標準軌間とされ、その後ソ連時代に独裁者ヨシフ・スターリンはソ連邦構成国の主要軌道を全て広軌に改軌させた。従ってヨーロッパで主流の1435mm軌間鉄道との車両直通頻度は低くなり、独自の連結器採用が容易な条件が整った(1947年当時のハンガリー、チェコスロバキアとソビエトによって建設された積み替え用の3駅と3つの国境があった)。

交換にあたり、選択肢の一つとして1925年の日本や1915年のオーストラリアなど、他国でのジャニー式連結器への交換を模倣する選択肢もあったが、ソ連の技術者達はウィリソン式連結器を元に1932年、彼ら独自の連結器を開発し、これを採用することになった。

連結器はSA-3(ロシア語でСоветская автосцепка, 3-й вариант、Soviet Automatic-Coupler 3rd Variant、ソビエト第三種自動連結器を意味する)という名称になった。この形式の連結器は1930年代中期からねじ式連結器に替わっての交換が試行され始めたが、第二次世界大戦によって迅速な交換は頓挫し、ほぼ標準化に至ったのは1957年であった。1950年代に更に試験が実施された[28]

サハリンの鉄道については、軌間が異なる孤立系統であったことからソ連占領後も日本領時代のジャニー式系統を使い続けていた。後に間宮海峡横断するフェリーで広軌貨車を台車交換して島内に直通させるにあたり、1970年代に交換している。

ロシアと軌間が同じフィンランドでは、今も国内車両にねじ連結器を使用しているため、ロシアとの直通車両や機関車について、ソ連が移行期間中に用いていたのと同様な両用連結器を使用している。中国との国境では、台車交換と合わせて直通客車のうち編成端のもののみ交換している。

C-AKv形連結器

ヨーロッパ自動中央連結器(C-AKv形連結器英語版[29] は、欧州UIC標準ねじ式連結器を置き換える目的で設計されたウィリソン型の完全自動式連結器である。ソ連型のSA-3連結器を元に開発され、自動ブレーキと電気接続の特徴を備える。同様に連結が落下せず軌道に損傷を与えたり、脱線しないように垂直方向の安定性も追加された。標準的なSA-3連結器と互換性があり、また長期間の移行期間中に備えて標準的なねじ式連結器で必要なバッファーを備える。大半の電気指令式空気ブレーキの使用を想定する電気接続端子を備える。

C-Akvは小型単純自動連結器を意味するドイツ語Compact - Automatische Kupplung vereinfachtの略である。しばしばブランド名称であるTranspactが使用される。

歴史

1970年代に新型の自動連結器がヨーロッパの鉄道で開発された。これはUIC自動連結器と呼ばれ、AK69eの西ヨーロッパ型と東ヨーロッパのIntermatとして表現された。重量貨物列車には不向きで連結作業に長時間を要し、集中的な整備が必要なねじ式連結器を完全に置き換える事を目的とする。非常に短期間で欧州全土に導入しなければならない事が想定されたので数回にわたり延期された。さらにUIC自動連結器は既存のねじ式連結器と互換性が無かったので予算の観点からいくつかのヨーロッパ諸国で段階的に転換を進める事は困難だった。

現在のFaiveley Transport Witten GmbHであるSAB WABCOによって開発されたC-AKv連結器はUIC自動連結器とは異なり、既存のねじ式連結器と互換性を有する事で長期間の移行期間に対応する事を企図する。2002年以降、C-AKvはドイツ鉄道で試験が実施される。Profenの露天掘りの炭鉱とSchkopau発電所間での石炭列車の運行に使用される。

日本における自動連結器の種類

日本における自動連結器は、多くがジャニー式連結器の技術的系統にあり、さらに下記のように細分化される。一部の軽便鉄道向けなどの特殊な事例を除き、全てAAR規格準拠のナックル部形状・寸法が採用されており、原則的に相互の連結が可能である。

並形自動連結器
並形自動連結器
(下作用式)
シャロン式自動連結器
アライアンス式自動連結器

日本では1925年大正14年)の一斉交換以降から現在まで、機関車・一般形客車・貨車などで広く使用されている。名称としては自動連結器であるが、後述の密着式自動連結器との区別において並形自動連結器と称され[注釈 12]、「並連」(なみれん)と略す場合もある。

連結器は水平面上での首振りが可能で、垂直方向のずれは連結器の連結面によってある程度まで許容する。複数の連結器高さの車両が混在した一部の私鉄では、高さの異なる連結器を備える各車の連結を可能とするため、並形自動連結器のナックル部を上下に延長して、ずれを吸収する手段が取られるケースが存在した[注釈 13]。緩衝装置は連結器胴と車体取付部の間にある。

一般的に、引張力と圧縮力は緩衝装置を挟んで車体に伝わるが、連結面で22 mmの遊間(遊び)がある[注釈 14][30]ため、加減速時に衝撃、およびそれに伴う加減速時の騒音が出やすい弱点がある。ただし、遊間があることは、小さい牽引力で重量列車を引き出せる利点もある。客貨車に用いられる平軸受は起動時の抵抗が大きく、動き始めると抵抗は比較的小さくなる。遊間があることで前後の車両が時間差をもって動き出し、相対的に小さい牽引力で列車を引き出すことができる。このため、牽引力の小さい蒸気機関車が主流だった時期は並形自動連結器が有利であった[2]。なお、上り勾配のような、より厳しい条件で引出しを行なうには、貨車に標準的に用いられていた平軸受の起動抵抗やK三動弁の動作遅延、機関車の自弁と単弁という2系統のブレーキシステム、それに各連結器に備わった緩衝装置のばねによる緩衝作用を複合的に活用して行われる圧縮引出法や、動いている軸受の抵抗が小さい特性を用いた勾配引出法なども用いられ、これらの手法は乗務員のマニュアルに掲載もされ、訓練も行なわれていた[31]

明治期の国有鉄道でも北海道のみは例外で、大正の連結器一斉交換前から自動連結器と空気ブレーキが標準であった。これは1880年(明治13年)に開業した官営幌内鉄道が日本で唯一アメリカ合衆国の鉄道技術で建設されたためで、開拓使が発注した1・2号機関車開拓使号客車とともに輸入されたアメリカ製のシャロン式がその嚆矢となる。

本州以南の自連交換に際しては後発のアメリカ製であるアライアンス式も導入されたが、国産化も図られ、1920年代初頭に苗穂工場勤務の鉄道省技師・坂田栄吉がシャロン式を基本に開発した「坂田式連結器」を開発した。苗穂工場は北海道での先行していた並形自連の採用によって、国鉄内ではその取扱に通暁していた。だが坂田式は部品点数が多く、個別部品の寸法誤差累積からロック機構の確実性に難を生じて分離事故を起こす問題があり、制式品としての採用は短期間に留まった。

同時期、同じく鉄道省技師で車両課勤務の柴田兵衛は、アライアンス式の欠点を改良した「柴田式連結器」を独力で設計、これが1925年(大正14年)に車両課内で取り上げられて成績の良好さから量産化されることになり、この柴田式が以後の日本における自連の標準形となった[32]。これらは相互に連結可能である。

国鉄電車デハ6340形以後編成が長くなり、連結開放の機会が増大したことからねじ式連結器から並形自動連結器への交換を1920年(大正9年)から始めており、1922年(大正11年) には完了、大手私鉄でも阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)が1922年(大正11年)に神戸宝塚線で連結運転を行うため自動連結器に換装した[33]

こうしたことができたのは国鉄電車は元から他(電車以外)の車両と連結することがなく、連結器が特殊な物であっても支障がないためであったが、無動力の客貨車では起こらない問題も発生した。1つの列車中に複数の動力車(電動車)がある場合、主電動機特性の多少の相違や車輪の摩耗具合(直径)の違いによって電動車間で加速度や速度がばらつき、制動時の減速度も揃わないため、各車が自連の遊間分だけ動いて隣の車両に当たり衝撃を発生させる不具合が問題になったので、最終的に再度換装して密着連結器を採用することになった[34]

阪神急行電鉄以外の大手私鉄でも並形自動連結器は採用されたが、同じ理由でほとんどが小型密着式自動連結器や密着連結器に移行している。大手私鉄から譲渡された旧形車を使用している中小私鉄などでは、現在でも電車に並形自動連結器を装備している会社がある。一方で普段使用しない連結器(分割併合を行わない固定編成の先頭部)では並形自動連結器に回帰した例もあり、東急電鉄のうち5000系以降の車両(一部を除く)やつくばエクスプレスの車両でこれが採用されている。機関車や貨車では上作用として車体側に解放テコを設けることが多い一方、電車などの例では下作用として密自連同様の解放装置を設けていることが多い。

