稚児とは? わかりやすく解説

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ち‐ご【稚児/児】

読み方:ちご

《「乳子(ちご)」の意》

ちのみご赤ん坊

「—を背に負った親子三人連(づれ)の」〈花袋田舎教師

幼い子。幼児

其の時某(それがし)は尚(なお)八歳の—にして」〈竜渓・経国美談

祭礼寺院法楽などの行列に、美しく装って練り歩く児童。「—行列

寺院や、公家(くげ)・武家召し使われ少年男色対象となることもあった。

「是も今は昔比叡の山に—ありけり」〈宇治拾遺・一〉


やや‐こ【児】

読み方:ややこ

あかご。赤ん坊。やや。


稚児

読み方:チゴ(chigo), ヤヤyaya), ヤヤコ(yayako)

乳飲み子


稚児

読み方:チゴ(chigo)

(1)乳のみ子・幼児子供
(2)寺院貴族武士なでで召し使われ少年
(3)寺院法会美装して行列に加わる幼童

別名


稚児

読み方:ちご

神社の祭礼に際して美しく化粧整え参加している男女児童のことです。ケガレのない童子童女は、神霊懸かる対象として、また神さま仕え存在として特に尊ばれきました

稚児

作者河野多恵子

収載図書河野多恵子全集 第4巻
出版社新潮社
刊行年月1995.7


稚児

読み方:ちこ

  1. 一般掏摸及其犯人。〔第三類 犯罪行為
  2. 掏摸或は鶏姦相手年少者のことを云ふ。
  3. スリ犯人。〔掏摸
  4. スリ犯人

分類 掏摸


稚児

読み方:ちご

  1. 男子同性〓姦ノ情交アル二人中年少者。〔第二類 人物風俗
  2. 稚児。男色少年をいふ。普通「ちごさん」と呼ぶ。被鶏姦者の事なり。
  3. 男色関係のある美少年のことをいふ。〔情事語〕
  4. 〔学〕美少年のこと。男子同性愛相手方となる少年のこと。女子年少少女愛し同性愛対象とする場合には「オメ」と云ふ。
  5. 男色関係のある美少年のことをいふ。
  6. 〔隠〕男色関係のある美少年の事。
  7. 僧侶間で男色少年のこと。⑵また一般に男色関係の美少年のこと。

分類 僧侶、学、情事

隠語大辞典は、明治以降の隠語解説文献や辞典、関係記事などをオリジナルのまま収録しているため、不適切な項目が含れていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

稚児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 13:29 UTC 版)

稚児(ちご)には、概ね、以下の意味がある。

  • 本来の意味の稚児で乳児幼児のこと。「ちのみご」という言葉が縮んだものと考えられる。後に、6歳くらいまでの幼児(袴着・ひもとき前)に拡大される。袴着・ひもとき~元服裳着の間の少年少女は「童」(わらは・わらべ)と呼ばれた。
  • 大規模寺院における稚児 → 下記 大規模寺院における稚児 参照
    • 転じて、男色の対象とされる若年の男性の意。
  • 祭りにおける稚児 → 下記 祭りにおける稚児 参照
  • 薩摩藩郷中制度における年齢区分の年少者。6、7歳から10歳までを 小稚児 こちご[注釈 1]、11歳から14、15歳までを 長稚児 おせちごと区分していた[1][注釈 2]

童子は、「人間の世界からみた野性、不可視の異界にかかわる境界性を持ち、異界から来訪していまだ成員として認知されていない外来性を帯び、この世と異界とをつなぐ媒介性を備えた存在」であり、境界的、媒介・通路的な存在であった[2][3]

大規模寺院における稚児

稚児物語(児物語)の『秋夜長物語』。1400年頃
『稚児之草子絵巻』、僧侶と稚児の春画絵巻
牛若丸。歌川国芳、1852年

概要

平安時代頃から、真言宗天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行(12~18歳くらい)が現れはじめ、稚児と呼ばれるようになった。

皇族や上位貴族の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さを見込まれて世話係として僧侶に従う「中稚児」、芸道などの才能が見込まれて雇われたり腐敗僧侶に売られてきた「下稚児」がいた。禅宗では喝食と呼ばれた。

