列車脱線事故
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列車脱線事故(れっしゃだっせんじこ、Train derailment accident)とは、列車の車輪のフランジ部分がレールの上を乗り越えて反対側に落ちることによって生じる事故[2]である。
- 1 列車脱線事故とは
- 2 列車脱線事故の概要
- 3 アメリカ合衆国における列車脱線事故
列車脱線事故
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「サンバーナーディーノ列車脱線事故」の記事における「列車脱線事故」の解説
1989年5月12日午前7時36分、カホン峠を下ってきたサザン・パシフィック鉄道の貨物列車(機関車6両+貨車等69両、SP 7551 East 列車)が高速で脱線転覆し、さらに「ダフィー・ストリート」と呼ばれる住宅地に突っ込んだ。事故現場はカホン川低地帯とフットヒル・フリーウェイ(ルート210)の交差部のちょうど北東部にあたる。 この事故により、列車先頭の本務機関車4ユニットの第1ユニット乗務の車掌と第3ユニット乗務の制動手、および沿線住民2名が死亡した。また、列車は全ての車両が損壊し、沿線の7棟が倒壊した。この事故は、モハベ駅の係員が列車重量の計算をミスしたことに加え、機関士および乗務員らが誰も複数の[要検証 – ノート]後部補機の発電ブレーキが故障していることに気づかずに、制動力が不足したままの状態で下り勾配にさしかかったため、加速を止められずに列車が暴走したことが原因である。 下り勾配で速度が落ちないことから、機関士がブレーキが効いていないことに気づいて非常ブレーキかけたが、実はこの非常ブレーキ操作によって自動的に発電ブレーキが解除されたため、かえって列車は速度をより上げる結果となった。そして、列車はダフィー・ストリート手前のカーブで時速約177キロメートル(時速約110マイル)まで加速し、先頭部の機関車(本務機)および何両もの貨車が沿線の住宅に脱線衝突した。サンバーナーディーノを通過する列車の速度制限は時速56キロメートル(時速約35マイル)である。 機関車から回収されたブラックボックスの解析により、先頭部の第3機関車ユニットについては、実際には発電ブレーキの動作音がしていたにも関わらず発電ブレーキが故障しており全く効かない状態であったことが明らかとなった。また、複数機関車からなる後補機を運転していた機関士が自身が運転するそれら機関車のブレーキに異常があったにもかかわらず、本務機に対してその報告を怠っていたことが事故後明らかとなった。この事故の背景は、重量計算ミスおよび乗務員同士のコミュニケーション不足、ブレーキ装置の不良という複数の要因が介在しているが、結果として、機関車の制動能力を超えた過積載の貨物列車は、下り勾配で重い貨車が機関車を押し下げて急激に加速し大幅に速度超過に陥り、この速度に対してダフィー・ストリート手前のカーブの線形があまりに急カーブであったため、列車は線路に沿ってカーブを曲がりきれずにそのまま脱線・暴走した。
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