吉蔵とは? わかりやすく解説

きちぞう〔キチザウ〕【吉蔵】

読み方:きちぞう

江戸時代下男通称

大方は—、三助成り上がり」〈浮・永代蔵・一〉


きちぞう〔キチザウ〕【吉蔵】

読み方:きちぞう

549623中国、隋(ずい)代の僧。金陵江蘇省)の人。三論宗再興の祖。嘉祥(かじょう)寺に住して教え広めたので、嘉祥大師よばれる。「三論玄義」など著書多く、ほとんど現存


吉蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/21 12:47 UTC 版)

吉蔵
549年623年
諡号 嘉祥大師
宗派 三論宗
寺院 嘉祥寺、慧日道場、日厳寺
法朗
弟子 慧灌
著作 『三論玄義』
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吉蔵(きちぞう、549年 - 623年)は、中国六朝時代末から初期にかけての。俗姓は安氏で、先祖は安息国の人。金陵(江蘇省南京市)の出身。嘉祥大師とも言う。

生涯

父も出家しており、道諒という僧であった。父について真諦三蔵のもとに行き、出家して吉蔵と名づけられた。12歳の時に三論宗の法朗の講義を聴き、翌年に出家した。

21歳で具足戒を受け、百越征討の際に、会稽の嘉祥寺に住しており、三論を究めた。嘉祥寺に住したことから、嘉祥大師の名がある。開皇17年(597年)には、天台智顗と交際した。

以後、煬帝の命により、揚州の慧日道場・長安の日厳寺で三論や法華の布教や講説を行い、煬帝を初め多くの信者を得た。この間に三論教学を大成している。また、戦乱中に博捜した様々な文献を用い、大乗経典の研究を行った。

代になると、実際寺・定水寺・延興寺などに住した。

日本三論宗を伝えた慧灌など、数多くの弟子がいた。

参考書籍(著作注解)

6)ISBN 978-4-500-00263-4、7)ISBN 978-4-500-00264-1
上)ISBN 978-4-8043-1102-9、下)ISBN 978-4804311036

伝記資料



吉蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 08:00 UTC 版)

高安犬物語」の記事における「吉蔵」の解説

チン飼い主である猟師通称「吉」。32 - 3 歳。蔵王吾妻飯豊一帯では熊猟にかけては右に出るもののな名手だが、気難し屋短気で乱暴なため、人付き合い少ない。

※この「吉蔵」の解説は、「高安犬物語」の解説の一部です。
「吉蔵」を含む「高安犬物語」の記事については、「高安犬物語」の概要を参照ください。

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