阪和線とは? わかりやすく解説

はんわ‐せん【阪和線】

読み方:はんわせん

大阪市天王寺和歌山を結ぶJR線堺市(おおとり)・高石市東羽衣間の支線を含む。昭和4年(1929)、阪和電鉄として開業全長63キロ


阪和線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/02 14:44 UTC 版)

阪和線(はんわせん)は、大阪府大阪市天王寺区天王寺駅から和歌山県和歌山市和歌山駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線幹線)である。ほかに通称「羽衣線」と呼ばれる大阪府堺市西区鳳駅から大阪府高石市東羽衣駅までを結ぶ支線を持つ。




「阪和線」の続きの解説一覧

阪和線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)

国鉄103系電車」の記事における「阪和線」の解説

吹田総合車両所日根野支所所属の6両・4両・3両編成があり、阪和線( - 東羽衣間の羽衣支線含む)で使用されていた。 1968年10月1日ダイヤ改正ヨンサントオ)により、関西初の103系となる6両編成4本が鳳電車区配置され当初は主に快速列車使用された。車体色青22号(■ スカイブルーとなった。 阪和線の天王寺 - 間は1965年昭和40年6月から6両運転を開始したが、以南から天王寺運転されている快速列車の朝ラッシュ時混雑1965年昭和40年11月現在で319 %となっていた。さらに以南では1968年度までに26,000戸の住宅開発予定されており快速列車の6両運転を計画していたが、1968年10月改正合わせて設備完成することから6両編成103系快速列車用として投入した103系投入により快速スピードアップ図られ東和歌山(現在の和歌山)- 天王寺間で通勤時間帯9分、日中7分の時間短縮が行われた。103系山手線京浜東北線という緩行線用に使用しており、快速用として使用するのはこのときが初めてである。 1974年には山手線から103系6両編成10本が転入し当初ウグイス色のままで、関西本線101系同じく前面警戒帯としてカナリアイエロー(黄色5号)の帯が配されていた。1976年以降京浜東北線からの103系転入進められ1977年3月15日ダイヤ改正羽衣支線含めた性能化が完了した。この新性能化で3両編成が必要となったため、関西初となるクモハ103形浦和電車区より転入している。旧性能車同年4月14日さよなら運転をもって阪和線での運転を終了した。 阪和線の支線である - 東羽衣間(羽衣線)は3両編成旧形国電により運転されていたが、1977年昭和52年春に阪和線用を含め33両が増備され、同区間用には103系3両編成組成して投入した。この投入により、同年4月14日改正にて阪和線新性能化が完了した3両編成を組むため編成クモハ103-モハ102-クハ103となったが、103系3両編成による運転はこの阪和線が最初ケースとなった1978年紀勢本線和歌山駅 - 新宮駅間が電化され、103系を含む鳳電車区所属車は日根野電車区転出した1980年には、高運転台非ATC車を含む冷房車6両編成3本新製投入された。1986年11月1日ダイヤ改正では短編成・高頻度転化により4両編成登場し101系より改造クハ103形2050番台配属された。 阪和線の103系は、6両編成29本、4両編成17本、3両編成2本の248両がJR西日本継承された。 JR化後1987年6月21日父の日にちなん運転され臨時列車お父さん感謝大漁号」は、日根野電車区103系3両編成の間に同区の165系3両編成挟んだ混結6両編成天王寺駅 - 和歌山駅 - 和歌山市駅間走行した編成クモハ103-モハ102+クモハ165-モハ164-クハ165+クハ1036両編成であった1987年7月1日123系クモハ123-5・6羽衣線投入されると、日中クモハ123形のみ、朝ラッシュ時にはクハ103-194を連結した3両編成での運転が行われた。クモハ123+クモハ123+クハ103という編成で、始発から朝ラッシュ時3両編成日中は1両、夕ラッシュ以後2両編成という柔軟な運用になった羽衣線では1989年10月20日から車内での運賃収受のないワンマン運転103系開始され123系2両とともにワンマン化改造が行われた。 1994年紀勢本線紀伊田辺駅周参見駅への延長運転備えて4両編成4本にATS-SWが設置され識別のため前面白帯設けられた。後にATS-SWが対象全編成に設置されたため区別不要になり、白帯1999年度から2003年度にかけて撤去された。 1995年1月阪神・淡路大震災後先頭車必要になったため、クハ103-194を他線区転用する代わりに森ノ宮区のサハ103-758をワンマン化改造してクモハ123形2両の中間組み込んだクモハ123-5・61995年宇野線クモハ84形置き換えのため岡山電車区転出し羽衣線103系による終日3両編成での運転に戻った2001年にはUSJ開業に伴い6両編成1本が森ノ宮転属され、同車は「ユニバーサルグローブ号(後のセサミストリート号)」となった1999年には8両固定編成登場し同年5月10日ダイヤ改正より朝夕ラッシュ時快速充当された。2003年から2006年まで鳳駅 - 大阪環状線間で運転され区間快速には8両固定編成充当された。 225系5000番台導入により、4両2本併結8両編成2011年3月12日ダイヤ改正姿を消した。このダイヤ改正では関空・紀州路快速増発紀州路快速日根野以南各駅停車が行われ、103系205系日中専ら天王寺駅 - 間の普通列車運用となり、日根野和歌山方面朝夕夜間のみの運転となった2016年平成28年7月からの225系5100番台投入伴って、阪和線の103系同年12月23日4両編成定期運用離脱2017年平成29年7月には6両編成置き換えられ、阪和線本線での運用終了した2018年平成30年3月17日ダイヤ改正では羽衣線用の3両編成225系5100番台4両編成置き換えられ、阪和線の103系運用終了した置き換えられ103系全車廃車となった2017年10月12日、阪和線のHK607編成クハ103-837ほか6両編成)が吹田総合車両所日根野支所から網干総合車両所明石支所回送された。日根野から明石転属し、編成はR2編成となったが、営業運転に入ることなく2018年2月15日付で廃車となっている。