密着式自動連結器
密着式自動連結器
EF65(F形)の空気管付き密着式自動連結器

並形自動連結器の形状と内部構造を変更して連結時の遊間をなくしたもので、並形自動連結器とも連結が可能である。一般には「密着自動連結器」とも呼ばれ、「密着自連」(みっちゃくじれん)、あるいは「密自連」(みつじれん)と略される。アメリカ合衆国におけるH型タイトロック自動連結器相当のものを1950年代前期に日本製鋼所で国産化した連結器[注釈 15][30]。同社ではNCA形と呼称される。

並形自動連結器との外観上の大きな差異は、正面右のツメ部分が尖っていることと、逆側にこれを受けるガイドが設けられていることである。遊びをなくしたことで連結時には連結器同時が前後左右に、またツメによって上下方向にも固定される。このため取付部においては左右の首振り角度が大きくとられ、さらに上下の首振りも可能とするため自在継手[注釈 16]が用いられる。

高速貨車に用いられたEF65(F形)EF66などの電気機関車や10000系貨車に採用された。これらでは連結時の作業を省力化するため空気管も同時に接続できるものとなり、左右上にブレーキ管(BP)、左右下に元空気管(MRP)が通されている。

固定編成を組む20系をはじめ、12系14系24系50系では乗り心地を重視したため、また並形自動連結器をもつ機関車に牽引されるためこの連結器を採用している。

後述の密着式小形自動連結器を含め、底面に解放装置を設けている例が多い。また電気連結器(電連)を取り付けたものも一部に存在し、この場合は新幹線のように連結時に電連が前にせり出すようになっている。

密着式小形自動連結器
密着式小形自動連結器

密着式自動連結器を軽量化したもの。一般には「小型密着自動連結器」などとも呼ばれる。日本製鋼所の手で開発され、同社ではNCB形と称される。

連結器に大きな力が加わらない動力分散式車両向けとして、薄肉化するとともに密自連としての機能・互換性に影響しない部分などで上下寸法を抑えている。高さが小さいため、貫通路の床面をフラットにすることが可能である。通常の密着式自動連結器より上下方向の凹凸が大きいのが外観上の特徴としてわかりやすい。特に錠周りの上への張り出しが目立つが、構造を簡素化してこの部分をなくしているものも一部に存在する。

1953年京阪1700系第3次車およびキハ10系以降で一般的に使用され、国鉄からJR初期の気動車における標準的な連結器であった。また密着連結器を採用していない一部の私鉄(例:京成電鉄東急電鉄相模鉄道名古屋鉄道京阪電気鉄道等)[注釈 17]などでも使用されている。採用の背景として、いずれも本来なら密着連結器の方が安全面等で優れているが、従来保有する在来型車両等で自動連結器が多数使われ、それらとの相互連結を配慮した結果の策という一面がある。

簡易連結器
簡易連結器。
佐久鉄道キホハニ56。
(1930年日本車輌本店製)
上記画像の反対側
落とし込むピンを繋いだ鎖が確認できる。
水津式自動連結器。自動連結機能を残したまま薄肉化・簡易化で重量軽減を図った。
加悦鉄道キハ101(1936年日本車輌本店製)

自動連結器との互換性を持たせつつ、「自動連結・解放」の機能を省略した特殊な連結器である。このため厳密には自動連結器の範疇から外れるが、その目的から本項目で記述する。

外見は自動連結器と似ているが、寸法を可能な限り縮小し、かつ自動ロック機構を省略して落とし込み式のピンに置き換えることで軽量化を実現したものである。連結時・解放時には係員の手でピンの抜き差しを行う必要がある。座付の自動連結器と同様に緩衝用スプリングが受座に内蔵されているが、復心機能は簡素なもので左右の勾配と自重によるものとなっている。

この連結器は1920年代末期に日本車輌製造が、当時のエンジン出力の貧弱さから徹底した自重軽減を要した気動車用に開発したもので、原型と見られるものは1928年ごろから当時の同社カタログなどに見受けられる。当時の日本の気動車メーカー各社はいずれもこの問題に取り組んでおり、ストレートに「連結器省略」として非常時のみ連結器を装着する、という方策を採ったメーカーも存在した[35]。日本車輛が1929年製造した小浜鉄道カハ1に装着された「緩衝連結器」以降、その開発と実用化が本格化[36]。以降も緩衝機構などについて順次改良を重ねつつ同社製気動車の多くに装着して出荷された。

「日車式連結器」と称されるようになったこの連結器は日本車輌製造のみならず他の気動車メーカー各社にも多数採用され、戦前の日本における気動車用連結器の事実上の標準規格となった。後には鉄道建設規定に適合するよう一部修正を加えたものが、鉄道省のキハ41000形キハ40000形、それにキハ42000形の3形式に制式採用されるまでに至った。

重量は通常の並形自動連結器が1両分で約0.5tなのに対し、簡易連結器は1/3の170kg程度で済み、当時の非力な気動車の軽量化には大きな効果があった。しかし、その連結強度は低く、破壊試験の結果25t前後が上限とされたため、例えば鉄道省では気動車の無動力回送について、列車最後尾への連結を厳守するよう通達を出していた。

簡易連結器は大型気動車への適用が困難であることから、日本車輌は続けて自動連結器の機能を維持したままでの軽量化に取り組み、1931年には開発者である水津長吉の名を冠した「水津式自動連結器」として薄肉・軽量型の自動連結器を完成した[注釈 18]。だが、より軽量な簡易連結器のメリットは捨てがたく、戦前期においては自動の水津式開発後も継続採用された。

簡易連結器は戦後、気動車の大型化とエンジン出力の向上、液体式変速機実用化による連結・解放の頻度増加などに伴って、密着式小形自動連結器などに取って代わられ、その歴史的役割を終えた。新造車での採用として遅い例は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した一連のレールバス(キハ01系・キハ02系・キハ03系1954年 - 1956年製造)で、格段の軽量さを求められたことによる採用であった。

しかし、下津井鉄道時代の1934年にカハ5以降のボギー式気動車へこの簡易連結器の採用を始めた[注釈 19]762mm軌間の下津井電鉄では、1949年の電化後に新造した電車にもこの連結器を採用し続け、同社最後の新造車となった2000系「メリーベル」1988年竣工)にも在庫品流用でこの連結器が両先頭車に装着されていた[注釈 20]

つまり、日本の鉄道で営業運転に実用目的で使用された最後の簡易連結器は、ねじ式連結器の場合と同様、この下津井電鉄のものであった。同社は電化後の2両・3両固定編成の連結面間に採用した棒連結器を別にしても開業以来のねじ式連結器とこの気動車・電車用簡易連結器、さらにピン・リンク式連結器(カハ5〜8・50・51[39]およびホジ3とホトフ4[40])と車籍の有無は別にして最大3種の連結器を同時に併用した[41]

その他、東武100系小田急30000形といった私鉄の特急形車両では連結器を車体内部に隠すデザインとなっており、内部には類似の連結器が伸縮式とした上で設けられている。

密着連結器

柴田式密着連結器
ドイツのシャルフェンベルク式連結器

自動連結器同様、自動連結、レバーによる簡単な解放を可能としつつ、自動連結器のような連結器同士の隙間(遊間)をなくし、密着性を高めた連結器。原理的なルーツは1903年にドイツのカール・シャルフェンベルク (Karl Scharfenberg) が発明したシャルフェンベルク式連結器 (Scharfenberg coupler) にさかのぼり、これを模倣あるいは改良することで様々な方式が開発されてきた。略して密連(みつれん)と呼ぶこともある。事業者によっては自動密着連結器などと称している場合もあるが、前述した密着式自動連結器とは全くの別物である。

自動連結器同様、連結は相互の接触のみで行われ、解放も解放テコを動かすだけで可能である。構造は自動連結器より複雑で、牽引力など強度の面では自動式に劣るが、遊間(隙間、ガタ)が皆無な文字通りの「密着」構造であるため、遊間に起因する衝撃は生じない。電車気動車など、編成内に複数の動力車を有し、加減速の頻繁な旅客車両に適している。また「密着」構造により、空気管や電気回路を自動的に接続することが可能となるが、遊間がないため取付部には上下左右に可動する自在継手を必要とする。このあたりは密着式自動連結器と同様である。しかし最大の欠点は、牽引許容力が低く、機関車牽引による重量貨車への適用が困難な点にある。また一口に密着連結器といっても構造は多岐にわたり、少しの違いで互換性はなくなる。

日本には1920年代にまず私鉄電車に輸入品が導入された。1930年代には国鉄電車でも柴田式(廻り子式)が開発されて自動連結器からの交換が行われ、今ではほとんどの電車にこれが採用されている。しかし世界的には密着連結器として最も普及しているのはシャルフェンベルク式とその亜種である。

シャルフェンベルク式連結器

ICE 3 EMUのシャルフェンベルク式連結器
基本的な動作

シャルフェンベルク式連結器[42]ドイツ語: ScharfenbergkupplungまたはSchaku)は、最も古典的な完全自動式の密着連結器の一種であり、国際的に幅広く使用される。

