神幸祭とは? わかりやすく解説

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神幸祭

読み方:ジンコウサイ(jinkousai)

神霊来臨移動中心とする神事

別名 渡御祭お旅お出で還幸祭


しんこうさい 【神幸祭】

神はジンとも。→ 還幸

神幸祭(しんこうさい)


神幸祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/11 21:33 UTC 版)

神幸祭(しんこうさい)は、神霊の御幸[注釈 1](ぎょこう、みゆき)が行われる神社祭礼神幸式(しんこうしき)とも言う。多くの場合、神霊が宿った神体依り代などを神輿に移して、氏子地域内に御幸したり、御旅所元宮に渡御したりする。神輿や鳳輦の登場する祭礼のほとんどは、神幸祭の一種といえる。


  1. ^ 『世界大百科事典 第2版』「神幸祭」 (平凡社)
  2. ^ a b c d e 森田 2015, pp. 41–51.
  1. ^ 御幸とは貴人の外出が幸せをもたらすと信じられたことに基づく言葉で、天皇の御幸を行幸(ぎょうこう)と言い、神の臨行は神幸と言う[1]


「神幸祭」の続きの解説一覧

神幸祭(通称:どんかん祭り)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 07:18 UTC 版)

榎社」の記事における「神幸祭(通称どんかん祭り)」の解説

太宰府天満宮の神幸祭で道真神輿雅やかな行とともにこの社に下り御旅所一夜を過ごす9月22日の夜、ふだん人気のない社は、年に一度賑わいをみせる。御旅所後ろ小さい祠があって、神輿はまずその前に行き宮司奉幣する。この祠に祀られているのが、道真日夜世話したという浄妙尼(もろ尼御前)である。

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神幸祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 01:01 UTC 版)

