南北朝時代までとは? わかりやすく解説

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南北朝時代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 16:17 UTC 版)

」の記事における「南北朝時代まで」の解説

原産地については、四川雲南説(長江及びメコン川上流)、中国東部から東南部にかけてとの説、いずれも原産地であるという二元説がある。 中国喫茶風習始まったのは古くその時期は不明である。原産地に近い四川地方で最も早く普及し長江沿いに、茶樹栽培適した江南地方広がった考えられる。 しかし、「」という字が成立し全国的に通用するようになったのは唐代になってからであり、それまでは「荼(と)」「(めい)」「荈(せん)」「檟(か)」といった文字当てられていた。 書籍現れるものとしては、紀元前2世紀前漢)の『爾雅』に見られる「檟」、または、司馬相如の『凡将篇』に見られる「荈詫(セツタ)」が最初とされる漢代の『神農本草経果菜上品に次のような記述がある。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}苦菜一名一名選。味苦寒生川谷。治五蔵邪気。厭穀。胃痹。久服安心益気。聡察少臥。軽身耐老。 陶弘景注釈書本草経集注』の中でこれを茶のことと解した。これに対して顔師古疾病治癒する薬効認められないとしてこれを批判し、さらに唐代編纂された『新修本草』もは木類であって類ではないと陶弘景の説を否定して苦菜仲間とした。このため以後苦菜キク科ナス科植物考えてとは別物とする説が通説である。ただし、その一方で宋代の『紹興本草』などでは、苦菜(と考えられキク科ナス科植物)に『神農本草経』の記す薬効がないと指摘されているため、陶弘景の説を肯定する見解もある。 「荼」という字が苦菜ではなく現在のを指すと確認できる最初の例は、前漢王褒記した「僮約」という文章である。ここでは、使用人(僮)がしなければならない仕事列挙した中に「荼を烹(に)る」「武陽で荼を買う」という項があるが、王褒の住む益州現在の四川省広漢市)から100キロメートルほど離れた武陽現在の彭山県眉山産地)まで買いに行く必要があるのは苦菜ではなくであると考えられる。この「僮約」には神爵3年(前59年)という日付付されており、紀元前1世紀には既に喫茶風習があったことが分かる後漢期には茶のことを記した明確な文献はないが、晋代詩人張載が「芳荼は六清に冠たり/溢味は九区に播(つた)わる/人生苟(も)し安楽せんには/茲(こ)の土(くに)聊(いささ)か娯(たの)しむ可し」という、讃歌といえる詩を残している。南北朝時代には南朝飲まれていた。顧炎武清初によれば南朝代(502 - 557年)に既に「荼」から独立した」の文字現れたというが、字形成立年代特定難しく、仮に「」の字が生まれたとしても余り頻用されなかったと考えられている。

※この「南北朝時代まで」の解説は、「茶」の解説の一部です。
「南北朝時代まで」を含む「茶」の記事については、「茶」の概要を参照ください。

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