1903年にドイツのケーニヒスベルク(現在のロシア領カリーニングラード)のカール・シャルフェンベルク(Karl Scharfenberg)によって開発された。定期運行の客車に使用されるものの、欧州以外では大量交通機関全般に使用される。電気回路や空気圧配管の自動接続機構併置も容易であり、ジャニー式をはじめとする他種の自動式連結器に対する優位性を持っている。いくつかの鉄道会社では横や下に電気や空気圧の接続を備える。

連結器の前面には突出した円錐・相手方車両の円錐を受け入れる窪みを有する。円錐内部には堅牢な金属製の円環が、ばねの圧力のかかった刻みを、反対側に備えた金属の円板を回転するために接続される。

柴田式密着連結器

密着連結器
(連結器下部は電気連結器)
逆サイド

日本で一般的な密着連結器である。名称としては密着連結器であるが、開発者の名前から柴田式密着連結器と称され、あるいはその構造から「廻り子式密着連結器」とも呼ばれる。JRIS規格においては密着連結器のうち1種(回り子増締式)として規定されている。

国鉄において密着連結器を採用するにあたり、一社のメーカーの製品を使用し続けるのは問題であると考えられたため、独自のものを作る必要があるとして、鉄道省工作局車両課の柴田衛(自動連結器設計者の柴田兵衛の実弟)によって1930年代初頭に開発された。国鉄電車に正式採用され、のちには私鉄でも採用が広まり、日本国内における多数派の密着連結器となった[34]。しかし世界的に見るとローカルな存在に留まり、日本以外での採用例は技術提供を受けた韓国などに限られる。

国鉄においては専ら電車のみが採用していたが、国鉄分割民営化後は、気動車・客車にも採用例が出現している[注釈 21]。主な理由としては、電気連結器と併用による連結作業の省力化が挙げられる。

電気連結器併設型シャルフェンベルク式連結器の概要が日本に紹介されて間もない1929年から試作され、当初は横須賀線32系の一部編成で試験された。実用面で好成績を収めたため、1933年の東海道・山陽線吹田 - 須磨電化時の42系新製車には当初から装備、東京地区の国電にも同年以降路線単位で順次装備して、原則として1937年までに省線電車の柴田式密着連結器化を完了した。柴田は、1930年代後期には新たに下部取付型の電気連結器の試作も行っていたが、戦時体制の激化により頓挫した[要出典]。柴田式密着連結器への電気連結器追加実用化は1961年の西武鉄道などが嚆矢となる。

構造と形状

連結器を正面より見ると左側の突起が右側の窪みに差し込まれる形をしており、その上下には空気管の取付スペースが設けられる。また右端には後述の錠掛カギ(錠控えカギ)とこれを操作する取手、また左端には錠掛カギを自動的に持ち上げるための部分が存在する。空気管は一般には最大3系統で、上中央が自動空気ブレーキ用のブレーキ管(BP)、上左右が電磁直通ブレーキ用の直通管(SAP)、下中央が元空気管(MRP)となる。電気指令式ブレーキの車両ではMRPのみであったり、また常用しない箇所(編成端部)では完全に省略されているという場合もあるが、従来車との連結や共通化の観点から、不要な分まで引き続き設置している例も多い。また車両によっては貫通路の床面をフラットにするため、上端を大きく削った形のもの(空気管はMRPのみ)が編成中間などに用いられている。

当初は正面から見ると四角形で全体的に箱のような形状のものであったが、1960年頃にはSAPを設けるとともに上下や側面などの肉を削って簡素化したものが登場した。さらに1970年代には左右も大きく削ったものや、そこからさらに上下のカット範囲を広げたものも出てきている。これは1960年代大阪市交通局が地下鉄の5000形を開発する際に実験を行い、不要部の削除による軽量化を試みたことに端を発している[要出典]。大阪市交通局の実験は、走行する列車を停止した車両に対して衝突させ、衝撃による連結器破損状況確認を繰り返して限界強度を見極めるという、いささか乱暴な手法であった。1980年代以降は解析技術の飛躍的発達によって、このような実車衝突試験は要さなくなっている。しかし、日本の他社局では大阪市交通局に追随する動きは遅れた。これは、通常連結開放を要しない車両間への棒連結器等の採用が先行したことと、大阪市交通局の密着連結器は一般的な柴田式でなく後述するやや特殊な形状のものであるため、他社局ではその実験結果をそのまま援用できなかったことが原因である。その後、1980年代以降の技術向上で連結器の軽量化設計が容易になったことなどから、現在では外枠の小型化された密着連結器は広く普及している。

その他の分類

自動解結装置の機能として錠解放シリンダを組み込んだものも存在し、これは後述する解放テコの操作を運転室内から行うことが可能となっている。近鉄などではこれにより錠掛カギを省略している。

また一部には伸縮式のものもあり、この場合は突起の先端部が平ら(もしくはカットされたような形状)になっているほか、錠掛カギやそれを持ち合げる部分も省略されている。

このほか、新交通システムやモノレールには小型かつ横幅が小さい(正面から見るとほぼ正方形に近い)ものが用いられている。

連結・解放のしくみ
密着連結器 概念図
定位置の状態
解放テコを引いた状態

連結器内部には円筒を縦に切ったような形の連結錠(回り子)があり、これと一体の解放テコが連結器正面から見て左側に伸びている。概念図(右図)の赤色部分が廻り子と解放テコに当たる。錠戻しバネ(スプリング)により常に矢印の方向に引っ張られており、概念図の位置が回り子と解放テコの定位置である。

連結時には、2つの連結器を突き当てることで以下の一連の動きが一瞬にして生じる。

  1. 嵌合時には双方とも、回り子が相手方連結器の突起に接触することで回転するように押し込まれる(解放テコを引いた時と同じ状態になる)[注釈 22]
  2. 嵌合後には双方の回り子により円筒形が形成され、これが定位置に戻ることでロックされ連結状態となる。

解放は、解放テコを引いた状態で連結器を離すことで可能となり、このとき実質的には解放テコを引いた状態(解錠状態)を保持する必要が生じる。これは係員が保持してもいいが、正面右の錠控えカギを用いることで保持とこれの解除を自動で行うこと(自動連結器の錠控え位置に相当)が可能となっている。

  1. 一方の解放テコを引き、相手方の錠控えカギを解放テコの突起に引っ掛ける。このとき解放テコは引ききった状態ではなく若干の余裕を持った位置で保持されるが、回り子の角が丸められていることによりこの状態でも解放が可能である。
  2. 連結器を離すことにより、一時的に解放テコはさらに引っ張られる。一方で錠控えカギは自身の傾斜と相手方連結器の形状によって徐々に持ち上がる。
  3. さらに離していくと、解放テコを引ききった位置(2つの連結器を1cm弱離した位置)あたりで錠控えカギは解放テコの突起から外れる。この時点で両連結器の回り子は相手方の突起に接触した状態となるため、バネにより戻されることはない。
  4. そのまま離し続けることで、解放が完了する。

回り子の外周部分ならびにこれを収める部分は真円ではなく、前後方向に細長く[注釈 23]、また先端側が細いクサビ形とも言える形状となっている。これによって回り子は摩耗度合いに応じてより深く回り込む増締作用が生じ[注釈 24]、摩耗状態にあっても連結器同士の密着性が落ちないよう工夫されている。なお後述の新幹線用をはじめ、これがないもの(回り子が真円のもの)も一部に存在する。

新幹線用密着連結器

新幹線用密着連結器(E4系)
折り畳んで収納している例(0系)

1964年10月1日に開業した東海道新幹線にあわせて開発されたもの。構造は柴田式と変わらないが、突起部が円形断面となっているのが特徴である。JRIS規格においては密着連結器のうち2種(回り子非増締式)で例示されている。

空気管は突起部より下に集約され、向きが変わらないことを前提に3種を横並びで配置している。突起部の高さは柴田式と同じであるものの全体的に寸法が抑えられ、貫通路の床面はフラットになっている。新幹線においては先頭と中間の全てに使用されている。先頭部のものは折り畳み式や伸縮式のものもあり、また東日本側のものはBP・SAPを取り付ける部分がまるまるカットされ、必要に応じて上に可動式の電気連結器が備えられている。中間部のものは下に電気連結器を設けている。

新幹線車両の場合、中間の連結部は外幌などで隠れており、また先頭部も当初は非常時の救援などでしか使用されず、通常はカバーで隠れているため、営業運転中に一般乗客が目撃する機会はなかった。しかし、1992年の東京 - 山形間での新在直通運転(ミニ新幹線)開始以降、営業運転中の新幹線列車が途中駅で分割・併合を行うこととなったため、現在では一般乗客が容易に連結器や連結作業を観察することが可能である[注釈 25]

新幹線以外での採用
西武鉄道の丸形密着連結器

新幹線以外においてもこれを使用している事業者(路線・車両)が一部に存在する。柴田式のものと同じく、空気管の本数やその取付部の形状に複数の種類が存在する[注釈 26]

