書体・書風とは? わかりやすく解説

書体・書風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 05:27 UTC 版)

屏風土代」の記事における「書体・書風」の解説

本書書体行書体主体草書体交え書風豊麗悠揚とした荘重な和様である。その書は、満身筆力内蔵した懐の広い字形豊潤な趣をにじませ、下書きながら端正かつ重厚で、温かみがある。その筆意中には古く日本伝えられ王羲之いわゆる蔵鋒の妙がよく学ばれていることがわかる。 『智証大師諡号勅書』は勅書のため謹直に本書屏風のため優雅に、『玉泉帖』は詩を書いたものゆえ情緒豊かにそれぞれ書かれており、道風の多彩な才能感じさせる。ただ、和様といって藤原佐理藤原行成のように筆使い繊細でなく、古体であり、石川九楊は、「約100年後に書かれ藤原行成の『白氏詩巻』に比べると、抑揚法表現がやや未成熟。」と述べている。 作詩した朝綱も書に自信があり、その書風旧態唐様であることから、道風の新し和様排斥しようとその書技を争った。が、決着がつかず、勅判を乞うこととなり、「朝綱の書の道風に劣ること、道風の才(詩文)の朝綱に劣れるが如し」と村上天皇仰せとの記述が、平安時代説話集江談抄』に見える。

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書体・書風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:23 UTC 版)

仏足跡歌碑」の記事における「書体・書風」の解説

筆者、刻者は不明である。書体楷書体六朝北派書風であるが、すでに唐式が加味され凛然としている。奈良時代写経にも通じているが、素含蓄のあるものとなっている。 碑面多少加工はあるが、だいたい自然のままで、石の疵を避けたり窪んだ中にそのまま刻したりしたところもある。また、石面が荒く凹凸のあるところは大きく刻したところもあるので、石面に直接墨書したもの思われる。刻法は生き生きとして、おおらかな気分であり、しかも一種、高古真率なものが漂う。全体としてよく整っており、彫刻技術進んでおり、肉筆対するがごとき感を与えている。 清の楊守敬は、「和文属すといえども、また書法別格自立するに足る。」と称している。廣岡義隆は、「原碑の文字一点一画疎かにしないきびきびとした書風で、惚れ惚れとするものである書道上も意義あるものと確信する。」と述べている。

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書体・書風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:43 UTC 版)

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘」の記事における「書体・書風」の解説

銘文筆者不明である。書体はやや偏平柔らかみを帯びた楷書体であるが、196文字中、35文字今日活字存在しない上代通行文字で、日本の上代金石文にしばしば現れるいわゆる俗字用いている。用筆遒勁精熟韻致の高い作である。鏨彫り用いた刻法も行き届き法隆寺金堂薬師如来像光背銘に見るような鏨のまくれがない。ただし、横画転折にやや荒削りのところがあり、また、終わりの方は彫り浅く字体萎縮している。全体的に整然と配置され字配りによって統一感に満ち秀麗評される書風には見解の相違があり、『法華義疏』に通じ六朝書風南朝)、隋代墓誌銘風、虞世南欧陽詢らを思わせる初唐書風などといわれている。大山誠一は、「六朝書風のところも、初唐書風部分もあり、一つ書風書かれていない。」と述べている。銘文中に9文字ある「しんにょう」の書き方特徴的で、「しんにょう」が右下軽く消えるように流れている。これについて魚住和晃は、「南朝書法影響受けている。」と述べているが、大山誠一は、「8世紀墨書土器などに見られ日本化した書風考えることができる。」と解釈し六朝書風への限定否定している。

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書体・書風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 02:37 UTC 版)

智証大師諡号勅書」の記事における「書体・書風」の解説

書体行書体主体草書体交え書風は、和様漢字元祖称される相応しく豊潤和様である。その太い重量感弾力性のある墨線は気力溢れて盛り上がってくるように感じられ能書道風の壮年期面目遺憾なく発揮している。日本の書道史上、特筆すべきことは、道風がそれまで唐様模倣から脱して和様創始したということである。その特徴は、王羲之などの唐様では、起筆・送筆・収筆をはっきりさせた三折法が採られ、点画直線的であるのに比べ和様では運筆抑揚優美抒情味あふれ、起筆・送筆・収筆の区切り曖昧になり、点画曲線的になることにある。しかし、南北朝時代書論麒麟抄』には「羲之が手に肉を懸て、道風は書給へり、然りと雖も羲之が所定筆法に替はらざるなり」(道風は王羲之の書に少し肉付けをして書いているが、その書法根本変わらない)とあり、両者書法はまった正反対のものではないとある。

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書体・書風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 20:54 UTC 版)

法隆寺金堂薬師如来像光背銘」の記事における「書体・書風」の解説

銘文筆者・刻者は不明である。書体痩せた楷書体で、古意もあって風韻高く刀法もあざやかで筆触のような味がある。また文字角張っており、「天」や「大」の字が左に傾く特徴があることから、初唐の頃の書風隋唐書風)といわれている。 飛鳥時代書風は、当時百済流行していた六朝書風南朝)に始まり、やがて遣隋使遣唐使派遣により直接中国大陸の書が流入し隋唐書風へと変化していく。その飛鳥時代書風変化好例として引用されるものに、『法華義疏』(六朝南朝書風)と『金剛場陀羅尼経』(初唐欧陽詢風)があるが、『法華義疏』が615年頃の筆跡であるのに対し、『金剛場陀羅尼経』は朱鳥元年686年)の年紀有する筆跡である。ゆえに本銘文7世紀後半筆跡刻字推定されている。 六朝書風 六朝書風とは、中国六朝時代書風のことであるが、書道史でいう六朝時代とは、晋から南北朝時代までを指す。六朝時代書風は、北朝北魏など)と南朝(晋など)でかなり異なり北朝石碑墓誌書かれたものが多く、力強い峻険楷書中心南朝では建碑禁止されていたため法帖多く行書草書中心である(中国の書道史#北碑南帖参照)。日本ではまず南朝系が盛行し、ついで北朝系が伝入した(法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘#仏像様式と書法文化の源流参照)。 隋唐書風 隋唐書風とは、隋の墓誌初唐石碑見られる書風のこと。主に楷書対するもので、洗練さと謹直筆勢特徴である。六朝時代南北著しく趣を異にしていた書風は、隋代になると統一化洗練化が進み新たな楷書体へとその書風進化させていった。やがてその鋭利澄み切った書法は、初唐欧陽詢らによって大きく開花されたのである中国の書道史#初唐参照)。 六朝書風南朝書法、『法華義疏』、伝聖徳太子筆) 六朝書風北魏書法、『元懐墓誌』) 初唐書風(『九成宮醴泉銘』、欧陽詢筆) 初唐書風(『金剛場陀羅尼経』)

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