髪形は垂髪、または、稚児髷で、平安貴族女性と同様の化粧をし(お歯黒も付ける場合もあった)、極彩色の水干を着た。又、女装する場合もあり、その場合、少女と見分けがつきにくかった。稚児は「容顔才知ともにすぐれ遊戯をたしなみ管弦音曲をよくする者」が最上とされた[2]。稚児は大法会の際に舞楽散楽延年を上演する場合が多く、他の寺の僧侶からも注目を集めた。

稚児文化(稚児物語)は、天台宗の寺院に源がある[4]。仏教には異性とのセックスを禁じる不淫戒がある。天台宗では、秘儀「児灌頂」(稚児灌頂)を受けた少年が稚児とされ、観音菩薩と同体である神聖な存在となり、僧侶に性愛を通じて救いを与えると考えられていた[5]。稚児は「神とつながり、祭祀と政治をつなぎ、呪宝の相伝にかかわり、その一切が寵童としての身体に集中する」といった存在であった[2]

真言宗天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林禅宗寺院)や華厳宗などにおいても、稚児・喝食は主に男色、衆道少年愛の対象であった。華厳宗東大寺宗性のように、およそ100人の稚児と関係を持った僧侶もいたという。なお、当時の寺院社会には僧侶同士の恋愛はみられず、小山聡子は、稚児は単なる女性の代わりではなかったのだろうと述べている[6]。平安中期以降の説話集や和歌集には、少年である稚児と僧侶の恋愛に関わるものが数多く収められている[7]

稚児は成人に達すると還俗する場合が多いが、出家して住職となった者もいたらしい。

時代的背景

阿部泰郎によると、稚児発生の史的背景は次のようなものである[2]

寺院が律令の枠を破って、あらたな神聖不可侵の祭儀を司どりつつ俗権を行使する機関として誕生したとき、当時の言葉で言えば、出世間(俗世の外)のみならず世間をも含む、複雑な階層をはらんだ社会が出現した。そこに、いわば聖界と俗界の中間もしくは未分化な状態というべき一身分が介在する余地が生まれた。[2]

日本の中世は大変革の時代であり、異界との直接的な接触やその希求により宗教改革が行われ、中世宗教の本質は、異界や神仏の世界にじかに触れる「通路性」にあった[3]。中世史家の佐藤弘夫は中世の精神史的特性を「権化(応化)」というキーワードで読み解いているが、権化とは「神仏などの超越的異界存在(彼岸)が生々しい具象性・身体性を伴ってこの世(此岸)に姿を顕すこと」である[3]。長山恵一は、「こうした異界・冥界への<通路性>という宗教/文化的文脈の中に稚児信仰・稚児文化・男色は位置づけられる」と述べている[3]

童子を重んじ、愛し、愛でることは、中世的な文化特性であり、主従関係や長子相続といった父(大人)と子(童子)をめぐる家族社会制度と深く関わるもので、こうした文化特性をただ単に男色と片付けることはできない(こうした文化特性が性的な色彩を帯びると、お小姓衆道などの男色文化となる。)[3]。長山恵一は、「幼童は異界・彼岸など超越世界への<通路>であり、チャンネルを開く装置」であり、「幼童を飾り立て、その美を愛でる心性は異界との接触・通路性が大きな動機」であると指摘している[8]

イエ制度との関わり

イエ制度は歴史的に、中世に生まれた経済社会的制度である[9]。中世には、各種産業、職業の分業化・専門化が起きており、貨幣経済の隆盛や都市の発展、流通の発達と不可分なものである[9]。イエ制度の誕生は、婚姻形態の変化だけでなく、技術や家職が専門化・高度化したことで、世代を超えて知識・技術を蓄積し、親子間で伝承する必要が生じたことと関係する[9]

母(女)は父(絶対者・カミ)と性で結びつき(タマヨリヒメ)、子供とは生殖で結びついており、女性にはあの世からこの世に新たな生命(胎児・稚児)をもたらすという生物学的な「通路性」がある[9]。母子の関係が明白であるのに対し、父子の関係は推定に過ぎず、不確かで、「社会的な約束事の中ではじめて成立する文化的な『幻想』」である[9]。長山恵一は、社会レベルで見ると稚児は、「(父-子的な)主従関係や長子相続、徒弟制といった経済社会的な制度や人間関係、さらには婚姻関係が絡み合い、(母-子的な)世代を超えて知や技術、財産が伝承・相続される<通路性>の象徴」であると述べている[9]。多くの論者は、男色(衆道)は文化・芸能・宗教や武士社会の(父-子的な)主従関係の結びつきの性的表現であり、生物学的な男女の性・母子関係に対し、より文化的と指摘している[9]

