鶴見臨港鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 19:42 UTC 版)
鶴見臨港鐵道(つるみりんこうてつどう、英語: Tsurumi Rinko Railway Co., Ltd)[4]は、かつて東京都麹町区丸ノ内[5]一丁目に本社を置き、地方鉄道事業・軌道事業等を行っていた、浅野財閥系の鉄道事業者である[1]。戦時買収私鉄の一社[1]で、東日本旅客鉄道(JR東日本)鶴見線の前身にあたる鉄道路線や、海岸電気軌道から継承した軌道線を運営していたが、1937年に軌道線を廃止し、1943年には保有していた鉄道線全線が戦時買収により国有化された[1]。
- ^ a b c d e f g h i j “沿革”. 東亜リアルエステート. 2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “鶴見臨港鐵道物語”. 鶴見臨港鐵道物語. 東亜リアルエステート株式会社. 2020年9月7日閲覧。
- ^ a b 東亜リアルエステート株式会社 第132期決算公告
- ^ a b “旧鶴見臨港鉄道についての案内”. 旧鶴見臨港鐵道株式会社. 東亜リアルエステート株式会社. 2022年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “沿革”. 川崎鶴見臨港バス株式会社. 2020年9月7日閲覧。
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年4月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1925年11月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “バス事業への進出と別離”. 鶴見臨港鐵道物語. 東亜リアルエステート株式会社. 2022年5月24日閲覧。
- ^ “増強期 戦後を支えた交通事業、沿線開発の本格化”. 京急歴史館. 京浜急行電鉄. 2020年9月7日閲覧。
- ^ 簡易株式交換による連結子会社の完全子会社化に関するお知らせ - 東亜建設工業
- ^ 加藤新一「鶴見臨港鉄道の買収と払下げ問題」 - 鉄道ピクトリアル1986年12月号
- ^ 原田勝正『南武線 いま むかし』多摩川新聞社、1999年。
- ^ 『バスジャパンニューハンドブックシリーズ 31 小田急バス 立川バス』BJエディターズ、2000年8月1日。ISBN 4-7952-7796-6。
- ^ 『バスジャパン ニューハンドブックシリーズ 27 京王電鉄 京王バス 西東京バス』BJエディターズ/星雲社、1999年4月1日。ISBN 4-7952-7783-4。
- ^ 企業情報 - 沿革 西東京バス公式サイト
- ^ 鶴見を読む 鶴見臨港鉄道 - 横浜市立鶴見図書館HP、会社が1935年に発行した『鶴見臨港鐵道要覧』内の地図に記載あり。
- ^ a b 『管内電気事業要覧. 第11回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
鶴見臨港鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 16:45 UTC 版)
「国鉄1215形蒸気機関車」の記事における「鶴見臨港鉄道」の解説
鶴見臨港鉄道には1924年製の2両(製造番号 10588, 10658)が導入され、302, 301と付番された。同鉄道は、1944年に戦時買収され、鉄道省鶴見線となった。その際、この2両は番号順に1190形 (1190, 1191) となったが、1949年に2両とも廃車となった。そのうち、1190は1950年(昭和25年)に川崎の三井埠頭へ譲渡されて同社の3となり、1968年(昭和43年)10月まで使用された。1191は、東濃鉄道への譲渡が内定したが、同鉄道の電化によりキャンセルされた。 この機関車の運転整備重量は30.2tで、鶴見臨港鉄道時代に石炭庫を運転台背面に移設して、若干形態が変わっている。三井埠頭での用途廃止後は、山梨県南都留郡鳴沢村の河口湖自動車博物館内で保存されている。
※この「鶴見臨港鉄道」の解説は、「国鉄1215形蒸気機関車」の解説の一部です。
「鶴見臨港鉄道」を含む「国鉄1215形蒸気機関車」の記事については、「国鉄1215形蒸気機関車」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 鶴見臨港鉄道のページへのリンク