さん‐しゃ【山車】
読み方:さんしゃ
「だし(山車)」に同じ。
だし【山‐車/花=車】
やま‐ぐるま【山車】
だし 【山車】
やまぐるま (山車)
●わが国の本州、山形県以南から四国・九州それに朝鮮半島南部や中国南部、台湾に分布しています。山地の急な斜面や岩場などに生え、高さは20メートルになります。葉は広倒卵形から長卵形で、枝先に輪生状に集まって互生します。5月から6月ごろ、枝先に総状花序をだし、黄緑色の花を咲かせます。花弁も萼もありません。果実は集合果で10月ごろに熟します。1科1属1種で、導管を持たない古いタイプの被子植物としても有名です。
●ヤマグルマ科ヤマグルマ属の常緑高木で、学名は Trochodendronaralioides。英名はありません。
ヤマグルマ: | 山車 |
山車
読み方:ヤマグルマ(yamaguruma)
貝
山車
山車
山車
山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/29 14:05 UTC 版)
元々は高さ十三メートルの豪壮な屋形山車を引き、東北屈指の山車として名声をはせた。ルーツは仙台市という説もある。 町に電線が張りだされる様になると高さのある屋形山車は消え、丈の低い優雅な風流山車に姿を変えた。 開町四百年にあたる平成四年(1992)、高さ十三メートル、総重量約三トン、総槍づくりで屋形山車が再現された。祭り期間中に公開されている。 花巻と同じ作法を伝える山車は、北上市(黒沢尻・江釣子・二子)・一関市(千厩)・宮城県登米市・宮城県石巻市などに見られる。 ちなみに花巻市内には旧石鳥谷町など、これと全く違う作法を伝える風流山車行事もある(「盛岡山車」を参照)。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 15:23 UTC 版)
東海道東西文化の交流点らしく、「山車タイプ」「屋台タイプ」そして「両者を巧みに組み合わせたタイプ」と、全国でも珍しい取り揃えの21台の山車が町を練り歩く。 万治三年(1660年)、無理難題を押し付けられた問屋場の主人が天神様に願をかけ、無事仕事が終わったお礼に社殿を寄進した。その年の天神祭礼で、依田橋の住人が船に車輪をつけて引き回し、大練りとなったのが始まりとされている。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 13:53 UTC 版)
田名部5町(横迎町、小川町、柳町、本町、新町)にはヤマと呼ばれる木製・黒漆塗りの山車がある。ヤマは2階建てで、下の階には乗子(のりこ)と呼ばれる囃子方が乗り、上の階には御神体を乗せて運行する。金具装飾、漆絵、屋根の形式など細部の造りや装飾は各ヤマで異なる。 車輪は木製の4輪である。車輪が木製であるだけではなく、ヤマそのものの高さもあるため、辻を曲がるのは難しく、そのため梃子(テコ)と呼ばれる専門者が辻での回転を巧みに操作する。 ヤマには左右一対の綱がつけられ、人々が曳くようになっている。 ヤマは昼夜で飾りを替える。昼間は刺繍を施した大水引き幕、小水引幕、見送り幕、御簾で飾られる。これらの幕は古くより京都の業者などの制作を依頼したり、中国から輸入したものを長崎経由で購入したものである。一方、夜間は昼間の幕に替わり、地元の描き手によって描かれた額(がく)と呼ばれる絵灯籠に付け替えられ、中に明かりをともす。夜間の額は毎年描き変えられる。 ヤマの運行は組が取り仕切る。組は男性のみで構成される。中学生~高校生で囃子方の乗子、その後は正式に組の一員となり、厳格な上下関係の元にしきたりを学んでいく。組は組頭(くみとう)を筆頭とし、副組頭、小頭、理事、幹事(評議員)、などが続く。組員はおよそ四十歳で定年となる。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:16 UTC 版)
13基の山車は屋台型の山車で、大幕、見送り幕、水引は、金糸や銀糸、色糸で刺繍を施された絢爛豪華なものである。また、山車の上で奉芸(ぶげい)といわれる子供達の踊りや、からくり人形が披露される。車輪は4輪の地車(内車)様式である。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/03 07:23 UTC 版)