天台宗の児灌頂

天台宗では、少年を稚児という特別な存在に変える秘儀「児灌頂」(稚児灌頂)という儀式が行われ、これにより少年は慈悲をもって一切衆生を救う観音菩薩と同体である神聖な存在である稚児となり、衆生に慈悲を与える存在とされた[5][10]。児灌頂を受けた少年は「○○丸」と命名された。稚児は僧侶に性愛を通じて救いを与える存在であり、稚児との性的な行為は悟りに至るための宗教的な行為だと考えられていた[5]。僧は生身の稚児そのものを犯すのではなく、稚児の性を通して観音菩薩と契るとみなされていた[10]。稚児は菩薩の化身としての宗教的な通路であり聖なる存在とみなされたが、同時に、「少年の肉体の陵辱というこの世の性的快楽(稚児愛・男色=性)と紙一重」であったと指摘されているである[4]

天台宗の総本山である比叡山の叡山文庫には、『児灌頂私』(元奥書 宝徳2年〔1450年〕)というタイトルの写本が伝わっており、前半は「児灌頂」の儀式と私記を記した「児灌頂私」、後半は稚児の立ち居振る舞いの決まりや、僧と稚児の性愛の作法などを記した「弘児聖教秘伝私」が収録されている[11]。(小説家で出家した今東光が「弘児聖教秘伝私」を下敷き小説『稚児』(1936年初出)を執筆、これにより文献の存在と内容が世間に知られるようになった[11]。)

室町時代に成立したとされる『児灌頂私記』では、児灌頂を受けていない子供を犯すと三悪道に堕ちると説かれており、天台宗を中心とする寺院社会や貴族社会に非常に大きな影響を与えた『往生要集』(比叡山の源信著)では、子供に性的な関係を強要したり男同士で性関係を持ったものは地獄に堕ちる、と説かれていた[5]。しかし、当時影響の大きかった書物の中で、『往生要集』以外に僧侶と稚児の性関係を咎めたものはなく、特にタブー視されることはなかった[12]。小山聡子は、稚児を観音菩薩とみなし神聖視する見方は平安時代からあり、僧侶と稚児の恋愛関係はこうした稚児の神聖視と関連するもので、女性を求めて悩む僧侶の夢に吉祥天が現れ契りを結び性的に救済する話(『日本霊異記』)等に見られる、諸尊による性の救済の思想の延長線上に成り立っていると推定している[12]

十禅師神、16世紀

日本の天台宗の開祖最澄が比叡山に初めて登った際に、最初に稚児(十禅師)を見て、次に山王(大宮権現、山王権現)を見たという「一児二山王」が天台宗にとって非常に重要な意味を持つという説があり、これは稚児の神聖視がベースにある[7]。天台宗では鎌倉末期になると、「一児二山王」(一稚児二山王、一稚子二山王)という言葉が盛んに用いられており、『厳神鈔』(奥書 1414年)では、この「一児」とは日吉社(現日吉大社)の神十禅師であるとされている[13][14]。『廊御子記』(1603年)では、十禅師は稚児の姿に変じて、性欲に苦しむ天台宗の僧慈円の元に通い慰め、二人の性交から子が生じたとされている[14][15][16]

