明神電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/03 18:00 UTC 版)
明神電車(めいしんでんしゃ[1])は、かつて兵庫県養父郡大屋町(現在の養父市)・朝来郡朝来町(現在の朝来市)の明延鉱山にあった鉱山用軌道である。明延(あけのべ)と神子畑(みこばた)を結ぶことからその名がついた。
- ^ 岡本憲之編『全国軽便鉄道失われたナローゲージ物語300選』JTB、1999年、p.194頁。ISBN 4-533-03198-6。
- ^ 岡本憲之著『一円電車と明延鉱山』神戸新聞総合出版センター、2012年、p.28
- ^ これに伴い、10トン級電気機関車と4トン積鉱車が導入されている。
- ^ “近代化産業遺産 明延一円電車”. 養父市. 2021年5月4日閲覧。 “昭和24年 客車の乗車料金を50銭とする。”
- ^ “まちの文化財(82) 一円電車は走る”. 養父市. 2021年5月4日閲覧。 “昭和27年から昭和60年まで33年間も、料金1円で人々を運びました。これが一円電車です。…(中略)… 本当の料金は、鉱山の人は1円、鉱山外の人は10円でしたが、一円電車が有名になりすぎたので、全員1円になったともいいます。”
- ^ 日本交通公社時刻表編集部『あなたも名探偵 時刻表クイズ』日本交通公社出版事業局、1986年、202頁。ISBN 4-533-00613-2。"なお、昭和60年(1985)10月まで兵庫県養父郡の明延鉱業にあった鉱山専用電車は一般客が10円で、社員とその家族がなんと1円という"。
- ^ 本来は99銭の設定であったが、新円切替後は正しく支払うのに必要な通貨が存在せず徴収不能のため、便宜上1円としたという。
- ^ 当線最大級の 10トン級電機であったNos.1 - 3の3両を改造し常時2両を使用、1両を検査予備として間に 5トン積グランビー鉱車を挟んで1編成を構成した。なお、車載不能であった機器は隣に連結された背の低い有蓋貨車に搭載された。
- ^ “「一円電車」復活へ 地元住民、線路整備に汗”. asahi.com (2010年10月4日). 2010年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月8日閲覧。
- ^ “明延鉱山 一円電車”. 養父市立あけのべ自然学校. 2020年8月1日閲覧。
- ^ a b “「将来は一円電車を」明延鉱山跡のトロッコ軌道 養父市が枕木交換進める NPO「早く走らせたい!」”. 産経ニュースWEST. (2015年4月10日)
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