先頭部への使用:都営地下鉄およびOsaka Metroリニア式路線(大江戸線[注釈 27]および長堀鶴見緑地線今里筋線)、仙台市地下鉄札幌市営地下鉄大阪モノレール

分割併合用の先頭部への使用:阪急電鉄の一部(5000系5200系5100系[注釈 28]

固定編成の中間部への使用:西武鉄道の一部(20000系以前の長編成車[注釈 29]

短冊式密着連結器

短冊式密着連結器と半永久連結器の両用連結器

Osaka Metro第三軌条式路線(御堂筋線谷町線四つ橋線中央線千日前線)、また御堂筋線と直通運転を行う北大阪急行線、中央線と直通運転を行う近鉄けいはんな線、ならびにけいはんな線車両用の牽引車[注釈 30]で採用。JRIS規格においては密着連結器のうち3種(短冊式)として規定されている。

前述の通り、1960年に登場した旧大阪市交通局5000形より軽量化がなされ、さらに翌年登場の同6000形では小型化した互換性のないタイプが採用された。以後は大小2種が路線により使い分けられ、(新造車等の兼ね合いによって登場時とは逆に)御堂筋線・四つ橋線が小型のタイプ、谷町線・中央線・千日前線が大型のタイプとなっていたが[注釈 31]30000A系以降の新造車は小型のタイプに統一されている。

トムリンソン式密着連結器

トムリンソン式密着連結器

アメリカのトムリンソン (Tomlinson) 社 が1910年代に開発[43]した密着連結器。日本国内では現在は東京メトロ銀座線東京メトロ丸ノ内線西日本鉄道(現在は5000形のみ)・銚子電気鉄道デハ1001/デハ1002・京福電鉄嵐山線(嵐電)などで使用されている。

日本においては阪神電気鉄道(阪神)が1921年製造の331形で採用したのが最初の採用例である。同社は1965年の1000番台小型車淘汰まで、急行用車各停用車でシステムが異なり、相互の併結が困難であったこともあって、後述のバンドン式密着連結器とこのトムリンソン式密着連結器を併用し続けた[44]

また、かつては日立電鉄(現在は廃止)でも、営団地下鉄(現在:東京地下鉄)から譲渡された車両を使用していたため、本連結器を採用していた。

柴田式密着連結器よりも小型で、連結面の四隅の位置決めポスト(向かって左が突起で右に穴)が特徴である。東京メトロで採用されているものは、連結面の上下にブレーキ用の空気管がある。

バンドン式密着連結器

バンドン式密着連結器

アメリカのヴァン・ドーン (Van Dorn) 社が開発した密着連結器。日本では戦前期、付随車貨車を牽引するような地方軌道で多く普及していたが、戦後も長きに渡って継続使用していたのは阪神電気鉄道のみであった。

柴田式よりも薄型で、ブレーキ用空気管が連結器内部(斜めに取り付け)に配置されている事が特徴である。バンドン式は日本では1971年に製造を終了。阪神は以降の新車用には在来車発生品を転用した。JIS規格からも1994年の改訂時に削除されている。

阪神は山陽電気鉄道6000系を除き、密着式小形自動連結器を採用)と神戸高速線を介して相互直通運転を行っているが、山陽車とバンドン式装備の阪神車とは連結器に互換性がなく、そのままでは車両故障などの救援時に支障が生じるため、非常時に備えて主要駅には重くて複雑な中間連結器(偏差アダプター)を配備したが、直通特急運転開始時より、その運用にも使用される阪神9300系阪神9000系阪神8000系山陽5000系5030系には、編成あたり1両の床下に偏差アダプターを積載した[45](後述の理由により、現在の自動連結器と廻り子式密着連結器との中間連結器に交換されている)。

阪神は長らくバンドン式連結器を使用してきたが、転用できる部品の在庫が尽きたことや2009年に開始された近畿日本鉄道(近鉄)との相互直通運転にあわせて、全車両(武庫川線を除く)の連結器を近鉄と同じ廻り子式(柴田式)密着連結器に交換し、従来からのバンドン式連結器を廃した。同時に連結器高さを840mmに上げている(近鉄車は880mm)。従前の阪神の車両は連結器が特殊であるだけではなく、連結面高さも標準的な高さよりも約235mmほど低かった (645mm)。1000系以降の形式は製造時より柴田式密着連結器を採用している。2020年6月には武庫川線で使用されている車両が5500系に置き換えられた。

これにより、同社のバンドン式連結器装備車両は5001形のユニット間連結器と201・202形にのみ残っていたが、最後まで運用されていた5001形が2025年2月10日に引退したことで、バンドン式連結器を装備する日本の鉄道車両は消滅した。

ウェスティングハウス式密着連結器

ウェスティングハウス式密着連結器

アメリカのウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社が開発した密着連結器の一種である。

機構的には、中央部に19接点の電気連結器コネクターが、下部に2本の自動空気ブレーキ用空気管(ブレーキ管および元空気管)が、それぞれ内蔵されていることが特徴である。

日本においてはジャンパ栓へと発展していき、連結器としては廃れた方式である。採用例の最初は1926年の連結運転開始に備えて京浜電鉄が輸入品のK-1-Aを導入し、京浜電鉄およびその子会社の湘南電鉄で使用された。それらは後に車両の大型化に合わせてより大型で強い牽引力に耐えられるK-2-A(WH社の日本における提携先であった三菱電機製)に置き換えられ、更に都営地下鉄浅草線乗り入れ開始に伴う3社乗り入れ協定で1960年にNCB-6密着式小形自動連結器へ交換されるまで34年にわたって使用された。

また、これとは別に山陽電気鉄道が1956年に初のWNドライブ車である2000系を製造する際に、2両の電動車で主制御器を同期動作させる特殊な設計としたために連結面間のジャンパ連結器引き通しが煩雑になったことから、三菱電機の推奨で同社製K-2-Bを採用した。但し、電動車の運転台寄りは密着式自動連結器ないしは並形自動連結器を装着した。

中間連結器

柴田式密着連結器用中間連結器を装着したE257系
トムリンソン式中間連結器を装着した銚子電鉄デハ1002[注釈 32]
半永久連結器用アダプター

自動連結器と密着連結器を連結するために密着連結器に取り付けるアダプターである。電気機関車の台車などをつなぐ「中間連結装置」や、編成内の中間部における連結器とは別物。一般には自動連結器と密着連結器を連結する際に用いるものを指し、これは密着連結器側に取り付けて使用する。事業者によっては「連結器中間体」とも呼ぶ[46]

構造としては自動連結器と密着連結器を背中合わせで繋ぎ合わせたような形であるが、自連側はナックルが固定されており、また密連側は戻しバネと解放テコを持たず、全体的に簡素な形状となっている。このことから中間連結器同士の連結や、両用連結器の自連側との連結はできない。また正規の連結器に比べて強度が劣るため、中間連結器を使用する列車は70 km/hの速度制限がかけられる。しかしながらそれなりの重量はあり、使用時には複数人での作業を要する。

また、前述のバンドン式密着連結器用の偏差アダプターも中間連結器の一種である。入換用としては密着連結器と半永久連結器、自動連結器と棒連結器といった組み合わせのアダプターも存在する。

車両に搭載している例

直通運転などにより1つの路線に複数の連結器が混在するような場合、車両側に中間連結器を装備していることが多い。

京浜急行電鉄の車両は密着連結器を採用しているが、密着式小形自動連結器を採用している社局(東京都交通局京成電鉄北総鉄道[注釈 33]と相互直通運転(いわゆる「四直」)をしているため、非常時に備えて車両に中間連結器が搭載されている。同鉄道では、乗入協定に基づいて一旦は密着式小形自動連結器に変更されていたが、京急でのみ頻繁に行なわれる営業列車の増解結作業を省力化・迅速化するため、1980年代後半に柴田式密着連結器と電気連結器の併用を独自に行なうようになった。

従来、密着式小形自動連結器を使用していた東武鉄道も同様の理由で1990年代後半より営業中に分割・併合・増結を行なう車両を中心に柴田式密着連結器に交換の上、電気連結器を併設し、中間連結器を車両に搭載するようになった。

東武東上線西武池袋線・東京メトロ副都心線有楽町線東急東横線横浜高速鉄道みなとみらい線相模鉄道JR埼京線の相互直通運転においては東急・横浜高速・相鉄の3社が自連系を採用、他は密連である。これらにおいては乗り入れを行う各車両で元町・中華街方(海老名方)の先頭車床下に中間連結器を備えている[注釈 34]

両用連結器

EF63の両用連結器
両用連結器の切替作業
両用連結器・密着連結器
(EF63+115系)
EF81 141の両用連結器
EF64 1031の両用連結器
上にブレーキ管 (BP) と下に元空気管 (MRP)
奥にブレーキ指令回路用ジャンパ栓