宗教学者のオリ・ポラトによると、「一児二山王」は元々天台宗の灌頂の極秘の口伝であった[17]。『児灌頂私記』では、稚児は境ノ三諦、つまり具体的な物質的現実を表し、山王は智三観、つまり認識論における絶対者であるとされ、稚児が第一であり、山王がその次、両者は究極的には不二一元であると説明されている[16]。そして「一児二山王」とは、なんらかの行為がこうした非二元性英語版を実現することを示しているとされ、オリ・ポラトは、それが僧と稚児との男性同士の性交であることは明らかだと述べている[16]。山王の姿は僧形とされおり、そのミサキ神である十禅師の姿は若い僧形または童形とされた。天台宗の僧は山王に倣い黒衣を纏うとされており、僧と稚児の性交において、僧は山王であり十禅寺であるともいえ、稚児は僧侶(山王・十禅師)との性交で神格化され、僧侶もまた稚児(十禅師)と性交で神格化されるのだという[16]。山王を最高神とする山王信仰を天台宗の教えにより解釈した山王神道(天台神道)の教義では、十禅師が最高の位置に置かれたが、オリ・ポラトは、これは神道思想と仏教理論を融合させる重要な教義上の考えであると同時に、「the concept of transgression as something that should be harnessed to attain power and protection(破戒〔宗教的な罪・逸脱〕とは力と守護に到達するために活用すべきものだという考え)」をもたらしたとしている[16]。オリ・ポラトは、これは天台寺院において稚児との性行為を正当化するために、高位の神格である山王がその従属神によって降格・失脚させられた特異な事例だと評し、十禅師の性愛の神としての側面の研究の必要性を主張している[16]

「一児二山王」の格言は山王神道に限られず、謡曲(能)『大江山』(比叡山を追われた鬼の酒呑童子が前シテの鬼退治物、14-15世紀)、『七十一番職人歌合』 (16世紀初頭)、『弁慶物語』 (室町時代、御伽草子)、男色(衆道)の教えを説いた『若道之勧進帳』(1482年)など中世文学に見られる[16]

幼帝との重なり合い

中世には、政治支配制度が分業・分権化し、天皇が個人ではなく「機関」化し、幼い天皇が誕生したが(院政など)、この幼帝と稚児が重なり合うことが指摘されている[18][19]。幼帝はある意味、背後の権力者に奉仕する童子であり、時に稚児が呪具・呪宝の伝承に関わっていたように、幼帝は神器を受継ぐ者として異界と関わり合い、異界との「通路・媒介」として機能する存在であった[18][19]

中世の稚児と幼帝は共に、異界・他界・絶対者との「通路・媒介」として機能したと論じられ、それは中世の文化・宗教(呪術)、経済社会制度、国家・法的支配の3つのレベルから見ることができるが、これらを切り離して読み解くことはできない[19]

稚児が登場する文学作品

室町時代に書かれた「お伽草子」には、僧侶と稚児の恋愛や、稚児が観音菩薩の化身として現れる「児物語」「稚児物語」と呼ばれる作品群がある。僧侶と稚児との恋愛を、宗教的要素を強め、幻想的かつ悲劇的に物語化したもので、稚児は神仏の化身のように扱われ、理想化された美しさが描かれている[20]。中世の流行語「一児二山王」は物語でも用いられており、僧侶の稚児に対する憧憬、敬重を物語っている[20]。稚児物語の成立には、鎌倉時代までの説話集にある僧侶と弟子の様々な説話や、民間伝承の昔話の「和尚と小僧」型の笑話も関連している[20]。物語において稚児は、幼さゆえの場違いな発言で僧侶の失笑を買う等、笑いの対象になる場合もあった。また稚児を巡る社会風潮を批判するために書かれた『若気嘲弄物語』のような作品もあった[21]

稚児は、古典、近代、数多くの文学作品に登場し、これらの中でも、神秘的、繊細、優美、典雅、清楚、可憐、脆弱、等、少女~妙齢の女性と同様の耽美的描写が行われる場合が多い。『稚児物語』で描かれた稚児は美しい少年であり、その美しさを際立たせる演出として、が繰り返し用いられてきた[22]。少年美を際立たせる桜による演出は、現代の少女漫画にまで受け継がれている[23]