この立佞武多とよばれる山車は、禊ぎ祓いとして行われた夏の行事において、燈籠を作られていたものがいつしか組み人形として作られるようになったのが原形と考えられている。明治時代から大正時代にかけて巨大なものとなり、市内の豪商や集落などで競って作られていた。しかし、電線が市街地に張り巡らされたことにより、巨大な山車の運行が困難になり、立佞武多は低形化された。結果、立佞武多そのものが幻となってしまう事となった。 1993年(平成5年)、市内のある家庭で先祖の遺品の整理をしていたところ、明治・大正期の立佞武多の設計図の一部と写真が発見された。この設計図を元に立佞武多を復活させようとするボランティア運動が始まり、彼らの手により、1996年(平成8年)に「立佞武多」として80年ぶりに復活した。この時に作られた立佞武多「武者」は同年7月1日に岩木川河川敷で運行、7日には古習に倣い火が放たれ、昇天させられた。その2年後の1998年(平成10年)、五所川原市が立佞武多の支援を決め、夏祭りで運行されるようになった。以後、立佞武多は1年に一基ずつ新作が制作され現在に続いている。 2004年の運行では、『ドラゴンボール』の孫悟空の立佞武多が出陣した。また同年暮れ、千葉県の幕張メッセで行われた集英社のイベントにも出展され、その威容を披露した。 2006年の運行では、ハドソンのゲーム『桃太郎電鉄シリーズ』の桃太郎たち&キングボンビーの立佞武多が出陣し、話題になった。それに先立って3月25日にゲーム総監督のさくまあきらとキャラクターデザイン・イラストを担当する土居孝幸が青森県庁に知事の三村申吾を訪ね、山車の製作を報告した。また、同年及び2007年に発売されたPlayStation2・Wii・Xbox 360向けソフト『桃太郎電鉄16 北海道大移動の巻!』のオープニングムービーとして桃太郎電鉄立佞武多の出陣の様子が収録された。 2007年の運行では、『機動戦士ガンダム』の立佞武多が出陣した。このガンダム立佞武多は同年8月18・19日に千葉県の幕張メッセで行われた「キャラホビ2007」にも出陣した。 これら平成の立佞武多は、明治大正期の立佞武多とは構造などの面で全く異なる現代的なものとなっている。明治大正期には木や竹を骨組みにしてろうそくで明かりをともしていたのに対し、平成のものは鉄骨で基礎と柱が造られ、その周囲にブロック状に各パーツが据え付けられる。照明にも電気が使われている。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:24 UTC 版)
高さ約8.4m〜9m、長さ2.29m〜2.85m〔前後の轅(ながえ)間5.07m〜5.89m〕の山車は御所車に心柱を立て、心柱の上部には竹籠を付け、その周りに3色の和紙で出来た菊の花を5個付けた割竹32〜36本を放射状に広げた花傘の鉾山で、花山車とも言われ京都祇園祭の山鋒より由来、伝承されたものであるといわれているが、形態が独特でかなり異なっておりルーツは定かではない。 飾り山(上層)と地山(下層)の2層構造で飾り山には本座といわれる御神体(人形)を供え、地山箱(下層)には幔幕(まんまく)が張られ、この中に囃し方が数人入り、笛、鉦、太鼓を用い優雅な囃子を奏でる。山車は高岡の工芸の粋を集めた彫刻、漆工、彫金、などの装飾を纏い、後部には町名入りの標旗が立てられ、桜の花の送り花が飾られている。また、本座後部に後塀(こうへい)を設けた山車もある。 鉾(心柱)の先端には鉾留が付いており、これは神が山車に供えられている御神体(人形)に降臨するための目印とされている。 車輪は4輪の大八車(外車)様式の輻車(やぐるま〔スポーク式〕)で直径1.60m〜1.67m、車輪にも漆や彫金などが施されている。二番町の山車だけは二輪で2.05mある。富山県内の曳山では大門曳山の枇杷首の曳山とここ二番町だけである。 各山車には、鈴棒(りんぼう)といわれる錫杖を原型としたものを引きずり、山車の警護と巡行路を浄める鈴棒引きを先頭に、2名の役員と町衆が紋付・袴に麻裃を着け、頭には一文字笠、足元は白足袋に草履といういでたちで山車の前後左右に供奉する。なお、鈴棒引き、曳き手・囃し方は山町の人達ではなく近郊の町の人達であり、囃し方は特定の町の人達で受け継がれる世襲制である。また、曳き手衣装の半纏(法被)は袖と裾に中綿が入った厚手のもので、鈴棒引きの衣装を含め、各町意匠を凝らした模様が染められている。また足元は白足袋に昔ながらの草鞋を着用している。 1904年(明治37年)まで隔年で提灯山を出していたが、町に電線が引かれる様になりそれ以降中止された。 富山県内で最も早く創建された御車山の山車様式は、のちに富山県西部の各地で創建された曳山に影響を与え、今日も御車山様式の曳山が多く現存している(放生津〔新湊〕・海老江・伏木〔けんか山〕・石動・大門・福野〔夜高祭〕・氷見〔祇園祭〕)。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 10:07 UTC 版)
