廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 00:12 UTC 版)
詳細は「廃線後について」の節を参照 2014年(平成26年)3月24日 : 廃線跡の小坂町に所在するレール跡の敷地・橋梁・踏切、および駅舎と車両を小坂町に無償譲渡し、旧小坂駅構内の土地を小坂町と賃貸契約した。 4月1日 : 廃線跡の大館市に所在する敷地・建物を大館市に無償譲渡した。 11月2日 : 廃線跡にパナソニックが同社の乾電池「EVOLTA」を動力源とした車両を走行させるイベントを実施。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 10:12 UTC 版)
多くの電気機関車・客車・バッテリーカーなどは、養父市立あけのべ自然学校に車両が保存されているほか、一部は、集落の南谷郵便局前にも保存されている。2010年10月からは、毎月第1日曜日に動態保存が行われることが報じられた。その後、養父市立あけのべ自然学校でバッテリートロッコの運転が実施されたが、枕木の老朽化等により2011年7月以降は運行を休止している。地元の養父市では2015年夏までに枕木の交換を完了させ、車両の動態保存を進めるNPOでは完了次第トロッコの運転を再開し、将来の「一円電車」動態運行をめざしている。 一部の車両(機関車・客車・貨車)は、道の駅あさご内に展示されている。道の駅あさご・フレッシュあさご・但馬のまほろばで、一円電車のペーパークラフトや道の駅訪問記念きっぷの裏面デザインに、一円電車を印刷されたものも販売された。 また朝来市内にある明延鉱山神子畑選鉱所跡は史跡公園に整備され、一部、公園内にレール等が保存されており、史跡公園 - 道の駅あさご間に、橋梁跡やトンネル、廃線跡などの遺構が残っている。道の駅あさご - フレッシュあさご間の国道312号線沿いには、明神鉄道で使われていた鋳鉄橋が保存されている。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 06:04 UTC 版)
光明電気鉄道の田川駅 - 二俣口駅間の廃線跡地は、後の1940年(昭和15年)に鉄道省二俣線野部駅 - 遠江二俣駅間(現・天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線豊岡駅 - 天竜二俣駅間)が建設される際に敷設用地として転用され、途中にあった伊折トンネル、神田トンネルはそのまま現在に至るまで使用されている。伊折トンネルと神田トンネルの天井付近には架線を吊っていた金具が残っている。このうち、神田トンネルは国の登録有形文化財に登録されている。なお、同線には1955年(昭和30年)に上野部駅が新設されたが、光明電気鉄道の野部駅の位置ではなく、神田公園前駅があった付近に置かれている。天竜二俣駅の構内の外れには二俣口駅跡のプラットホームが残っており、2016年(平成28年)に浜松市の地域遺産に認定された。そこから先の区間は阿蔵トンネルがほぼ当時のまま残されているが、両坑口は民有敷地内となっており、さらに奥では落盤による崩落が発生している。二俣町駅の辺りには現在秋野不矩美術館が建てられているが、線路、駅の痕跡は消失している。 その先の未成線に終わった区間は、大谷地区に一部路盤が残っている。その奥にあった大谷トンネルは南坑口が市民の森遊歩道整備に伴い埋め立てられているものの、北坑口は深い藪に覆われながらも現存している。ただし、坑口すぐのところで天井が崩壊しており内部立ち入りは不可能である。それより先、最終目的地であった船明駅までの築堤は南半分が区画整理事業に伴う整地により失われたが、北半分は国道152号のバイパス用地となった。 ちなみに、大谷トンネルは太平洋戦争初期は軍の弾薬庫、後期は日本楽器製造(現・ヤマハ)の疎開工場として使われた。 一方、新中泉駅(現・磐田駅構内)から野部駅(現・豊岡駅)までの廃線跡地は一部が宅地や田畑になっているものの道路として辿れる部分も多い。この区間にあった路線中最長の気賀坂トンネルは西側坑口の一部が残存しているものの、東側坑口は静岡県道44号磐田天竜線改良工事に伴い完全に土中に埋没している。しかしトンネル落盤による地盤陥没の恐れがあるため、トンネルの真上に当たる部分の一部が県道脇の防水シートに覆われた細長い更地となっており、間接的に存在を偲ぶことができる。磐田駅周辺の廃線跡は近年の大規模な区画整理の実施によりほとんど消滅しているが、以前は駅から反れるカーブした線路跡が市道として残っている場所が存在した。 なお、当路線と似たような経路で遠鉄バスの30 磐田天竜線が磐田駅 - 二俣町 - 山東を結んでいる。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 10:20 UTC 版)
廃線後、東明駅付近から我路ファミリー公園までの約4.5kmの区間は1980年(昭和55年)にサイクリングロードとして整備され、2017年時点でも散策イベントが行われていたが、落石の危険やヒグマの出没が相次いだことなどから2018年頃に廃止された。2022年現在、道は存在するものの事実上通行不可能な状態である。 美唄市郷土史料館において特別展「美唄鉄道の60年」が2021年2月5日 - 4月11日開催された。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 02:35 UTC 版)
上田丸子電鉄西丸子線の駅は廃止後、消滅しているか完全な形で残っていないケースがほとんどな中で当駅跡は平成25年まで上田バスが運行する代替路線バスのバス停として待合室等が完全な形で残っていた。しかし、道路整備事業のため平成26年に電車時代からの待合室等が取り壊された。その後はバス停が設置されている場所が駅のあった場所を伝えている。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 19:27 UTC 版)
南海電気鉄道は第1次廃線後に紀三井寺営業所を新設、赤茶とクリーム色に塗り分けられた60台の大型ワンマンバスを導入、さらに第2次廃線後に104台の大型ワンマンバスを導入し代替運行に対応した。1976年、新設された南海電気鉄道グループの和歌山バスが南海からこれを受け継ぎ、ほぼ同経路(かつほぼ同じ停留所)で「和歌山市内線」の運行を行っている。また、車庫前停留所は、2021年6月までバス停名として「車庫前」のまま使用されていた。バス路線は現在も堀止 - 高松間は中央通り(国道42号)経由ではなく、併用軌道だった旧道を経由する。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:48 UTC 版)