摩氣神社」の記事における「神幸祭」の解説

神幸祭は摩気郷十一11社)の祭りで、近世には例祭併せて8月晦日から9月朔日にかけて行われていた。明治16年1883年以降10月1415両日となったが、更に平成15年2003年)からは神幸祭を10月第3土・日曜日行っている。かつては宮本のほか、9集落11社の氏子参加したが、現在黒田横田大村口八田の4集落参加していない。 前日 神幸祭前日に船阪と仁江設けられ神事宿の庭先にお破怪(はけ)を設け、船阪では当神社宮司が、仁江では宮司当(前節参照)が訪れて祭典準備を行う。 1日目 当日早朝宍人から正副2名の使が当神社差遣され、酒や枝豆を献供する祭典宍人献饌の儀)が行われた後、改め午前10時から祭典が斎行され、午後2時に神輿が船阪の御旅所進発して神幸祭が始まる。神輿途中で仁江稚児行列迎えられ蛭子神社へと向かい拝殿安置され宮主仁江の宮衆(前節参照)による祭祀受けた後に再び御旅所へ向かう。すると今度は船阪の稚児行列途中でこれを迎える形で合流し夕刻御旅所到着神輿御旅所設けられ仮殿安置されて、仁江と船阪から新穀収めた俵の奉納を受ける。なお稚児については、仁江女形、船阪は男形とされ、それぞれ女性あるいは男性の装束着する定めとなっている。 昭和7年1932年)頃までは横田若宮神社から同様の神輿渡御があり、船阪の者はこれを迎えて御旅所まで随行御旅所では摩氣、若宮両神社の神輿並べられ同宿したという。 2日目未明午前2時頃)、竹井・仁江・船阪・宍人大西半田の宮衆を始めとする氏子御旅所参集し、「練(ね)り」や角力奉納が行われる。この時には宍人大西から選ばれ沙汰人さたにん)と呼ばれる者が宮司指示受けて神事執り行う初めに沙汰人が「お神酒奉れ」と命じて神事始まり、船阪から選ばれた典供者がを口に咥えて神前神酒満たされ瓶子2本を持参する続いてそれを銚子注いで神前侍る宮司へ渡す。それを受けた宮司別の瓶子注ぎ直して献じ銚子は典供者へ返す次に沙汰人が「お神酒下げよ」と命じると宮司瓶子から盃へ神酒注いでそれを神前残し残り神酒瓶子ごと典供者へ戻す。引き続き沙汰人宮司へ「お神酒に参られ」と伝えて共に「船阪庁」という御旅所内の参集殿へ下がり、神酒切って作った肴で直会を行う。その後宮司沙汰人が再び神前戻り沙汰人が「お典供に立て」と命じると、典供者が大笥の神饌を2膳、小笥の神饌11供え(大笥は当神社祭神用、小笥は摂社祭神用(摂社祭神は各集落氏神11社の祭神でもある)という)、練りへと移る。若宮神社神輿同宿していた当時は、典供者は二手分かれて両神輿それぞれ供える神饌運び若宮神社方は巫女がこれを受けて神輿献饌したという。なお、現在は略されているが以前練り前に沙汰人の「ではおろし」という合図撤饌が行われていた。 練りその様子から「泥鰌取り」とも呼ばれるが、沙汰人竹井半田角力取りによって演じられる演者1人宛刀を手に採り腰に魚籠を吊して御旅所設えられた土俵1回りし、その間刀で地を突いて「おったー」等と言いながら泥鰌掴んで魚籠入れ仕草をする。その後宮主呼び出し角力が行われるが、先に実際取り組みが、次いで半角力」と呼ばれるものが行われる。取り組みは「出角力」と「待角力」に分かれ、待角力方の角力取り先に土俵上がって後に上がる出角力方からの技を一方的に受け、出角力方が勝ち役を、待角力方が負け役を演じる形で7番が行われる(但し、勝敗はつかな事となっている)。半角力は1人角力を取る所作をするもの(一人角力)で、最後投げ飛ばされたように転がる。これは稲霊である目に見えない摩氣の神を対手とする事を表し、その神に投げ飛ばされる事で神慮慰め五穀豊饒を祈るものという。半角力が済むと、竹井今度は船阪による練りがあり、神事終える。 角力11社の氏子参加する習いで、現在不参の4集落竹井の者がその代役務める形で古格保っている。また練りに関しては、滑稽味を帯びたその様態から神との角力に伴うかつての負態(まけわざ)の名残とも思われるが、兵庫県石上いしがみ神社に伝わる「なまずおさえ神事とともに検討すべき伝承とされている。 神幸祭2日目午後2時頃、氏子が俵や弓矢・的・床几・折等を持参して参集する。先ず船阪の者が俵と折神輿献じ祝詞奏上の後に沙汰人先頭に、仁江・船阪の一行幣束・弓・的・俵・折等を捧げ宍人大西当番が鋤・馬鍬持ち、2頭の張子の牛がその後続いて1列になって船阪庁の周りを3周するお千度が行われる。お千度が終わると仁江と船阪の稚児神輿の前で幣束振り奉幣)、次いで木馬騎乗、的持ち掲げる的を矢で射る流鏑馬やぶさめが行われる。流鏑馬が終わると神輿還幸となる。 還幸御旅所を後にした神輿を、竹井・仁以外の者が篠山街道まで見送り仁江一行仁江公民館付近まで同行する夕刻神輿摩氣神社帰着すると、最後はこれを担いで激しく上下揺すりながら拝殿周りを1周し、神幸祭を終える。なお、昭和37年1962年)までは神輿担いで巡幸であったが、担ぎ手の減少により現在は台車載せてこれを牽くとなっている。

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神幸祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:04 UTC 版)