複数の連結器との連結に対応した連結器であり、一般には自動連結器と柴田式密着連結器に対応したものを指す。双頭連結器とも呼ばれる。連結器体(頭部)と連結器胴が別部品になっており、頭部には自連と密連が約75度[47][注釈 35]傾けて設けられ、必要に応じて回転させることで使い分けることが可能となる。頭部の固定はピンにより行われ、大抵は自連の解放テコに相当するものでこのピンが持ち上げられる。

連結器が異なる車両を連結する際には中間連結器を使用するか控車の連結を必要とするが、両用連結器を装備した車両においてはこれが不要となる。

自連側はナックルが固定されているため、自連側同士での連結は不可能である。密連側は主に2種類が存在し、空気管がブレーキ管(BP)のみのタイプと、ブレーキ管(BP)・直通管(SAP)元空気管(MRP)の3つを備えるタイプ(SAPは穴のみの場合もある)に分けられる。前者は錠戻しバネがあるものの錠解放装置がなく(蛇足だが錠掛カギもない)、解放テコの操作は自連側の小さな隙間から行うしかない。後者は錠解放装置が設けられており、自連と密連の境目あたりに設けられた六角形のピンを、別付の解放ハンドルによって回すことで解錠することができ、さらに解放ハンドルのフックをナックル先端部のピンにひっかけることでこれを保持することができるようになっている。

また、柴田式の密着連結器ではなく新幹線用の密着連結器に対応したタイプ(偏心両用連結器)も存在する。

2023年7月現在の装着車両は以下の通り

永久連結器・半永久連結器

両者ともに固定編成の中間部、特に切り離しの頻度が少ない箇所に多用される。その構造上小型かつ軽量であり、もちろん貫通路の床面はフラットにできる。胴受も簡素化されて胴受がバネを持たない枠組みのみとなっている例も少なくない。通常の連結器と異なり連結相手のことを考慮する必要がないため、事業者独自の色が出やすい。

なお路線や事業者によっては車両基地などの設備都合により数両ごとに通常の連結器を併用している場合もあり、これには高さの小さいものが用いられることが多い[注釈 37]

永久連結器

車両間を1本の連結器でつなぐ棒状の連結器で、「棒連結器」とも呼ばれる。両端はそれぞれ車両の継手に直結され、切り離しを行う際には連結器の取り外しと同じ要領で行うこととなる。

半永久連結器

連結面をボルトナット等で固定する連結器。連結面を直接ボルトとナットで挟み込むような構造が主流で、この場合の連結面の形状は柴田式あるいは新幹線用の密着連結器と似たようなものとなる。空気管を通す場合は突起と窪みの間に3本を縦並びで配置することが私鉄では多いが、JR西日本などでは下部に1本を設けている。

付帯設備

緩衝装置

圧縮力のみに対応する緩衝装置
引張力・圧縮力の両方に対応する緩衝装置
ゴム緩衝装置

緩衝装置(かんしょうそうち)は、連結器・車体の間に介在して発車・停車時、また運転中の加減速時などに発生する車両間の圧縮や引張(車端衝撃)を緩和する装置である。

ねじ式連結器の場合は中央で連結を行い両端で緩衝装置(主にタケノコばねもしくは輪ばね)をつける場合が多いが、並型自動連結器では中央緩衝装置が採用される[55]

引張力・圧縮力の両方に対応させるものが標準であるが、圧縮力のみに対応するものもある。

さまざまな原理が用いられ古くは金属のコイルばねによる単純ばね式が用いられたが、コイルばねでは柔らかすぎて突当て衝撃を十分吸収できず、かつ限られた場所で多くの容量のものが得られないので、クサビの摩擦力で衝撃力を熱に変えて吸収される引張摩擦装置[注釈 38]油圧を利用する油圧緩衝装置などを経て、ゴムによるゴム緩衝装置が主流として用いられているが[2]、他にもシリコンを用いたシリコン緩衝装置が用いられている。

ゴム緩衝装置は、連結器の後部にある枠継手の中に、ゴムを鋼板にモールド加工したゴムパッドを必要枚数を重ねたゴム緩衝器の両端に伴板を挿入した構造であり、車両側の下部にある台枠の中梁(なかはり)に取付けられた伴板守(ともいたもり)にゴム緩衝装置の両端の伴板(ともいた)が当たる形で支持されて取付けられている。引っ張りの場合は、ゴム緩衝装置の前の伴板が、圧縮の場合は、ゴム緩衝装置の後の伴板が伴板守に当たることで、ゴム緩衝器に圧縮力が働き、衝撃エネルギーを吸収するもので、ゴムパッドは、吸収する衝撃エネルギーの大小や用途により、寸法や形状や枚数(段数)が選択される。ゴム緩衝装置は、アメリカ合衆国では1938年に研究開発が始まり、1953年アメリカ鉄道協会が仕様書を決定し、使用が公認された。日本では1960年ごろから使われ始めた[56]

シリコン緩衝装置は、シリコンコンパウンドが密封されているシリンダー内にわずかに小さいピストンが挿入されている構造であり、ピストンに結合されているピストンロッドの周囲には戻しゴムが併備され、ピストンロッドとは受圧板で繋がっている。受圧板に衝撃が加わると、ピストンロッドを介してピストンがシリコンを押して圧縮され、シリコンがピストンとシリンダー内壁の隙間を流れている時に発生する摩擦力と圧力により衝撃エネルギーを吸収するもので、戻しゴムはピストンの戻し作用に使用される。これは、主に大型貨車で使用されている。

なお、日本の鉄道(特に客車)の車両間の衝撃が大きいことが、ヨーロッパのようなねじ式連結器および緩衝器の方式が並型自動連結器よりも優位であることの論拠とされることもあるが、同様の並型自動連結器を採用するアメリカ、オーストラリアに比較しても日本の状況は悪く、実際には緩衝装置の水準が低いためとされる[57]

胴受

連結器の胴部分を支えるとともに、左右動の案内をするもの[58]。一般には連結器胴受と呼ばれる。連結器の種類や車両の用途によってさまざまな種類が存在する。復心装置は大抵ここに設けられる。

空気管・空気ホース

ブレーキ等に使用する空気圧の供給やブレーキの指令用として、列車の編成内には空気管の引き通しが行われる。この管を引通し管と呼ぶ。

車両間の接続

車両用の連結器に空気管を内蔵しない場合は、空気ホースを用いてホース連結装置によって接続されるのが一般的である。ホースの先端部にはホース連結器が設けられ、これは90度回転させた状態で突き合わせた上で向きを合わせることで連結する。ホース連結器の連結面にはパッキンとしての詰ゴムが設けられているが、これは機械的要素も兼ねている。具体的には詰ゴムの厚みによって連結が保持される一方で、列車分離などによって連結器同士が離れようとする際には詰ゴムに圧縮力が加わり、これが潰されることによって自動的に連結が外れるようになっている。

連結器は一般に強固な連結を求められるものであるが、ホース連結装置においてはそれ自体の強度が比較的弱く、車両を引っ張るほどの力が加われば破損するのが必然である。また主たる用途である自動空気ブレーキにおいては空気管の減圧でブレーキがかかるようになっており、車両の連結が分離した際にはすぐにホースの連結も外れる方が安全と言える。

なおホースとあわせてホース連結器フサギがツリ鎖によって吊られており、連結しない場合にはホース連結器にこれを取り付けて開口部を塞ぐことで異物の侵入などを防止する[58]

永久連結

半永久連結器や永久連結器を用いるような場合には、永久連結器と同じ要領で車両間を1本のホースで繋ぐ例も多い。

車体と連結器との接続

車両用の連結器に空気管を内蔵する場合においても、連結器は動くものであるために車体との間は同様のホースを用いて接続される。

肘コック

空気管は連結の解放時に締め切る必要があるため、肘コックと呼ばれる締切コックが設けられる。ホース連結装置を備える場合は根本にアングルコック(管の先端を下方に曲げたコック)を、電車などでは連結部付近の側面寄りに普通のコックを設ける場合が多い。

電気連結器・車両間渡り線

力行やブレーキといった制御伝送のほか、放送・空調・モニタなど各種機器の通信、また電力の供給のため、列車の編成内には電気回路の引き通しが行われる。これを引通し線と呼ぶ。

車両間渡り線

車両間を渡るケーブル・電線であり、このケーブル自体をジャンパ線と呼ぶ。大抵は編成の左右で高圧と低圧とを分けて設置している。なお鉄道車両において高圧とは一般的な基準である交流600 V・直流750 V以上に加え、補助電源装置からの電源(200 Vや440 Vが多い)も含まれる[58]

多くは下記のジャンパ連結器が用いられるが、固定編成内や電動車ユニット内の高圧配線(車体間の接地線を含む)などでは永久連結器と同じように両車のツナギ箱に直接ジャンパ線を接続するもがあり、この場合は概ね単芯の電線が水平に複数本並ぶこととなる。