7月に行われる天王祭でつかわれる山車。 唐破風屋根、小型木製車輪、廻り舞台を三大特徴とする湘南型山車の元祖である。 昭和36年までは祭礼中、江ノ電が龍口寺前付近から腰越駅までの架線を撤去し5台の山車が電車通りを行進した。 昭和37年3月に起きた山車小屋火災により濱上町、土橋町、中原町の山車が焼失し、神戸町の山車が半焼した。但し、人形は焼失をのがれ現存している。 各町内の人形は以下のとおり濱上町:源義経と弁慶 神戸町:八幡太郎義家と鎌倉権五郎景政 土橋町:源頼朝と御所五郎丸 下町:神功皇后と武内宿禰、応神天皇 中原町:素戔嗚命 中原町、土橋町は焼け残った部品の一部を利用し、昭和50年代に小型の山車を製作している。 神戸町は、平成13、14年に修復工事を行いほぼ原形に復旧した。但し、部品が焼失したため、人形の取り付け方が、以前の(下から順に)丸座刺繍幕→万灯→岩座、水垂に人形、から丸座刺繍幕に人形という簡略構造になり高さも低くなった。 普段は小動神社に入ってすぐの倉庫にしまってある。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/03 14:43 UTC 版)
日立風流物に用いられる山車は、高さ15m、幅3-8m、奥行7m、重量5tの巨大なからくり式の山車である。山車の中には約10人の囃子方や約30人のからくり人形の操り方(作者と呼ばれる)が乗り込み、200人以上で山車を牽引する。 大きな山を背にした城郭の形を模した六層構造を持ち、第一層は囃子方や作者が乗り込む部分である。山車の正面の第二層から上を「館」と呼び、五層の唐破風造りになっている。「館」の第二層は大手門と呼ばれ、手前に倒れる構造になっている。第三層から第六層までは昇降機構(カグラサンと呼ばれる)によってせり上がった後に左右に開いて、大きな逆三角形をした五段の雛壇となり、操り人形芝居の舞台となる。 各段にはそれぞれ2-3体のからくり人形が配されている。人形芝居が終わると「館」は廻り舞台となって回転し、最初は山車の後部であった「裏山」を舞台として、また別の人形芝居が行われる。これらの操作は全て山車内部の綱によって行われ、同じく山車内部で演奏されるお囃子にあわせて演じられる。 この山車は笠鉾(かさほこ)とも呼ばれ、2005年現在、東町、北町、西町、本町の4台がある。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/22 20:25 UTC 版)
各町の山車 町会名人形製作者名山車製作年備考宮本町日本武尊(やまとたけるのみこと) 三代目 法橋 原舟月 1882年(明治15年) 市指定有形民俗文化財 泉町武内宿禰(たけのうちのすくね) 横山友治郎(朝之) 1887年(明治20年)頃 山車は1895年(明治28年)に購入。市指定有形民俗文化財 上町神功皇后(じんぐうこうごう) 横山友治郎(朝之) 1902年(明治35年) 市指定有形民俗文化財 照若町桃太郎(ももたろう) 浪速屋庄田七郎兵衛 1900年(明治33年) 購入時、囃子座は欄間式であった。市指定有形民俗文化財 七軒町加藤清正(かとうきよまさ) 町内の人たち 1924年(大正13年)頃 人形は1933年(昭和8年)製作。市指定有形民俗文化財 仲町神武天皇(じんむてんのう) 三代目 法橋 原舟月 1872年(明治5年) 当初の人形は木彫の龍女。現在の人形は1891年(明治24年)新調。市指定有形民俗文化財 本町石橋(しゃっきょう) 浪速屋庄田七郎兵衛 1895年(明治28年)購入 当初の人形は翁。現在の人形は1928年(昭和3年)から飾られる。市指定有形民俗文化財 南本町連獅子(れんじし) 日光兼光 1991年(平成3年) 台町素戔嗚尊(すさのおのみこと) 浪速屋庄田七郎兵衛 1885年(明治18年) 市指定有形民俗文化財 諏訪町太田道灌(おおたどうかん) 日光兼光 1993年(平成5年)
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山車(でか山)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 03:10 UTC 版)