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阪和線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:38 UTC 版)

新快速」の記事における「阪和線」の解説

国鉄時代1972年昭和47年)から1978年昭和53年)まで、阪和線でも新快速運行されていた。 1972年3月15日ダイヤ改正天王寺駅 - 和歌山駅間に設定された。途中停車駅鳳駅のみで、所要時間45 - 51分で阪和間を結んだ最速列車所要時間前身阪和電気鉄道設定していた超特急以来のものである日中の9時台から15時台に1時間間隔運行していた。 車両は、それまで東海道・山陽本線快速新快速使用していた113系が、このダイヤ改正東海道・山陽本線登場した153系ブルーライナー」と同じ塗装灰色9号地に青22号特帯)に変更して投入された。新造車両ではなかったものの阪和線では初めての冷房付き車両で、いわゆる旧形国電中心だった阪和線の中では一際目立つ存在だった。円形羽根付けたデザイン専用ヘッドマーク新調の上装着された。そして1973年昭和48年9月20日関西本線湊町駅現在のJR難波駅) - 奈良駅間が電化されると、関西本線快速車両当時の阪和線の車両配置区所であった鳳電車区所属となり、一部は阪和線と共通運になったため、上記塗装とは帯色だけが異なカラーリング灰色9号地色朱色3号帯色)の「春日塗り」の通称がある「関西快速色(春日色)」の113系充当されようになった。「ブルーライナー」に採用され塗装その後も「阪和色」の通称呼ばれ2012年4月1日団臨運転まで(定期運転は2011年12月上旬まで)使用された。 阪和電鉄以来速達運転を実現した新快速だったが、元々阪和間の直通需要京阪神間に比べる規模小さく利用限られていた。このため1977年昭和52年)には和泉砂川駅熊取駅停車駅追加し所要時間48 - 51になった。しかし、大きく利用状況改善せず、紀勢本線電化された1978年10月2日ダイヤ改正快速統合される形で廃止された。

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阪和線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:22 UTC 版)

国鉄205系電車」の記事における「阪和線」の解説

阪和線には1000番台4両編成 (Tc M M' Tc') が吹田総合車両所日根野支所配置されている。色は■。 1988年昭和63年3月13日ダイヤ改正時における阪和線輸送力増強用として205系1000番台製造されダイヤ改正より早い同年2月22日から営業運転開始した110km/h運転対応のほか、随所JR西日本独自の仕様取り入れているが、5本のみの製造打ち切られた。 前述体質改善工事施工されるまでは、各先頭車前面排障器スカート)が取り付けられクハ205・204-1003の運行番号表示器がLED化され程度で、比較原形保っていた。 2016年夏からの225系5100番台導入により順次置き換えられ1000番台同年12月までに全編成が運用離脱した2017年10月から2018年2月にかけて全編成が吹田総合車両所奈良支所転属され、2018年3月17日ダイヤ改正から奈良線運用開始している。 ← 天王寺 和歌山形式クハ205(Tc) モハ205(M) モハ204(M') クハ204(Tc') 搭載機器 Cont SIV,CP 車両重量24.5t 32.8t 32.3t 24.5t

