被官の格分け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 04:42 UTC 版)
島津家の被官は、その家格により三つに呼び方が分けられていた。 一番格上は御一家(ごいっか)と称される島津の有力庶家で、薩州家・伊作家・相州家などに加え、北郷家と樺山家などもこれに類された。また、6代氏久が子の元久に対し、「宗家と御一家の間に身分の上下は無く、特に和泉・佐多・新納・北郷・樺山の各氏は御教書を与えられた家であり、上下はないと心得るよう」言い含めており、少なからず元久の代まではそのような関係が続いていたようである。 続いて御内(みうち)と呼ばれる譜代被官・直属被官であり、初代忠久に従い九州へ下向した者、南北朝時代までに被官化された中小在地領主、若しくは御一家・国衆の庶家で、独立した所領を持たず被官となった者などがこれに類された。 続いて国衆(くにしゅう)または国方(くにかた)と呼ばれる者で、郡司や地頭などの国人領主を指す。土持氏や伊東氏もこれに類されていた。
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