六朝時代とは? わかりやすく解説

六朝

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六朝(りくちょう)とは三国時代東晋および南朝つまり六国王朝。建康(建業)つまり現・中華人民共和国江蘇省南京市を都としていた。




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六朝時代

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中国哲学」の記事における「六朝時代」の解説

3世紀から4世紀にかけて新道家とも言われる玄学」(神秘的な学問)の興隆がみられた。この流れの最も重要な哲学者王弼向秀郭象らである。この学派取り組んだ主な問題として存在非存在先立つか(中国語存在は「名」、非存在は「無名」である)というものがある。こういった竹林の七賢のような道家哲学者特徴的な形質は「風流」、つまり自然や本能的な衝動身を任せるある種ロマンチックな精神である。 仏教紀元後1世紀中国到来していたが、南北朝時代、隋、唐の頃になって初め大きな影響力認知有するようになった最初仏教道家教派一つだと考えられ道家始祖老子について、インド行って自分哲学仏陀伝えたという説も存在した大乗仏教中国においてライヴァル小乗仏教よりもずっと成功した。どちらの仏教中国土着の教団とともに5世紀興隆した。二人重要な哲学者として僧肇道生がいる。しかしおそらくもっとも重要で独自の教派禅宗で、日本に対して大きな影響与えた中唐仏教最盛期迎え伝えられるところによれば4600の寺院40000招提蘭若があり、260500人の僧・尼僧がいたという。仏教僧正権威修道院財力仏教外国宗教とみなす儒者たちから批判を受けるほどであった845年武宗会昌の廃仏呼ばれる廃仏令をだし、財産没収され僧・尼僧は還俗させられた。この後仏教影響力大きく減じることになった

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六朝時代

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文人」の記事における「六朝時代」の解説

六朝時代になると九品官人法導入などにより士人層が貴族化・世襲化しはじめ、文人はその特権的な立場から生活に窮することがなくなり文芸文学)に耽溺し官僚としての職務を俗なる世事として疎んじる傾向見られるうになる。この背景には儒教よりも老荘道家思想興起しており文人大い影響与えていたとみることができる。この六朝時代に「文人」という呼び名職業身分という意味合い離れ士人生き方のひとつの選択肢として、あるいはひとつの精神的な価値観として認識され、これ以降その意味使われるうになる別の言い方をすると、文人士人)は「経世済民すべきものである」という一面的な儒教的規範少しだけ逸脱することができた。またこの時代文人を特に貴族的文人と呼ぶことができるがその貴族としての意識凡俗であることを見下す姿勢産み出したともいえ、文人のひとつの属性である「反俗性」はこのころより培われ、「俗」を斥け「雅」を尊ぶ価値基準生来される。このような価値基準文芸のみならず家格人物評価にまで及ぶ。 六朝時代の代表的な文人東晋詩人 陶淵明あげられる。その漢詩あまりに有名であるがそれ以上陶淵明隠逸的な処世法は後代文人大きな影響与えている。

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六朝時代

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中国文様史」の記事における「六朝時代」の解説

弱体化した漢は、西暦220年三国分裂しその後隋の南北朝統一までの約370年間を六朝時代という。この時代は、魏・呉・蜀に分裂した三国時代西晋50年ほど統一する時代再び分裂漢民族南朝異民族北朝それぞれに興亡繰り返す南北朝時代と実に目まぐるしく王朝移り変わる時代であったこのように社会的政治的に混乱期であったが、芸術面では実りの多い時代であった。この時代は、またインドから仏教伝わった時代であった仏教北魏などの文化的後進国最初に信仰された。北魏江北鮮卑族王朝であり文化的に後進国であったが、皇帝一度仏教帰依すると、敦煌莫高窟雲崗石窟龍門石窟などの石窟寺院作られた。やがて中国神仙思想背景とした文化混ざり合い蓮華唐草飛天などの文様広く見られるようになった仏教美術インド限らず、ギリシャ・ペルシャ・エジプト美術影響をも受けており、建築彫刻・絵画工芸あらゆるジャンルに及ぶ総合芸術であったこうした異質な様式が、従来神仙思想背景とした中国美術一気合流することになった雲崗石窟壁画 敦煌莫高窟飛天上部

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