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阪和線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 16:15 UTC 版)

ホームライナー」の記事における「阪和線」の解説

阪和線では、国鉄時代1984年9月国鉄3例目、近畿圏では初のホームライナーとして「ホームライナーいずみ」が天王寺駅 - 日根野駅間設定された。その後1986年11月天王寺駅 - 和歌山駅間に運行区間延長され列車名も「はんわライナー」に改称最盛期には朝3本・夜5本が運行され近畿圏では最大運行規模となったが、特急増発伴ってライナー減便が行われ、2011年3月ダイヤ改正をもって列車廃止された。車両は「くろしお」用の381系使用された。

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阪和線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:06 UTC 版)

国鉄70系電車」の記事における「阪和線」の解説

緑1号肌色に近いクリーム3号ツートンカラーで「阪和色」と呼ばれた当初塗り分け横須賀線向けとはやや異なり幕板部分までクリーム色で、上部緑色雨樋部分のみであったが、後に横須賀線と同じ塗り分け線に変更し1967年以降にはスカ色に変更された。

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阪和線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:06 UTC 版)

国鉄70系電車」の記事における「阪和線」の解説

戦前阪和電気鉄道時から電車による高速運転を行っていた阪和線は、戦時中荒廃からの復興には時間要したが、1950年京都 - 神戸間急電80系置換え捻出した「流電52系や半流43系3両編成4本を新設特急従来急行投入した。これらの車両利用者から好評であり特急急行増発されたが、利用者の増加ペース速く2扉車ラッシュ時乗降時間がかかるようになった。また買収した阪和形電車依然として運用されていたが、1950年代には国鉄標準仕様への改造工事更新修繕同時に実施していたため工場入場期間が長く車両数慢性的に不足していた。 その一方で1954年南海電気鉄道南海本線特急・急行用オール転換クロスシート、2扉の11001系を投入して阪和線に対して質的優位に立ったため、国鉄も阪和線専用新車投入計画した。 以上の問題点ラッシュ時対応・乗り心地居住性考慮し[要出典]、阪和色の70系4両4編成16両を1955年11-12月に鳳電車区新製配置して特急・急行運用中心に運用開始し、さらに、1957年末から1958年初めにかけて300番台18投入して4両8編成予備2両の合計34両の配置となった。これにより、1958年2月52系と半流線型42系飯田線転出し本系列が阪和線の主力となった。阪和線では国電としては異例となる「特急」「急行」のヘッドマーク掲出して運用されたが、1958年10月電車特急列車「こだま」運行開始紀勢西線直通気動車準急列車きのくに」の新設に伴い、「特急」が「快速」に、「急行」が「直行」にそれぞれ変更された。 1964年までに京阪神緩行線からの転入車含めて4両12編成48両となり、阪和形電車40系などとともに快速直行運用中心に運用続け、翌1965年から天王寺 - 間で快速直行6両編成での運用開始される和歌山寄り阪和形電車40系2両編成増結した。 その後阪和色からスカ色へ塗装変更され1968年からは103系投入され日中快速運用はこれに代替されたため、70系直行から改称され区間快速中心に運用された。 1972年3月に阪和線にも新快速設定され東海道山陽快速113系冷房改造車が鳳電車区転入し本系列は余剰の8両が長野運転所(現・長野総合車両センター)に転出し、さらに翌1973年10月関西本線湊町 - 奈良間電化開業に際して113系予備車の運用を阪和線・関西本線の共通運用としたことにより余剰となった本系12両が長岡運転所(現・長岡車両センター)に転出して、阪和線には28両の配置となったが、40系72系編成組んだ区間快速運用中心に快速から普通までの種別運用された。1974年以降103系113系増備6両編成で、ホーム有効長が4両分の駅が存在する日根野駅以南では快速上の列車種別での運行であったため、4両編成運転されていた同駅以南の各駅に停車する区間快速普通列車本系列をはじめとした旧形電車運行されていた。 その後山手線京浜東北・根岸線からの103系転入進捗に伴い1976年11月日根野以南駅のホーム有効長4両分から6両分延長して羽衣支線を除く阪和線全駅のホーム6両編成対応となり、旧型車も含めて天王寺 - 和歌山間が全て6両編成となったこの際多く旧型車が運用から外れた一方本系列は20両が本系単独もしくは中間モハ72形を組込んだ6両編成区間快速中心に運用された。しかし、1977年3月15日に阪和線の新性能化が完了し4月モハ72とともにさよなら運転実施し廃車となった4両を除く24両が福塩線転出した

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