  • 今昔物語集(作者不明、平安時代末期)
  • 宇治拾遺物語(作者不明、鎌倉時代前期)
  • 徒然草兼好法師、鎌倉時代後期)
  • 上野君消息(作者不詳、南北朝時代):稚児物語
  • 秋夜長物語(作者不詳、室町時代)」稚児物語
  • 嵯峨物語(室町時代):稚児物語[20]
  • 幻夢物語(作者不詳、室町時代):稚児物語。実話に基づくと考えられている[24]
  • 鳥部山物語(室町時代):稚児物語[24]
  • 足引絵巻(室町時代):稚児物語の絵巻物。延暦寺の僧と興福寺の稚児との恋愛を描く[25]
  • 鳥部山物語(室町時代):稚児物語[20]
  • 松帆浦物語(室町時代):稚児物語[20]
  • 弁慶物語(室町時代):御伽草子熊野若一王子の申し子で比叡山の僧に拾われ稚児となった若一(のち弁慶)が、源義経の家来となり、奥州に下るまでを描く[26]
  • 青頭巾(上田秋成『雨月物語』の一話。江戸時代後期):読本
  • 桜姫東文章四代目鶴屋南北ほか、江戸時代後期):歌舞伎の演目
  • 青砥稿花紅彩画河竹黙阿弥、江戸時代後期):歌舞伎の演目
  • 二人の稚児(谷崎潤一郎、大正7年):小説
  • 稚児今東光):昭和48年(1936年)初出の小説。比叡山の叡山文庫の『児灌頂私』収録「弘児聖教秘伝私」を下敷きに、創作した物語に「弘児聖教秘伝私」の書き下し分を随所にちりばめた[11]。物語は、比叡山の美しい稚児の花若丸と高僧の蓮秀法師の恋愛、別の稚児阿字丸が加わっての三角関係、花若丸に対する慶算法印の横恋慕をからめたもの[11]

稚児出身の歴史上の人物

祭りにおける稚児

深川神明宮の稚児行列(江東区

(以下、少年少女には未就学児を含む)

現代においては、祭りの中で、特徴的な化粧厚化粧の場合が多い)をし、揃いの、または決められた衣装を着た少年少女(概ね小学生以下)が稚児と呼ばれる場合が多い。

ただ、稚児と呼ぶかどうかは祭りの主催者によって一定しない場合が多く、鶴岡八幡宮例大祭の八乙女・童子や花巻市花巻まつりの囃子方のように、見た目が稚児であっても稚児と呼ばない場合がある一方で、姫路市姫路ゆかたまつりのように、素顔にゆかた(無し)の場合でも稚児と呼ばれる場合もある。

歴史

服飾・化粧

大正時代の稚児(1914年頃)

稚児の衣装は概ね平安装束神官装束巫女装束)か、それを大幅に簡略化した稚児装束の場合が多く、または不可欠と考えられる。少年は烏帽子、少女は天冠を被る場合が多い。持ち物としては舞扇、蓮・桜・紅葉・等の造花等が多い。

化粧は額に「アヤツコ」と呼ばれる、まじないの意味がある模様、または「位星(くらいほし)」と呼ばれる丸を黒、または赤で入れ、鼻筋を白く塗るのが基本だが、それ以外は、ほとんど素顔、口紅を塗るだけの場合から、大人のフォーマルと同様の厚化粧歌舞伎舞踊と同様の舞台化粧(極稀にお歯黒を付ける場合や引眉する場合がある)、バレエと同様な洋風の厚化粧、と結構様々である。これらの化粧・服飾は単なる装飾ではなく、神性・神聖・神秘・等の意味合い・意味付けがあり、また通過儀礼の意味があるともされる。

タイプ別の分類

祭りにおける稚児には大きく分けて3つのタイプがある

  • よりまし型
  • 舞踊・芸能型
  • 行列型

よりまし型

古代から6歳以下の幼児には神霊が降臨しやすいと考えられたことから、神社の祭りにおいてよりましの役割をもった稚児が登場した。現在では、その祭りのシンボルとして扱われている。ほとんどの場合、少年に限られ、選ばれる人数も1人か、多くても3人程度。

舞踊・芸能型

神楽舞楽延年田楽風流等を奉納・上演する少年少女も稚児と呼ばれる場合が多く、稚児舞ともいわれる。巫女神楽の場合に巫女装束となる少女の巫女太鼓台の「乗り子」も稚児と呼ばれる場合がある。

前節の稚児(有髪の少年修行僧)の芸能の流れを汲むものもある。

この他、少年少女の素人歌舞伎稚児歌舞伎と呼ぶ地方がある。

行列型

このタイプが一番多く見られる。

寺院の花まつり(誕生会灌仏会釈迦の誕生日)や観音菩薩不動明王等の縁日法然日蓮等の宗祖命日お会式)、本堂落慶法要や晋山式といった、数十年~数百年に一度の大法会に行われる他、神社の祭りにも巫女と共に登場、また、時代行列の中で登場する場合もある。