しなの鉄道169系のジャンパ連結器
Aは両栓で栓納めが設けられている。
A・Bは制御用の低圧、連結器を挟んでC・Dは高圧である。
ジャンパ連結器

車両間渡り線のうち、少なくとも一方の端が栓(コネクタ)となっているもの。広義の電気連結器に含まれ、電気連結栓とも呼ばれる。ジャンパ線とその先端に設けられた、車体側の栓受からなり[58]、また車両によっては切り離した後の栓を保持するための栓納めが車体に設けられている。多くは多芯であるため、ケーブルは比較的太い傾向にあり、さらには1つの栓からのケーブルが複数本に分けられているような場合もある。

両端が栓となっているものを両栓、片方のみが栓となっているもの(もう片方はツナギ箱に直接接続)を片栓と呼ぶ。

また車両の向きが変わっても連結可能なもの(ジャンパ連結器が左右対称に設けられているもの)を両渡り、そうでないものを片渡りと呼ぶ。

電気連結器

連結器と連動して自動的に電気回路を接続する装置である[58]。これを用いることでジャンパ連結器より迅速な連結・解放作業が可能となる。多くは先頭車において密着連結器[注釈 39]の直下に取り付けられており、事業者によっては連結器との間に水切り板を設けている[注釈 40]。なお新幹線は連結器の直上に取付けられている。前面には電極保護のためカバーが掛かっており、これは正面左側に設けられた押し棒を奥へ押し込むことで上へ開く。実際の連結時には相手方の受金により、互いに押し棒が押し込まれることとなる。

自動連結器を標準としていた名古屋鉄道では、M式自動解結装置と称して密着式小形自動連結器と電気連結器を併用し、密着式自動連結器の連結後に電気連結器本体を迫り出して連結させることで連結時の接点破損を防止するシステムを1975年(昭和50年)に開発し、1976年(昭和51年)以降実用化している。同じ機構は東日本旅客鉄道(JR東日本)の新幹線直行特急用車両にも新幹線用密着連結器との組み合わせで採用されている。

また、密着式自動連結器の密着性を利用して従来の密着連結器相当の電気連結器を使うものは、1968年(昭和43年)に国鉄がキハ181系で採用したが[59]、後に続かなかった。

一方、イギリスでは密着式自動連結器に電気連結器を装備する事はよく行われている。接点破損を防止するため、電気連結器の中心部に位置決めの突起がついており、連結器が噛み合う前にズレを解消させる構造を採っている。

ブレーキ用内蔵空気管を持たない密着式自動連結器のため、改良型では空気管の自動解結機能も追加されている。通常は各連結部に一つずつ搭載しているが、一部の形式では、連結相手の車種によって電気連結器の種類が異なる場合は、一か所につき複数搭載していることがあり、2段式の電気連結器を搭載していることもある。

電気連結器を複数搭載する車両の例

車端ダンパ

車端ダンパ(E259系

連結機に内蔵された緩衝装置や車端バッファーが遊間衝動を吸収するのに対し、車端ダンパ/ダンパーは車体のローリングを抑える減衰器である。国鉄では1958年(昭和33年)に登場した高速車両(20系客車・20系電車)から採用された。オイルダンパー(油圧式ダンパー)本体は車両の妻面上部に取り付けられる。また、直流形電車は向かって右側・交直流電車は向かって左側に取り付けられる。隣合う車両を高い位置で結ぶことで、ロール方向の不要な揺れが抑えられ、乗り心地が改善される。

自動車のカンチレバーショックアブソーバーと同じ構造で、ダンパボディーからは左右に動くアームが上方向に出ている。アームに外力が加わると、それにつながったダンパ内部のピストンによって油が移動し、その油がオリフィス(絞り弁)を通過する際に発生する抵抗で減衰力が発生する。隣の車両のダンパとは、貫通幌の上部の連結棒で結ばれているが、ダンパアームの回転面に対し斜めにつながれているため、アームには抵抗となるレール方向(前後方向)の力も若干発生する。

車体間ヨーダンパ

車体間ヨーダンパ(700系

車体間緩衝装置の一種で、車端ダンパ(ロールダンパ)が枕木方向に作用するのに対し、ヨーダンパはレール方向に作用する。

車両連結面の左右に、車体前後の中心線に平行(レール方向)に装着される。隣合う車両ごとの自由な動きを抑え、連結器の脇に配することで、若干の曲線通過性能は犠牲にするかわりに、特にヨーイング蛇行)の吸収に効果があり、高速時の車体安定性と乗り心地に寄与する。

連結器カバー

様々な理由により連結器はカバーで隠されている場合がある。

車体への設置

新幹線をはじめ、特急形車両において車体のエクステリアデザインの一部として連結器を隠すような形で設けられている。特に平滑に処理されているような場合には、連結器自体は伸縮式であったり簡易的なものであるようなことも少なくない。

連結器への設置

デザイン上の理由のほか、着雪の防止やホーム直近における踏切での接触事故防止など、機能的な意味合いで設けられることも多い。密着連結器に多く、表面全体を覆うようにして設置される。電気連結器がある場合はこちらにもカバーを設けていることが多い(この場合は電気連結器側にカバーの受金を用意する必要がある)。

路線によっては、降雪時に簡易的な袋状のカバーを被せて対処しているような場合もある。

また特殊な例としてJR九州883系では突起部にのみ、円筒に羽根を生やしたような独特な形状のカバーを取り付けている。

自動連結器化

日本

背景

日本では19世紀の鉄道開業時にイギリスの技術を導入したことにより、ねじ連結器が明治から大正末期まで標準として使用されていた。ただし北海道のみはアメリカからの技術供与を受けて鉄道が発展したため、当初からシャロン式やアライアンス式、あるいはクライマックス式といったアメリカ製の自動連結器を多数採用しており、一部存在したねじ式連結器装備車も1909年(明治42年)までに自動連結器化されている。

ねじ式連結器は、連結・解放作業に手間と時間がかかった。また、狭い場所での作業となることや、車両が転動することにより、連結手が圧死・轢死するなど、死傷事故が多発した。特に狭軌の日本の鉄道においてはバッファー間隔が狭く、非常時の逃げ場がないことが死傷事故の被害を拡大した。1916年(大正5年)ごろの調査でも年間527名の死傷者が出て、かつそのほとんどが死亡であったという[1]。加えて連結器の強度が低く[注釈 41]、良質の材料によるフック・リンクを用いても重量級列車の編成には制約がつきまとい、列車の輸送量を増やす妨げともなっていた。さらに上述のような複式連結を用いていたため一方に螺旋、他方に連環連結器が向かい合わせでないと連結できないが[注釈 42]、車両の運用経過によって同じ連結器が向かい合った場合には連結ができなくなり、車両を転向するか連結器の付替をしなければならず大変な手間がかかった[10]。1916年の調査でも連結器の付替が月間平均93530件にのぼっている[1][注釈 43]。また、ねじ式連結器は自動連結器と比べて勾配に弱く、塩狩峠では峠の頂上付近で客車の連結が外れて暴走する事故が起き、死者を出しているのも理由の1つだとされる。

実施

連結器交換作業の様子

これらの問題を克服するため、日本の鉄道院は1919年(大正8年)から全国の機関車・客車・貨車の自動連結器化を計画した。5年に渡って綿密な準備作業や交換練習が重ねられ、作業チーム1組が毎時2両分の連結器交換をできるまでになった。また車両の台枠端部には定期的な修繕の機会を利用して強化改造が施され、全国を常に移動する貨物列車については、前後2個分の自動連結器を台枠下に取り付けた木枠にぶら下げて、全国どこにいても連結器交換が可能な態勢を整えた。この「腰弁当」方式は島安次郎の考案という説、或いは鉄道省車両課客貨車係長の小山磐の考案という説[61]がある。

この時点で自動連結器の国産化は実現しておらず、アメリカから北海道向けに導入済みのシャロン式連結器を追加輸入せねばならなかったが、当時鉄道省車両課長で連結器交換計画にも携わった朝倉希一によれば、後発で営業活動のあったアライアンス式連結器の並行導入を決定したところ、シャロン式の納入価格も競合で下がり、結果的にコストダウンにつながったという[61]

交換日については、統計上、年間で最も輸送需要が少ない時期が選ばれた。1925年(大正14年)7月初旬から予備車・固定編成車両を中心に交換が始まったが、大多数の車両は特定の一日を一斉交換日とした。本州(一応四国もこの日にある程度は行っている)が主に7月17日、九州が7月20日である[注釈 44]

交換日当日、連結器未交換の機関車・客車はその日の終着駅で交換工事を施した。両数が膨大な貨物列車については、交換日当日に貨物列車を24時間全面運休させるという異例の特別措置が採られた。総動員された鉄道関係者らの手で、夜明けから日没までの間に突貫作業が進められ、ねじ式連結器は一斉に自動連結器に交換された。最も担当車両数が多かった駅は品川駅で、1284両の交換を担った[63]