3台の山車の形は、末広形とも北前船を模したものとも言われ、山車の高さ約12m、上部の開き(長さ)約13m、幅・上部約4.5m、下部(車輪間)約3.6m、車輪の直径約1.9m、幅約0.6m、総重量約20トンの舟形の山車で、山車としては日本最大級、体積・重量では日本一である。 組み立てはまず大きな車輪から舞台部分まで木枠の骨組みを組み、そこに舟形になるよう前後には丸太を斜めに立て、横木に多くの竹を用い碁盤の目に組み立てていく。また舞台裏(後方)も丸太と竹で碁盤の目に組み立てる。ここまでを地山作りという。その後山車全体の外装に150枚ものむしろで蓋い、そこに何枚もの幕を重ねるように覆っていく。また山車前後の外側には木遣衆が乗る木遣り台も据えられる。なお組み立てには釘や鎹(かすがい)などは使用せず、藤を編んだ藤づると藁縄を用いる藤搦み(ふじからみ)という技法を用いる。これにより山車が揺れて歪みを吸収する柔構造となっている。1台で700mもの藤づるが必要で、現代では藤づるを手に入れるのは困難になってきており、一部の山車はナイロンロープを使用している。組み立てられたでか山の上段正面舞台には毎年題材を替え、御殿や城、神社仏閣など歌舞伎の場面に合わせ立体的に作られ、そこに何体もの登場人物の人形の体と頭を作り、着付けをし飾る。 この大きな山は誰でも曳くことができるのも大きな特徴である。でか山からは3本の綱が繋がれており、山の直前は地元の若衆が、その前方に観光客や子供たちなどが繋がる。でか山は木遣衆が曳き出し唄を歌い終えると前梃子がはずされゆっくりと動き出すが、直線区間では次第に速く小走りぐらいのスピードとなり、でか山が家の軒や電信柱をかすめ迫るように様に進む。若干の軌道修正は中梃子や脇梃子を用い50cmほど横滑りをさせる。また辻回しも誰でも綱を曳くことができ、大きな山を回すことができる。 近年、デカ山の後幕は各町の紋の幕ではなく、地域の子供たちが共同制作した幕を使用しているそうである。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 05:39 UTC 版)
各地の祇園祭では、人形を頂いた背の高い鉾山車が多く見られるが、この祭りでは屋台型の山車しか存在しない。かつては鉾山車も存在したが、大正初期に町内に電線が引かれ、今までのような高い山車が曳けなくなったことから山車を改修して現在の屋根の形の山車になった。当時の人形は一部現存し、会所前に公開している町会もある。
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山車(模型)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 14:49 UTC 版)
「江差追分会館・江差山車会館」の記事における「山車(模型)」の解説
入口付近に、姥神大神宮渡御祭で巡行される山車の模型が展示されている。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 02:36 UTC 版)
「久喜の提灯祭り・天王様」の記事における「山車」の解説
8町内から8台の山車が繰り出される。廻り舞台形式の屋台形山車で、各町内ともほぼ同様な形態である。昼間は伝説・歴史上の人物の人形を山車の上に飾り立て町内を曳き廻す。夜間は、人形を取りはずし、山車の四面に四百数十個の提灯を飾りつけた提灯山車となる。その山車の様子は関東一とも言われる。この祭りは喧嘩祭りとしての側面もあり、かつては勇ましく山車同士をぶつけ合い各町内の繁栄を競い合っていた。現在でも山車を急接近させたり、ぶつけたりする。なお、提灯の光源には現在でもろうそくを使用している。
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山車(ヤマ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 05:47 UTC 版)