稚児は一般から公募する場合も多く、大規模な所では200名以上が登場する場合もある。

少年少女の手古舞も稚児と呼ばれる場合がある。

なお、稚児行列に3回出ると幸福になれるという言い伝えもある。

稚児が出る祭り

越後一宮彌彦神社の妻戸大神例祭(妃神例祭)に舞殿で奏される、舞楽「大々神楽」の稚児舞「泔珠(かんじゅ、扇の舞)」
八坂神社祇園祭での長刀鉾の稚児と禿(京都市)
諏訪神社における少女の巫女(富岡市
伊勢町祇園祭での手古舞の稚児(中之条町

節分雛祭り花まつりお会式手古舞は各項目を参照

新暦

旧暦

参考文献

祭りにおける稚児の参考文献
  • 日本の祭り撮影ガイド(萩原秀三郎、朝日ソノラマ、1976)P40~41、60~61、92~98、122~123、132~133
  • 写して絵になる 祭の撮影フルコース(八木原茂樹、日本カメラ社、ISBN 4817910089)P50~51、58~59、92~93
  • 祭りと年中行事(直江廣治、桜楓社、1980年)p29~30
  • 絵巻 子どもの登場―中世社会の子ども像(黒田日出男、河出書房新社、ISBN 978-4309611518)P104
  • 精選 日本民俗辞典(吉川弘文館、ISBN 4642014322)P352~353
  • 民俗学辞典(柳田國男、東京堂出版、1951~69年)P366~367
  • 日本民俗事典(大塚民俗学会、弘文堂、1972~80年)P443~444

脚注

注釈

  1. ^ 地域によっては わらべ稚児、ヘゴ やま稚児、ヘゴ稚児と呼ばれていた。
  2. ^ 標準的な年齢区分。地域によっては少し異なっていた。

出典

  1. ^ 郷中教育28”. 南日本放送. 薩摩の教え. 南日本放送 (2018年4月25日). 2021年3月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e 柳田 1990, p. 42.
  3. ^ a b c d e 長山 2009, pp. 19–20.
  4. ^ a b 長山 2009, p. 20.
  5. ^ a b c d 小山 2007, p. 26.
  6. ^ 小山 2007, pp. 41–42.
  7. ^ a b 小山 2007, pp. 25–26.
  8. ^ 長山 2009, p. 19.
  9. ^ a b c d e f g 長山 2009, p. 22.
  10. ^ a b 辻 2011, p. 217.
  11. ^ a b c d 辻 2011, p. 215.
  12. ^ a b 小山 2007, p. 41.
  13. ^ 小山 2007, p. 25.
  14. ^ a b 小山 2007, p. 42.
  15. ^ 舩田 2007, pp. 81–82.
  16. ^ a b c d e f g Porath 2022.
  17. ^ ポラト 2019, p. 192.
  18. ^ a b 柳田 1990, pp. 42–43.
  19. ^ a b c 長山 2009, p. 23.
  20. ^ a b c d e f 児物語』 - コトバンク
  21. ^ 田村航「『若気嘲弄物語』は一条兼良の作か」『伝承文学研究』第51号(伝承文学研究会、2001年)/所収改題「『若気嘲弄物語』の一条兼良の作について」田村『一条兼良の学問と室町文化』(勉誠出版、2013年)
  22. ^ 佐伯 2015, pp. 2–6.
  23. ^ 佐伯 2015, p. 6.
  24. ^ a b 幻夢物語』 - コトバンク
  25. ^ 足引絵巻』 - コトバンク
  26. ^ 挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第13話 弁慶物語”. 南日本放送. 薩摩の教え. 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ. 2025年6月21日閲覧。

関連項目

祭りにおける稚児の関連項目

外部リンク

祭りにおける稚児関連の外部リンク

稚児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:37 UTC 版)

田辺祭」の記事における「稚児」の解説

3名が選出される。「乗り子」と呼ばれ狩衣 に綾笠 をまとう。

※この「稚児」の解説は、「田辺祭」の解説の一部です。
「稚児」を含む「田辺祭」の記事については、「田辺祭」の概要を参照ください。

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稚児

出典:『Wiktionary』 (2020/05/14 05:46 UTC 版)

名詞

チジ ちご ややこ)

  1. 乳児また、6歳以下の幼児
  2. 有髪少年修行僧
  3. 祭り着飾った少年少女

「稚児」の例文・使い方・用例・文例

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