この時連結器交換を受けた車両は、機関車が約3200両、客車が約9000両、貨物列車に至っては約46000両に上る。これらの車両が装備する、計10万個以上の連結器を、半月ほどの間に全交換することに成功したのであった。北海道は前述のようにアメリカとの繋がりが強く本州以前から自動連結器を採用していた[注釈 45]ため、北海道の国鉄線の車両については連結器の取付け高さを本州の車両のそれと同一にする調整(660mmから878mmへ)のみが1924年8月13日 - 8月17日に済まされ[64]、本州の連結器交換によって青函連絡船での車両航送による貨物列車直通が実現した[注釈 46]。完全に孤立している四国の国鉄線については一斉交換の対象とせず、1926年(大正15年/昭和元年) - 1927年(昭和2年)まで交換が繰り延べられた[65]

貨物列車などが省線と直通運転する私鉄各社においても、ほぼ同時にねじ式連結器から自動連結器への交換を実施した社が大多数であるが、小湊鉄道は建設工事の時点(1924年)より自動連結器としており、「貴省(鉄道省)が交換するまで直通運転しない」ことを理由として先行採用し、万一それ以前の直通が発生した場合の為に控車を用意しておくにとどめた[66]

なお、この自動連結器の強度を確かめるため、国鉄では昭和4年に数両の死重車両(機関車・客車・貨車)の前に5両の状態が悪い貨車(うち1両はすでに廃車)をつけ、D50の5両で約70tの力をかけたところ、全く壊れる気配がなく、貨車を故意に壊すつもりでいったん圧縮を経た後急激に引き出すとどうなるかやった所、目的の貨車ではなく死重に使っていた機関車1台の第2種自動連結器取り付け座のボルト4本中2本が折れて外れ、D50(1台の牽引力は計算上28t)の重連でも2倍以上安全係数が確保できることが判明した[67]

他国との比較

鉄道省による連結器一斉交換工事は、世界的に見ても非常に大胆な試みであり、牽引力や安全性の向上、省力化や作業時間短縮などのメリットを産んで高く評価されるものである。日本が国外との鉄道直通がない島国であり、なおかつ連結器交換以前に主要幹線鉄道の国有化が済んでいたことが、連結器交換実現の背景にある。日本同様にねじ式連結器→自動連結器の交換をした豪州、旧ソ連では移行期間をかなり長く取っており、インドやイギリスは今もねじ連結器と併用状態である。ヨーロッパ(特に大陸側)では国際列車が多数運行されているため、各国の相互調整が困難であり、ねじ式連結器の弱点を知悉しながら、2017年現在に至るも自動連結器への本格的移行には至っていない。欧州においては日本のような作業手順を採らないことにより連結器強度も日本より強度の高い太いねじの使用が可能なため複式連結はしておらず、作業時間以外の問題点はおおむね回避している。[68]ロシアなどのように自動連結器を用いていてもバッファを併設している例がある。またこのことが、連結器への負担が少ない動力分散方式(電車気動車)が普及する一端になったともされる。

非国鉄線

多くの非国鉄線車両についても自動連結器化の対象となり、国鉄直通車は国鉄とほぼ同時に交換、その他の車両も1927年ごろまでに交換が行われた[69]。しかし、国鉄線との直通自体がない路線では後年までねじ式連結器を用いた例も少数残存した[注釈 47][注釈 48]。国鉄線でも、新宮鉄道買収線で孤立した路線の紀勢中線(現在の紀勢本線の一部)は1940年(昭和15年)の紀勢西線延伸・連絡で孤立が解消されるまで、買収以前からのねじ式連結器を用いていた[注釈 49][71]

日本の一般営業路線で最も遅くまでねじ式連結器を用いた例は762mm軌間の軽便鉄道であった下津井電鉄で、1990年(平成2年)の同線廃止まで用いられた電車の1両であるモハ1001号は、簡易式連結器(後述)の下部に、開業以来の保線用貨車を牽引するため、ねじ式連結器を併設していた。下津井電鉄では開業の時点で2基のバッファーを備えるねじ式連結器を採用しており、貨物列車については電化後もねじ式のまま全線廃止まで維持された。ただし、同社では連環連結器と螺旋連結器を併用するのが正規の連結手順であったが、路線短縮後は貨物列車の使用が保線用に限られたためもあってか、ほとんどの場合連環連結器のみを使用して螺旋連結器を使用しなかった。また、下津井電鉄は1927年単端式気動車導入時にピン・リンク式連結器を気動車専用(軽量化の必要から、バッファーが重いねじ式は忌避された)として導入し、さらに1930年代に入り2軸ボギー式大型ガソリンカーを導入した際には簡易式連結器を導入してピン・リンク式連結器を駆逐、これを気動車→電車の標準連結器として路線全廃まで使用している。

タイ王国

背景

1897年3月26日クルンテープ - アユタヤ間 (71.08km) が開業し、タイ国有鉄道の歴史が始まった。この時採用された連結器は「ねじ式連結器」であった。その後タイ国鉄は急速に発展し、東北線北線軌間はいずれも1435mm)と路線を延伸していった。次の幹線である南線(この段階では従来の路線とは、接続されておらず又、その計画も無い独立路線であった。南線の軌間は1000mmで建設されており、従って車両も相互の行き来がなかった上、したくても軌間が違う為不可能であった。)が 1903年6月19日に開業した。この線で採用された連結器は「ABC式(フック式)連結器」であり、タイ国鉄は2種類の連結器と2種類の軌間を使用していくことになる。その後1920年から10年がかりで、1000mm軌間への統一化工事が行なわれ[72]、この際「ねじ式連結器」もすべて「ABC式連結器」に変更された[73]。また南線と北線が1927年に、チャオプラヤー川に掛けられたラーマ6世橋によって結ばれた(軌間及び連結器の統一化が、大いに寄与することになった)。以上の経緯よりタイ国鉄の車両はすべて「ABC式連結器」、1000mm軌間となったが欠点が無かったわけではなかった。

  • 連結や解放の際には、フックを上げ下ろししなければならない。(作業者が車両間に入る為危険度が高い)
  • 走行時の振動等でフックが外れ、列車分離が発生する事がある。
  • 連結器の強度上の問題により、牽引定数が少ない(300t程度、2軸貨車で15両程)。この為山間部では列車を分割し登って行く。

以上の諸問題解決の為自動連結器化が採択された。

実施

これらの弊害を克服するため、1957年末より路線毎に車歴30年未満の車両、合計5745両に対して並形自動連結器への交換が実施された。実施に当たり、日本の実績を参考にするため国鉄技師を日本で学ばせた。路線は北線、東北線、南線の順に行われ1960年に約3年がかりの自動連結器交換作業が完了した[74]

結局タイでの連結器交換は、「ねじ式連結器」から「ABC式連結器」、「並形自動連結器」へと2回の交換が行われ今日に至っている。

尚タイ国鉄は、西日本旅客鉄道(JR西日本)より鉄道車両(キハ58系12系14系24系)の譲渡を受け軌間変更の改造は行う必要があったが、連結器そのものは交換することなく使用されている。