江差町では山車のことを「ヤマ」と呼び、各町内で大事に保存されている。祭においての山車(ヤマ)は御輿渡御に続いての山車供奉として位置づけられている。 姥神大神宮祭礼への山車供奉は19世紀中頃からとされて、以降現在まで続くが、太平洋戦争後の時代においては以下の理由によって山車巡行が行われなかった年がある。 1971年(昭和46年) 前年に発生した、山車の照明電源に使われていたエンジン式発電機の燃料取り扱い不良による火災事故発生を受けて中止 1993年(平成5年) 同年7月12日に発生した北海道南西沖地震による自粛 2020年(令和2年) - 2022年(令和4年)現在 2019年(令和元年)より発生した新型コロナウイルス感染症関連のために中止2021年(令和3年)は、姥神大神宮の神職による疫病退散の意味合いを込めた神輿渡御行列が行われたほか、江差山車会館内の山車展示継続と、8月9日 - 14日の期間に松寳丸以外の町内各所での山車や山車人形展示のみが行われた。 2022年(令和4年)は、当初は姥神大神宮祭典協賛実行委員会事務局より「お囃子における掛け声」「切り声」「御祝儀集め」「山車参加者への飲食の振る舞い」をそれぞれ自粛し、各山車に補助金を支給した上で山車巡行を行う方針だったが、各町からの反発や感染拡大のおそれによる反対があったために山車巡行は中止となった。なお、8月10日 - 11日の期間に姥神大神宮によって町内全域を巡る神輿渡御は、5月時点において開催の方向で調整中。
※この「山車(ヤマ)」の解説は、「姥神大神宮渡御祭」の解説の一部です。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 09:14 UTC 版)
以下は泉町の諫鼓鶏の山車と大町の武蔵坊弁慶の山車を除けば、いずれも鉾台型の山車である。 万町一丁目劉備玄徳 天照大神 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年(明治26年) 万町二丁目関羽雲長 日本武尊 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年(明治26年) 万町三丁目張飛翼徳 太閤秀吉 素盞嗚尊 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年(明治26年) 倭町一丁目獅子頭 制作 - 不明、1876年(明治9年)頃 倭町二丁目神武天皇 制作 - 三代目法橋 原舟月、1893年(明治26年) 倭町三丁目静御前 制作 - 松雲斎徳山、1848年(嘉永元年) 劣化が進んだため、2017年から一年がかりで修繕が行われた。 室町桃太郎 制作 - 大沢銀之丞、1905年(明治38年) 大町弁慶 制作 - 不明、明治初期頃 嘉右衛門町仁徳天皇 制作 - 中野瓣吉ほか、昭和初期頃 泉町諫鼓鶏 制作 - 不明、1874年(明治7年)頃
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山車(実物)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/19 14:49 UTC 版)
「江差追分会館・江差山車会館」の記事における「山車(実物)」の解説
姥神大神宮渡御祭に実際に使われる13基の山車のうち、1年ごとに入れ替わりで2基が、毎年8月の姥神大神宮渡御祭終了後から翌年8月上旬まで、実際の山車の飾りそのままに展示される。
※この「山車(実物)」の解説は、「江差追分会館・江差山車会館」の解説の一部です。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 04:45 UTC 版)
地元の人は「やたい」と呼ぶ。進行方向左側が豪華絢爛に飾り付けられる。山・桜・牡丹・松・滝を必ず飾ることの他は自由で、ハリボテ、ねぶたを思わせる巨大灯篭、フラッシュ光など若連によって、様々な趣向を凝らす。進行方向右側は、左側の見栄えを良くするために山が配される場合が多い。 以前はドライアイスを使った煙、中に人が入って傘回しならぬ蓋回し(分福茶釜)をするなどあったが、今は規定により禁止されている。 山車を動かすために、前面に梶棒があり、その梶棒に2本の曳き綱が結び付けられている。当日は、小学生ら小若が山車の曳き手になる。足回りはタイヤである。 山車運行の際は、電線にや脇木に山車が引っかからないように、常に左右に4mほどの棒を持った人(「電線上げ」)を配置する。高さが低いアンダーパスを通すために、人形やハリボテを外せる細工を行っている若連もある。
※この「山車」の解説は、「新庄まつり」の解説の一部です。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 04:53 UTC 版)
藤井神社には現在3台の山車がある。広洲長浜から譲り受け、垂井を経由して持ち来たらされたという言い伝えがある。
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山車(囃子)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:50 UTC 版)
