法華義疏(内四巻点本)
三経義疏
(法華義疏 から転送)
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『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)は、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(伝 推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(伝 推古天皇19年(611年))『維摩経義疏』(伝 推古天皇21年(613年))の総称である。それぞれ『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の三経の注釈書(義疏、注疏)である。
- ^ 『日本書紀』巻第二十二「秋七月、天皇請皇太子、令講勝鬘經。(中略)是歳、皇太子亦講法華經於岡本宮」。現代語訳: 秋七月、天皇は皇太子に請い、『勝鬘經』を講じるよう仰せになった。その年、皇太子はまた、『法華經』をも岡本宮で講じられた)
- ^ a b (魚住、2010)p.35
- ^ (魚住、2010)pp.16 - 18
- ^ (東野、2017)pp.126 - 127
- ^ (魚住、2010)pp.20 - 22
- ^ (魚住、2010)p.23
- ^ a b (魚住、2010)p.24
- ^ (魚住、2010)pp.22 - 23
- ^ (東野、2017)pp.134 - 135
- ^ (魚住、2010)pp.23 - 24
- ^ (東野、2017)p.
- ^ (魚住、2010)p.36
- ^ (魚住、2010)p.
- ^ (魚住、2010)pp.25 - 29
- ^ (東野、2017)pp.121 - 122
- ^ (東野、2017)pp.127, 131 - 135
- ^ (魚住、2010)p.39 - 40, 46 - 47
- ^ (魚住、2010)pp.37 - 38
- ^ 井上亘「御物本『法華義疏』の成立」古瀬奈津子 編『古代日本の政治と制度-律令制・史料・儀式-』同成社、2021年 ISBN 978-4-88621-862-9 P212-223.
- ^ 吉川弘文館『国史大辞典』より「三経義疏」の項。
- ^ 解説を増訂したのが、中村元『聖徳太子 地球志向的視点から』(東京書籍 1990年)
法華義疏
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『法華義疏』は伝承によれば推古天皇23年(615年)に作られた日本最古の肉筆遺品である。 一般に聖徳太子自筆とされている『法華義疏』の写本(紙本墨書、4巻)は、記録によれば天平勝宝4年(753年)までに行信が発見して法隆寺にもたらしたもので、長らく同寺に伝来したが、明治11年(1878年)、皇室に献上され御物となっている。 この写本は冒頭の表題と撰号(著者署名)を欠いており、第一巻の巻頭には別紙を継いで、ここに「法華義疏第一」の内題があり、その下に本文とは別筆で「これは大委国の上宮王による私集で、海外から渡来したものではない」(意訳)と書かれている。料紙については、本文は中国製の紙を使用し、貼紙は日本製の紙であるとの見方もある。本文の行間には書込み、訂正などが見られることから、草稿本である。 なお、中国六朝時代末から唐初期にかけての僧である吉蔵による同名の『法華義疏』とは別物である。
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