脚注

注釈

  1. ^ この問題は勾配区間で顕著になり、400 t程度の編成でも25 (1000分の25)の勾配に差し掛かると勾配抵抗だけで10 tに達するため、補機を後につけなければ連結器破損の危険があった。
  2. ^ 日本以外の狭軌鉄道ではオーストラリアのクイーンズランドが2本バッファー方式を採用している。
  3. ^ 客車に連結する貨物列車に限り特例を認めるという趣旨がこの後にあるが省略。
  4. ^ 連結器にたるみがあると発車時に機関車が動き出した瞬間、連結器がいきなり緊張して、まだ停車している牽引車両の全重量が、機関車の連結器に一気にかかるため、連結器の構造上破損の危険性が高いことと、牽引される車両側の連結器に次々牽引力がかかるので衝撃が起きるため。ただし、旧式貨物・入換機などはこの調節がそもそもできないリンク式連結器を蒸気機関車末期の頃まで使用しつづけているものもあった。[12]
  5. ^ 森林鉄道・産業鉄道用小型機関車では、一般に連結器本体を取り外しても台枠に落とし込みピンとリンクに対応したスリットがあるため連結可能であるが、この場合は急曲線通過を容易にするために首振り可能なこの連結器を併用している。
  6. ^ なお「技術随筆 汽車の今昔14『17.連結器』」((朝倉1980-4)p.98)では「1893年に法律を持って全部の連結器を自動連結器に変えることが制定され、1900年までに実施された。」と微妙に年代が違う話が乗っている。
  7. ^ 採用路線の来歴(鞆軽便鉄道の発起人のなかに雨宮亘がいた)などから大日本軌道の関与の可能性が指摘されている[16]
  8. ^ 他には熱海鉄道や信達軌道の蒸気機関車、堀之内軌道運輸など。
  9. ^ 特に日本で「朝顔形」と呼ばれるものに最も近い形状のピンリンク式は、英語名を“Johnston coupler”という。
  10. ^ 厳密には単に錠揚げという部品はなく、上作用式であれば上錠揚げ、下作用式であれば下錠揚げとなる。
  11. ^ 錠揚げは錠の後方に接続されているため、これによって錠を持ち上げると錠は前方に傾く。この傾きにより錠の後方が連結器体の内部に引っ掛かることで、錠は落ちずに上がった状態が維持される。
  12. ^ 「並形」は取付部の種別としても存在することに注意が必要である(ほかには「座付」「継手付」「横コッタ式」などがある)。
  13. ^ 阪急電鉄の一部や、高松琴平電気鉄道デカ1形のものが見られる。
  14. ^ 柴田式自動連結器相互の場合。
  15. ^ 国鉄ではこのクラスを要する客車の車体側緩衝装置が未対応であったため、採用は派生型である後述の密着式小形自動連結器が、気動車向けおよび私鉄電車向けに先行した。
  16. ^ 実際には左右方向の回転軸と上下方向の回転軸が別途設けられていることが普通である。
  17. ^ このうち京成電鉄は2025年登場の3200形(2代)にて電気連結器つきの密着連結器に移行。東急電鉄は前述通り5000系(2代)以降の20m車は並形となったが、それ以外の形式については小型密自連を継続している。
  18. ^ 1931年11月17日出願、1933年1月19日実用新案公告。実用新案としての登録名は「自働連結器」。江若鉄道キニ9形で採用され、以後、加悦鉄道池田鉄道淡路交通鉄道線、中国鉄道(津山線吉備線の前身)の気動車に採用例がある[37]
  19. ^ 特許法保護期間中のため日本車輌製造製の純正品を購入したと考えられる[38]
  20. ^ 下津井電鉄では1960年代以降2両あるいは3両固定編成化が進んだが、これらの各固定編成の連結面間は棒連結器で連結されていた。
  21. ^ 例として、キハ281系キハ100系・キハ110系キハ75系キハ187系キハ121系・キハ126系キハ122系・キハ127系1200形1500形2000系キハ200系キハ72系E26系の中間部などに採用された。また、キハ201系731系との協調運転による併結前提で製作されたため、必然的に密着連結器を採用している。
  22. ^ 自動連結器では事前に錠を持ち上げて錠揚げ位置にする必要があったが、この連結器ではその必要はない。
  23. ^ 線路方向。回り子は解放テコを引ききった状態(位置)での形状を示す。
  24. ^ すなわち、摩耗の少ない状態においては最後(=解放時の位置)までは回り込まないようになっている。
  25. ^ なお、営業運転で分割・併合を行うためには、乗務員室内の遠隔操作にて連結器の解結操作や連結器カバーの開閉を行う分割併合装置が必要となる。そのため新製時には未搭載であった200系には、分割併合装置取付改造を実施した。400系E2系(J編成およびN21編成)・E3系E4系E5系E6系では、新製時から分割併合装置を搭載している。その後新幹線E4系のように、営業運転中に分割・併合を行なわずに2編成連結で運行したり、新在直通運転以外の列車であっても途中駅で編成を連結する列車も登場した。
  26. ^ 都営地下鉄は下1本、西武鉄道は下3本とそれぞれ新幹線相当の形であるが、仙台市・札幌市・大阪モノレールは上1本で上下反転したような形、Osaka Metroは上下2本で下が出っ張った特殊形状、阪急は上下6本で四隅が欠き取られた形となっている。
  27. ^ 大江戸線車両牽引用の機関車であるE5000形を含む。
  28. ^ 通常の先頭部は自動連結器である。6000系以降では通常の柴田式を採用。
  29. ^ 20000系2次車以降は半永久連結器に統一。
  30. ^ モワ11・12(2代目)およびこれの置き換え用であるモト77・78が該当。五位堂検修車庫への回送に際しプッシュプルで使用される。
  31. ^ これについては以前にそれら路線の検修を受け持っていた工場になぞらえて、小型のタイプが緑木形、大型のタイプが森之宮形と呼ばれている。
  32. ^ 銚子電鉄1000形電車は、回送時に他系列の電車や機関車と連結するほか、自動連結器を装備したトロッコ客車ユ101澪つくし号を牽引・営業運転を行う際にも中間連結器を装着する。
  33. ^ このうち東京都交通局および京成電鉄は電気連結器を併用した形式を後年導入した際、当該形式以降は密着式小形自動連結器から密着連結器に移行した(後述)。
  34. ^ 相鉄ではこれに加えて自社線内専用の10000系でもリニューアルに際して両先頭車へ設置している。
  35. ^ 厳密には76度
  36. ^ この2両は、いずれも車籍のない機械動車扱い。
  37. ^ 連結器の高さを(編成内全体で)下げて対処していることもある。
  38. ^ ばねの端にある3個のくさび形摩擦子が押し込まれた際に擦れ合う丙種引張摩擦装置、内輪と外輪の輪ばねが力がかかると外輪ばねの直径が拡大し、内輪ばねの直径が収縮して擦れるように配置する輪ばね式緩衝装置(30t甲(小型)・30t乙・50t)などがある[55]
  39. ^ 後述の名古屋鉄道などの例外を除けば、電気連結器の装備はほぼ密着連結器への転換を意味していた。京浜急行電鉄は前述通り密連→自連→電連つき密連という動きを辿ったが、その直通先でも東京都交通局は5300形から5500形への車両の代替によって密着式小形自動連結器から電気連結器併設の密着連結器に転換した。京成電鉄も連結・解放および組み換えを容易にする設計となった3200形(2代)にて電気連結器併設の密着連結器を採用した。
  40. ^ 水切り板は向かい合う車両のどちらか一方にのみ設けられるようになっている(水切り板あり同士の連結は不可)。例えば西武鉄道では飯能・西武新宿方に水切り板があり、池袋・本川越方には水切り板がない。
  41. ^ ほぼ瞬時にねじ式連結器を引っ掛ける手順が決められていたため、強度引き上げ(=金具の大型化)がほぼ不可能である。
  42. ^ そのため路線毎に連結器の方向が決められていた[60]
  43. ^ ヨーロッパでは上の写真の通り片方のねじ式連結器で済ませているため、このような問題とは無縁である。ねじ式連結器の連結・解放のしくみの写真参照。
  44. ^ なお、本州と九州で交換日が分かれているのは、朝倉によると深い意味はなく単純に「作業人員の不足」だという[62]
  45. ^ 北海道の自連への変更は以下の通り。
    まず1880年(明治13年)に幌内鉄道(後に払い下げられ後述の「北海道炭礦鉄道」になる)が建設されるが、この時はミラー式連結器(ピン・リンク式の一種)が採用された。その後北海道官設鉄道がねじ式連結器で開業したため、北海道炭礦鉄道と北海道官設鉄道でお互いの車両が直通できない問題が生じ、1899年(明治32年)に両方ジェニー式自動連結器を採用した。
    ただし、北海道炭礦鉄道の車両は車輪が小さく、元々使用していたミラー式連結器の位置も低いため自連もそれに合わせて低い位置になった[13]
  46. ^ 当時の青函連絡船では、貨車搭載可能な車両渡船「翔鳳丸型」の建造・導入が連結器交換に先行して進められており、翔鳳丸型連絡船は1924年中に計画された4隻すべてが就航した。また車載用可動橋を備えた新たな桟橋も1925年の連結器交換に相前後して完成した。
  47. ^ 宮崎交通線1949年からの国鉄車両直通まで使用し、淡路交通鉄道線は電車化(1948年)以降も貨物列車はそのまま、静岡鉄道秋葉線は廃線(1962年)まで、貝島大之浦砿専用線では線内専用車についてはねじ式を閉山(1976年)まで使用した。また、静岡鉄道デワ1形はいつまで車両そのものが使用されていたのか不明(車検は昭和55年12月に切れている)だが、現在も無蓋貨車ト1形と共にリンク式連結器を装備(ト1は片側のみリンク式)したまま保存されている[70]
  48. ^ 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』P137の写真より1974年時点でねじ式連結器であることが確認できる。
  49. ^ この事情から、他地域から紀勢中線に搬入された車両についても、自動連結器からねじ式連結器への変更が実施された。

出典

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参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク


電気連結器

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:06 UTC 版)

国鉄70系電車」の記事における「電気連結器」の解説

戦前旧形国電ジャンパ連結器は、高圧通しとして1のKE1を1基装備し直流100 Vの制御回路などの低圧通しは、大阪鉄道局の車両では12のKE52を2基装備し東京鉄道局の車両では7のKE50を3基装備していたが、これも戦後にKE52の2基装備改造されていた。本系列ではこれらの車両と混結して運用するため、同じKE1を1基とKE52を2基装備したほか、クハ76形関西配属となったモハ70形にはこれに加えて7のKE50Aを1基装備した

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