渡御行列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 15:52 UTC 版)
祭礼が始まってから行われている渡御行列は、行列に加わらなくなった物も多いが現在も続けられている。 現在は、巡行路の浄め役の3頭の獅子が先導し進む。その後雅楽を流しながら進む自動車を先頭に、2人の先祓い(警護)役が、ササラと呼ばれ下部を細かく裂いた長さ9尺の太い孟宗竹を、「ザーザー」と音を立て引きずる。次に先端最上部に榊、その下に神々を案内する猿田彦の天狗の面が付けられた竹の棒(いずれも三日町)、次にそれぞれ台座に載せられた棒先端上部の金珠に、青龍(東町)、朱雀(木崎野町)、白虎(六日町)、玄武(東町)の彫刻が載る四神旗。次に大森神社と富岡鉄斎が書いた金襴緞子の錦旗の台旗(八日町)が続く、これは井波八幡宮の前身の社名である。次に台座に乗せられた3つの傘鉾が続く、次に6基の神輿が続き、神官が鳴らす台付き太鼓、宮司、町三役、宮総代が最後尾を固める。なお、四神旗、台旗、傘鉾、台付き太鼓は、以前は担いで移動していたが、現在は台座に車輪が付けられている。
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渡御行列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 10:27 UTC 版)
渡御は多くの氏子が祭礼に関わることの出来る場面の一つで、神輿の担ぎ手になったり、祭礼の規模の大きなところでは山車、獅子舞や舞踊などを繰り出し行列になる。渡御行列の順序は祭礼によってまちまちであるが、行列の先頭部には先導役の猿田彦がいることが多く、その次に御幣、笠鉾、獅子、幟、高張り提灯、太鼓などの露払いの役目を持つものや先頭を示すものがあって、神輿がくることが多い。このほかには、神職、巫女、稚児、山車、獅子、舞踏などが行列に含まれる。渡御の道中は音楽的にも多様で、神職による雅楽、氏子による祭囃子や音頭などが奏でられることが多い。また、行列の際には、三陸町綾里、同三陸町吉浜では、御神輿が、急に、不可解な動きをする事をギジム神輿と言う。三陸町吉浜根白地区の総鎮守は、荒神輿と言われている。また、ギジムの際になれば、権現様、塩祓いがその動きを懸命に静めようとする。また、前や、後ろに御神輿が行ったりすることをギズム神輿(なお、これは神の意志による、考えのよう。)また、巡航の際、不可思議な動きをする事があり、これはギズム神輿と呼ばれている。●また、神輿の担ぎ手は毎年16人を出し、いない場合その人の親戚から出す。また、綾里地区では、陸尺と呼ばれている。 行列には、神輿や山車、獅子舞や舞踏がみられる。神輿は祭礼ごとに運行が異なり、厳かに運行されるもの、威勢良く担がれるもの、船での渡御(船渡御)や水中で担がれるものなどがある。これらの形態は、祭神に因むほか、突発的に行われた形態が慣例になった場合もある。山車には神輿に近い依り代の役割を持ったものと奉納の風流があり、獅子舞や舞踏にも神事舞と奉納舞があるが、どちらも氏子が中心に運行し、特に奉納の場合は氏子各町が華やかさや形態に趣向を凝らし、競い合うことが多い。また、大船渡町、大船渡市盛町、同市猪川町、同市立根町、同市日頃市町、同市綾里、同市吉浜などでは手踊りが神輿の前で奉納する。(婦人、子供たちによる)なお、これには、囃子屋台が付き、各地区嗜好を凝らしている。また、三陸町吉浜では、トラックの荷台に人を乗せ、太鼓を叩く、荷台山車が出る。(現在は、安全上の理由から道中はない。)これには嗜好を凝らした「絵」と言うものを飾り付ける。また、釜石市は、吉浜と同じようにトラックの荷台に人を乗せた荷台山車が出る。音響を付いて、(前2個、後ろ2個)も付き、一大イベントとなる。また、盛町では館山車が出る。(木町と下町と吉野町)盛の七夕囃子を使う。演目は、源平合戦や、那須与一、川中島の戦い、大阪夏の陣仕掛けとしては、館が上がったり、下がる仕掛けがある。(これは電線がある明治に考えたものか?) 夜間の渡御では、提灯行列が加わったり、山車に明りが灯されるなどする。
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