傘鉾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:18 UTC 版)
それぞれの踊り町は、その町のシンボルでもある、巨大な傘鉾(かさぼこ)を先頭にして境内に進み、さまざまな演し物を神前に奉納する。 傘鉾の構造一番上に「飾り」(別名「だし」)がついており、まわりに「垂れ」(もしくは「さがり」)と呼ばれる布が張ってあって、飾りと垂れの間で周囲を「輪」が囲んでいる。 真ん中には「心棒」と呼ばれる太い竹が通してあり、担ぐための「担ぎ棒」と「握り棒」がついている。 重い飾りとのバランスを取るために、心棒の下の先には一文銭が2,500~3,000枚くくりつけてある。 直径2m弱、高さ3~3.5m、重量は130~150kgある。 傘鉾の担ぎ手は各踊り町の者ではなく、傘鉾を専門に担ぐ者がいる。担ぎ手には6つの組があり、「傘鉾組合」も存在する。担ぎ手に小旗で指示を出す指揮者は「紗ふり(しゃふり)」と呼ばれている。
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傘鉾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:32 UTC 版)
傘鉾は、神の依代となる「だし」を頂に、傘には6枚の「垂れ」を下げる。 「垂れ」には羽二重を用い、水墨画等が揮毫される。 近年は、「流」で1本、当番町で1本、博多松囃子振興会製作の古式傘鉾1本と合計3本の傘鉾を奉納している。
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傘鉾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 15:52 UTC 版)
傘鉾は、台車に独自の飾り(鉾)が飾られているもので、現在3つの傘鉾が渡御行列に並ぶが、1842年(天保13年)には上新町、中新町、下新町、北新町、畑方、六日町、三日町の7町が出しており、1849年(嘉永2年)に松島村が加わり8町となり、1880年(明治13年)に今町が、1922年(大正11年)には中新町が加わったと記録に残る。1956年(昭和43年)には火災で、畑方の傘鉾が屋台とともに焼失している。 上新町飾り - 諫鼓(かんこ)の鶏 今町飾り - 三種神器 下新町飾り - 鷹 1925年(大正14年)の大火により焼失したため、昭和時代に入り新調した。 なお明治期には、上記の町の他に北新町(宝珠鵞鳥)、畑方町(千成瓢箪)、六日町(笠に野猿)、三日町(玉取獅子)が存在した記録が残っている。なお三日町の傘鉾は、現在渡御行列には加わらず「井波木彫総合会館」の参考資料室にて展示されている。
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傘鉾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 15:19 UTC 版)
8本の傘鉾は総高さ2.87〜3.56m、傘径1.50m〜1.90mの絵番傘で傘の上には独自の飾り(鉾)が飾られている。傘の周りには長さ35〜40cmの水引幕が張られている。また傘の中に作り物を飾る物もある。この傘鉾には神輿を先導し神様を招き入れる役目をしている。
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傘鉾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 23:57 UTC 版)
傘鉾は、神の依代となる「だし」を頂に、傘には6枚の「垂れ」を下げる。 「垂れ」には羽二重を用い、水墨画等が揮毫される。 近年は「流」で1本、当番町で1本、博多松囃子振興会が製作した古式傘鉾1本の合計3本の傘鉾を奉納している。傘鉾をくぐると病気にかからないと言われている。 福神 夫婦恵比須 大黒天 稚児舞 傘鉾
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「傘鉾」の例文・使い方・用例・文例
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