なんかい‐でんきてつどう〔‐デンキテツダウ〕【南海電気鉄道】
南海電気鉄道
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南海電気鉄道株式会社(なんかいでんきてつどう、英: Nankai Electric Railway Co., Ltd.)は、大阪市の難波から関西国際空港や和歌山県北部の和歌山市、高野山までを結ぶ鉄道[3]を経営する会社。総営業キロは154.8 km。日本の大手私鉄の一つであり、純民間資本としては現存する日本最古の私鉄である。南海グループの中核企業で、一般には「南海」または「南海電鉄」と略され、また「南海電車」の呼称もある[注釈 1]。
- ^ 現行社章が制定された1972年(昭和47年)にロゴタイプを「南海電車」から「南海電鉄」に変更している[4]。
- ^ 1954年の東証上場廃止以来、長きにわたり東証には上場していなかったが、2008年3月21日をもって東京証券取引所第一部市場に再上場した。かつては大証一部にも上場していたが、東京証券取引所との現物株統合に伴い2013年7月12日をもって上場廃止となった。また、名証一部についても南海電鉄独自の判断により2013年12月15日をもって上場廃止となった[6]
- ^ a b 後述の南海分離後、2015年に持株会社に移行して近鉄グループホールディングスとなり、新設の近畿日本鉄道に鉄道事業を分割した。
- ^ 南海電気鉄道車両部・井上広和『日本の私鉄9 南海』(保育社、1981年)などでは12月27日としているが、『日本鉄道史 上編』(鉄道省、1921年、国立国会図書館デジタルコレクションより)p.762によると12月27日は開業式を行った日で、営業開始は12月29日からとある。国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』では12月29日が運輸開始年月日となっている。
- ^ 『開通五十年』p.31原文ママ、「浜寺」と「浜寺公園」は同一の駅で、明治38(1905)年時点では「浜寺駅」、明治40年に改名しているので『開通五十年』が書かれた昭和11年(1936年)時点では「浜寺公園駅」がそれぞれ正式名。
- ^ レイ吉村は、1975年には南海ホークスの身売り先となったダイエーの2代目ロゴを手がけていた。
- ^ 阪堺電気軌道の場合、南海現行社章に近いデザインのものをシンボルマークと別に社章として継続使用している。
- ^ 難波駅 - 極楽橋駅間は63.8 kmで、このうち難波駅 - 岸里玉出駅間 3.9 kmは南海本線乗り入れ区間。
- ^ このため、他の関西の大手私鉄は、自社路線でこれらのうち複数の都市の地下鉄事業者の路線と乗り換え可能だが、南海は大阪市のOsaka Metroしか乗り換えできない。
- ^ a b 大阪駅地下ホームは、供用開始以前(計画時)は「(仮称)北梅田駅」とされていた[66]。
- ^ なお、阪神とは梅田地区と難波地区に位置する駅名が異なっている。難波側は阪神では大阪難波駅、南海では難波駅と仮称南海新難波駅、梅田側は阪神では大阪梅田駅、南海では大阪駅となる。
- ^ 沿線の堺に所在し長年車両を発注していた帝國車輛工業が東急車輛製造に吸収合併され、かつ同社大阪製作所となった旧帝國車輛工業での車両製造が打ち切られたため、以後は東急車輛製造横浜製作所および後身の総合車両製作所横浜事業所で製造された車両を輸送している。また、6000系製造当時はライセンスの関係で東急車輛製造以外にはオールステンレス車を製造できなかったことも影響している。
- ^ 運行開始時点では臨時列車の扱いであった。
- ^ すなわち関西空港駅発着の-急行-を空港急行と呼んでいることになる。
- ^ 日本の公共交通機関で最初に導入したのは茨城交通の高速バス「勝田・東海―東京線」で、2020年7月29日導入である。また鉄道では、京都丹後鉄道の先例がある。
- ^ これらのうち大阪難波駅(近鉄・阪神共用、近鉄管理)および大阪上本町駅は2009年3月20日から、神戸三宮駅は2013年12月21日(阪急)並びに2014年4月1日(阪神)から、大阪梅田駅と京都河原町駅も2019年10月1日からそれぞれ正式な駅名となっている。
- ^ 京阪でも2003年までは「大阪淀屋橋」「京都出町柳」と案内していたが現在は大阪と京都は付けていない。ただし、2017年8月から電光掲示板や一部車両の行先案内表示では淀屋橋駅と出町柳駅に限り大阪と京都をそれぞれ付けている。
- ^ 中百舌鳥駅付近に相互乗り入れ先である泉北高速鉄道線の地下トンネルがあるため、南海の車両が地下線に全く乗り入れないという訳ではない。
- ^ なお、東武鉄道は唯一の地下駅である押上駅が東京メトロの管理のため、自社管理の地下駅が存在しない。
- ^ 1つの施設を複数の鉄道事業者で共同管理する駅は、日本では少なく、他には相模鉄道と東急電鉄が共同管理している新横浜駅程度である。
- ^ 他の関西の私鉄では、阪急電鉄が南海と同じく旧三和銀行時代の、近畿日本鉄道が旧三菱銀行時代の取引を継承して三菱UFJ銀行をメインバンクとしている。
- ^ 髙島屋の第115期有価証券報告書によると、保有株式は1,007,002株であり、全体の0.89%となる。
南海電気鉄道(廃止)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 09:48 UTC 版)
南海平野線の阿倍野駅は、阿倍野交差点の東南の角にあった。現在は、大阪市道津守・阿倍野線の道路の一部となっているため、併用軌道上にあった駅のように見えるが、当時は阿倍野交差点東側の大阪市道津守・阿倍野線は片側一車線で、その南側が平野線の専用軌道となっており、同線の阿倍野駅もその専用軌道上にあった。 また、平野線の阿倍野駅は、1929年に上町線との直通運転が開始される頃まで交差点西側の現在阿倍野図書館・阿倍野区民センターがあるところの前の併用軌道区間にあり、この阿倍野図書館・阿倍野区民センターがあるところにかつて阿倍野斎場(火葬場)があった経緯から、上町線の阿倍野駅と区別するため、「斎場前」という副称が廃止されるまで付いていた(交差点の名前も以前は「斎場前」であった)。
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