けごん‐しゅう【華厳宗】
華厳宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/18 03:39 UTC 版)
華厳宗(けごんしゅう)は、中国大乗仏教の宗派のひとつであり、杜順を開祖とする。『大方広仏華厳経』(『華厳経』)を所依の経典として、独自の教学体系を立てた宗派である。韓国、日本、ベトナムにも広まった。
注釈
出典
- ^ “南都六宗(なんとろくしゅう)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年8月3日閲覧。
- ^ “東大寺で晋山式 再任の佐川別当、大仏殿で報告 -朝日新聞デジタル”. 朝日新聞社. 2019年12月22日閲覧。
華厳宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 14:57 UTC 版)
示観国師 - 凝然(1240- 1321)東大寺戒壇院の長老。華厳宗の学匠で『八宗綱要』等多数の著作がある。
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華厳宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 01:35 UTC 版)
高弁……平重国の子。号は明恵。華厳宗を中興。 凝然……東大寺学僧。仏教史を研究。
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華厳宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
明恵上人の名で知られる高弁は、華厳宗中興の祖といわれ、後鳥羽上皇と北条泰時の帰依をうけた。東大寺を出て遁世していたが、後鳥羽上皇の院宣により京都北郊の栂尾に高山寺をひらき、法然を批判して『摧邪輪』をあらわした。かれは、仏陀の説いた戒律を重んじることこそ、その精神を受けつぐものであると主張し、生涯にわたり戒律の復興を身をもって実践した。 なお、高弁は栄西より茶の種子を譲られたことから栂尾はのちに茶の名産地となっている。
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