神田祭」の記事における「神幸祭」の解説

5月15日に近い土曜日行われる神社行事。朝8時に神社出発一の宮大己貴命(だいこく様)二の宮少名彦命(えびす様)三の宮平将門鳳輦や宮神輿平安装束まとった人々付き添われ粛々と行進し巫女(巫女装束)と乙女(壺装束)役の若い女性4名ずつが花を添える13時頃に両国御仮屋(東日本橋駅付近)で休憩し神事を行う。16時頃に三越本店到着ここから御輿山車武者行列などの付け祭り追加される艶麗古風な行列パソコンデジタルカメラ薄型テレビ等が並ぶ町並み対比は見事である。19時頃に神社戻ります

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神幸祭(4年に一度)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/08 14:19 UTC 版)

駒込天祖神社」の記事における「神幸祭(4年一度)」の解説

1922年大正11年)に製作され本社神輿は、台座三尺八寸千貫神輿とも言われる大神輿本所大倉竹次郎製作)。2000年平成12年)には氏子会の熱意によって修復され本行徳十六浅子周慶)、44年ぶりに氏子区域内を渡御した。以来4年一度神幸祭が行われている。本社神輿氏子13町会全ての地域引き渡されながら渡御が行われる。

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神幸祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 19:02 UTC 版)

今宮祭」の記事における「神幸祭」の解説

5月5日の神幸祭当日には、午前中に今宮神社本社拝殿が行われ、昼過ぎ神輿本社出御する。車太鼓、剣鉾、旗、花車獅子御車提灯、先神輿(あぐい)、中神輿(鷹峯)、大宮神輿宮司などの順に列をなすが、この順序近世後期以降にほとんど変更がないと考えられている。鷹峯神輿以外の2基は今宮神社東側氏子区域巡り鷹峯神輿千本通り北上して神社西側氏子区域を巡る。千本今宮からは3基が同じ通り歩み千本通北大路通などの大通り通って上京区に入る。途中北大路大宮交差点千本今出川交差点では台車乗せていた神輿人力担ぎ上げ回転させる。1基を担ぎ上げるのには約50人の力が必要とされており、3町の担ぎ手が協力して行う。 いったんは御旅所近づくがさらに南下し盧山寺通西進し千本通越える。氏子範囲西端とされる七本松通南下し北野天満宮の東300mまで接近する今出川通千本通寺之内通通って上京区北西部巡った後、夕方上京区若宮横町にある御旅所入御する。翌日5月6日には御旅所湯立祭が斎行される。 3基の神輿 番号 名称 町名 1 先神輿 (あぐい/安居院) 2 中神輿 鷹峯 3 大宮神輿 大宮

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神幸祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/12 02:31 UTC 版)

聖神社 (鳥取市)」の記事における「神幸祭」の解説

聖神社最大神事であり、鳥取市中の祭礼で最も規模大き行事が、隔年西暦偶数年)で開かれる聖神社の神幸祭である。この神幸祭のことを指して聖(ひじり)さん、聖大祭地元では言われている。神社神輿や、氏子町内保有している屋台一般的に山車山鉾と言われているもの)が鳥取市街を巡幸する行事であり、鳥取初夏風物詩となっている。 屋台巡幸中、囃子合わせて「エーラヤッチャ、コーラヤッチャ、マエダヨ・マエダヨ」と掛け声しながら行進し氏子町内中心とする市街要所停車し踊り囃子披露するまた、市中商店などからご祝儀地元では花と呼ばれる)をいただき屋台通して披露する氏子町内熱意さることながら県外からこの大祭のために帰省する者や、氏子町内の者でなくても一度参加したことをきっかけ以後継続的に参加する者も多い。鳥取市中で最大神事であると同時に鳥取城下の町衆の文化を今に伝え数少ない伝統行事でもあることから、氏子町内それぞれ屋台支え敬ってきた事を誇り240年に渡る心意気今日伝承している。 平成15年(2003)3月28日、「聖神社神幸行列」として鳥取県指定無形民俗文化財指定された。

※この「神幸祭」の解説は、「聖神社 (鳥取市)」の解説の一部です。
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