あかし【明石】
明石
明石(あけし)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 00:47 UTC 版)
明石区は、加悦谷で最大規模をもつ蛭子山古墳や作山古墳をはじめ、明石城址や愛宕城址など各時代の史跡が多く残り、古くから開かれた土地である。野田川の中流域の右岸に形成された地域で、5つの集落で構成される。須代神社と日吉神社を氏神とし、このうち須代神社は、鎌倉時代の作とみられる珍しい木造神像や木造の狛犬を有する古社で、式内社である。付近は弥生時代中期の環濠集落「須代遺跡」とみられ、1983年(明治26年)10月13日に大雨によって境内の裏山で土砂が流れた際に銅鐸が出土した。出土地には標柱が立てられ、銅鐸は京都国立博物館で保管されている。 口碑伝説によれば、須代神社の祭神である須勢理姫命は、野田川を挟んで対岸に位置する三河内地区の氏神・倭文神社の天羽槌雄神の妻であったが、権力者の大国主命の正妃となったために離別させられてしまう。元夫婦の2神は、例祭の時だけ倭文神社でともに過ごすことができると伝えられ、倭文神社の例祭「三河内曳山祭」では、屋台巡行の途中の筋交い橋で、須勢理媛命を呼び戻すための神事「神招き」が行われる。 倭文神社に伝わる伝承によれば、両神社の神々が神木の下に集って宝器を鳴らし、春は根付きを占い、秋は感謝の祈りを捧げた。この宝器が銅鐸だったのではないかとみられる。銅鐸は、倭文神社の裏山からも出土しており、両神社の境内には同時代とみられる古墳が複数存在することからも、関係の深い2社とみられている。 明石地区の祭礼は、宵宮は日没後に区内を巡行する。本宮では、明石公民館に集合した後、そろって日吉神社に巡行して祭礼を行い、続いて庄ヶ崎まで巡行した後に折り返して須代神社で祭礼を行う。巡行の先導を務める神楽は2019年現在は保存会が存在するが、以前は各地区が持ち回りで神楽を担い、さらに古くは倉ケ崎集落が担当していたとの伝承が残る。屋台は4基、「日吉山」を巡行する日産地区以外の3基の屋台はいずれも「須代山」と記す提灯や見送りを飾るが、固有の屋台名は付けられていない。傘鉾は屋台の先頭を歩き、神楽の際には笛奏者の隣に立つ。 祭事の担当地区、団体は以下の通り。 神楽舞 - 神楽保存会 日産地区 - 太鼓屋台「日吉山」巡行 棒賀地区・倉ケ崎地区 - 太鼓屋台巡行 大代地区 - 太鼓屋台巡行 庄ヶ崎地区 - 傘鉾、太鼓屋台巡行 屋台は中央に大太鼓を据える太鼓屋台で、太鼓の胴木の一部と思われる遺物に「安政五戌午七月日」と記されているが、2008年時点で使用されていた屋台には「大正元年」の墨書がある。屋台の後ろには「須代山」と刺繍した見送り幕を下げる。庄ヶ崎は明石区祭礼の傘鉾を保管し、祭礼では組長が持つ役を担う。 ウィキメディア・コモンズには、須代神社(明石区)に関するカテゴリがあります。 ウィキメディア・コモンズには、日吉神社(明石区)に関するカテゴリがあります。 例祭の供物(須代神社) 巡行 巡行 神楽の奉納(日吉神社) 獅子神楽に頭を噛まれると、賢くなると伝えられる。
※この「明石(あけし)」の解説は、「加悦谷祭」の解説の一部です。
「明石(あけし)」を含む「加悦谷祭」の記事については、「加悦谷祭」の概要を参照ください。
「明石」の例文・使い方・用例・文例
- 私の妹が今明石に来ています。
- タモリさん、明石家サンマさんをご紹介します。
- 宝石として価値のある、濃い青色鋼玉の高価な透明石
- 明石市という市
- 透明石鹸という石鹸
- 明石原人という化石人類
- 明石縮という絹織物
- 12月12日,第5管区海上保安本部は,明石海峡に沿って船舶航路を示すブイに電力を供給するため,潮流発電システムを使い始めた。
- 明石海峡は大阪湾と播磨灘の間にある。
- 明石家さんまさんとロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督が4位を分け合った。
- 披露宴で出されたディナーの食材は,神戸牛や明石のタイなど地元の生産物から選ばれた。
- 明石市立天文科学館では,生解説を含むプラネタリウムのショーを行います。
明石と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- >> 「明石」を含む用語の索引
- 明石のページへのリンク