山車を披露する区は、浅間区、貴船区、酒井区、生玉区、塩竈区、飛鳥区、竜田区、今宮区、清滝区の9区。飛鳥区のみ舞台型山車で、山車の舞台で子どもが舞踏を披露しながら道行する。それ以外の区は屋根付きの二階造りで、一階には大太鼓・小太鼓、二階には笛の囃子方である子どもたちが乗り込み、10から20数曲の囃子の曲目を演奏しながら道行きする。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/27 00:40 UTC 版)
大畑祭の山車(地元ではヤマと呼ばれている)の序列は、御神輿の渡御に供奉し始めた年代が古い順番だと云われており、八幡山から放生會までが江戸時代、豊榮會以降の山車は昭和になってから御供するようになった。 山車は、八幡山、鞍馬山、放生會、豊榮會、中島山が車輪も含めて木製の平山車であり、明神丸と天女丸が船山車である。 二階建ての山車の一階には囃子方(地元では乗子「のりこ」と呼ばれており、小学校高学年、中学生、高校生で構成)、二階には御神体を乗せる。 以下、山車の順番(丸数字)、町内会と山車名及び読み仮名、渡御への参加年、装飾(御神体の飾り付けと説明)、見送り、特徴や備考について記載。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 17:19 UTC 版)
石岡のお祭りで最も目を引くのが山車であるが、囃子は大太鼓(大胴)と締め太鼓、笛と鉦で演奏される。 石岡の山車は少々独特であり、正面に踊り場、向かって右に太鼓等の囃子方、踊り場右側に笛師、左側に鉦方が配置される。踊り場では、四丁目(おかめ)仁羽(ひょっとこ)新馬鹿(きつね)の三つの演目がある。 囃子は石岡囃子と呼ばれ旧石岡町時代の周辺農村地域の祭囃子が元となっている。現在石岡囃子と呼ばれている系統では、大きく分けると二つありそれぞれ 三村流(旧三村の三村囃子)、染谷流(旧染谷村の染谷囃子)と呼ばれている。それほど違いはないが、三村流は新馬鹿(きつね)や笛・鉦が入らない撒喜利で区別が可能。 三村流・染谷流ともに石岡囃子として県指定無形民俗文化財に指定されている。 金丸町の弁財天および山車(現在は石岡小学校に保存されている)は1922年(大正11年)に東京日本橋魚河岸より購入したものと言われている。山車人形の弁財天は古川長延作とされ、江戸天下祭にも数回出展されている。 中町の日本武尊は明治29年、三代目原舟月作で、原舟月最後作品と言われている。金丸町の弁財天とともに市指定有形民俗文化財に指定されている。
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山車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 18:25 UTC 版)
乙川の山車は、乙川八幡社への引き込み順が固定されていることから、番号で呼ばれることがある。ここでは、その番号の順に山車の簡単な説明を行う。
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山車
「山車」の例文・使い方・用例・文例
- 山車の行列
- 神輿や山車が町を練り歩く
- 山車はすべて迫力がありました。
- 川越の山車は、いわゆる鉾山車と呼ばれる形で、車輪が3つ、もしくは4つ付いています。
- その山車はにぎにぎしく飾り立ててあった.
- 山車を引廻す
- 山車{だし}を引き廻す
- 船形の飾りを設けた山車
- 手古舞という,祭で芸妓などが男装してする山車の先駆け
- 山車という植物
- 馬鹿囃子という,山車の上で奏するにぎやかで活気に富む囃子
- 台の上に山形を作り,ほこやなぎなたなどを立てた山車
- 矛をかざり立てた山車
- 山鉾という,祭礼の山車のひとつ
- 農場の山車が人々をとうもろこし畑の迷路に招きます。
- 最近,山車の後部にある豪華なつづれ織である,長刀鉾の見(み)送(おくり)が,168年ぶりに作り直され,報道陣に公開された。
- これは,玉(たま)川(がわ)大学からの日本人太鼓奏者の山車です。
- 大きな山車や色とりどりの衣装を着た何百人ものダンサーが街中を練り歩きます。
- 山車の上の子どもたちが,集まった人々に向かってキャンディを投げます。
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