「国道66号線 (アメリカ合衆国)」の記事における「廃線後」の解説
廃線後、道路は様々な形に転用された。国道66号線の沿道の多くの都市では、道路は州間高速道路を補完する通勤道路(en:Business route)となった。州道、郡道、市町村道、私道となった部分もあった。道路としては完全に使われなくなった部分もあった。一方で、ミズーリ州スプリングフィールド・オクラホマ州タルサ間のように、保存されている部分も数多く存在する。現在でも、ルートの80%以上は緻密な計画のもとに車でたどることができる。 この国道の66という数字は各州の州道に引き継がれている。ミズーリ州道66号線(英語版)、ミズーリ州道266号線(英語版)、ミズーリ州道366号線(英語版)はすべて国道66号線のルートであった。オクラホマ州道66号線(英語版)は近くを通るターンパイク(有料道路)の無料のバイパスとしての役割を果たしている。アリゾナ州ではアリゾナ州道66号線(英語版)となり、キングマンへと通じている。ロサンゼルス東郊のサンバーナーディーノなどいくつかの都市では、フットヒル大通り(Foothill Boulevard、en:Foothill Boulevard (Southern California))をカリフォルニア州道66号線(英語版)としている。また、郡道や市道でもこの66という数字を引き継いでいるものは少なくない。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:29 UTC 版)
「太平洋石炭販売輸送臨港線」の記事における「廃線後」の解説
2020年5月時点で線路は撤去済みであるが、地元有志が踏切の廃材や写真などの資料、運行母体の新太平洋商事が旧春採駅で保管している車両(機関車4両、貨車28両)を産業遺産として観光などに活用することをめざしている。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 10:15 UTC 版)
しばらく駅舎やホームは残されていたが、手付かずだったため駅舎は廃墟同然となり、構内も藪化して完全に荒れ果てていた状態であった。駅舎は老朽化が著しく倒壊の恐れが出たため2006年3月26日に解体された。残されたホームも2010年7月頃に撤去され、現在は更地になっている。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 10:11 UTC 版)
廃線後もしばらくはホーム、駅舎、線路が取り払われずに残されていたが、2005年頃に駅舎と線路が撤去され、現在はホーム跡の築堤が残るのみである。また、駅前の踏切跡には駅舎の撤去後もしばらく線路が残されていたが、こちらも全て撤去された。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 23:17 UTC 版)
廃線となった翌年の1979年(昭和54年)、多治見市は線路跡を自転車専用道路・歩行者専用道路として整備することを決定し、平和町 - 滝呂町の整備を行い1998年(平成10年)完成した。2006年(平成18年)多治見市は笠原町と合併したことから、合併記念事業として滝呂町 - 笠原町の延長整備が行われている。この専用道路は「陶彩の径」と名付けられ、沿道には桜が植栽されたことから桜の名所となっている。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 23:22 UTC 版)
廃線後ホーム・線路は撤去され、跡地は空き地となった。1985年10月、国鉄夕張駅がこの空き地へ移転した。1990年12月、同駅がホテルマウントレースイ前に移転し、以後再び空き地となっている。駅舎は夕張市民会館と合築の建物で夕張市が所有。隣接する夕張市役所の建物と渡り廊下でつながっている。
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廃線後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 08:31 UTC 版)
「三木鉄道ミキ300形気動車」の記事における「廃線後」の解説
比較的新しい車両であるため、2008年4月1日の三木鉄道廃止後の去就が注目されていたが、三木市では1両を保存、残り2両を競売にかけることとした。まず同年10月1日に1両(ミキ300-105)が3470万円で樽見鉄道が落札するが、他の1両(ミキ300-104)は最低売却価格を下回り相対交渉に回った結果、10月30日に1785万円で北条鉄道に売却されることが決まる。12月8日に北条鉄道向けにミキ300-104、12月9日に樽見鉄道向けにミキ300-105の搬出が行われた。 樽見鉄道に譲渡されたミキ300-105はハイモ295-617として2009年3月1日に、北条鉄道に譲渡されたミキ300-104もフラワ2000-3として同年4月に運用を開始した。譲渡車2両はいずれも三木鉄道時代の塗色のまま運用を開始した。 ミキ300-103は保存を前提に旧三木駅構内の車庫で保管されていたが、2009年6月になってひたちなか海浜鉄道へ500万円で譲渡され、同年8月よりそのままの形式名・車番・塗色で運用を開始した。内装等も変えておらず、再塗装の際車番のフォントが変更された程度で塗色は全く同じ色にしている。今後も変更しないという。2019年にROCK IN JAPAN FESTIVAL20周年及びひたちなか市市制施行25周年記念事業の一環として「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2019」のラッピング車となり、この際新たにスノープラウが水色に塗装された。同事業のラッピング車としての運行終了後、しばらく運用を外れた。2020年6月、スノープラウの水色塗装はそのまま残したものの三木鉄道時代の原塗装をラッピングシールで再現し、運用に復帰した。 なお、北条鉄道フラワ2000-3(元ミキ300-104)については2012年(平成24年)2月限りで、樽見鉄道ハイモ295-617(元ミキ300-105)についても2014年(平成26年)9月限りで、三木鉄道塗色での運用を終了している。
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