ぐん‐じ【郡司】
読み方:ぐんじ
律令制で、国司の下で郡を治めた地方官。大領・少領・主政・主帳の四等官からなり、主に国造(くにのみやつこ)などの地方豪族が世襲的に任ぜられた。また、特に長官の大領をいう。こおりのみやつこ。
こおり‐の‐つかさ〔こほり‐〕【▽郡▽司】
読み方:こおりのつかさ
「ぐんじ(郡司)」に同じ。
郡司
姓 | 読み方 |
---|---|
郡司 | くんし |
郡司 | くんじ |
郡司 | ぐじ |
郡司 | ぐんし |
郡司 | ぐんじ |
郡司 | ぐんぢ |
郡司 | ぐんづ |
郡司 | さとつかさ |
郡司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 14:39 UTC 版)
郡司(ぐんじ、こおりのつかさ)は、日本の律令制下において、律令国内の各郡を治める地方官である。中央官僚である国司の下で、郡の行政に当たり、その地の有力者が世襲的に任命された。
- ^ そのような村落との結びつきが強く、村落の一人一人を把握でき、戸籍作成なども担い、律令制を支えた。
- ^ 馬場基「中央と地方を結ぶ人々の動き」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 1 制度と実態』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01728-2 P91-95
郡司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:21 UTC 版)
小槻山君 - 一族として、文献に采女として小槻山広虫の名が見えている。采女は郡司クラスなどの有力豪族の娘が奉仕する職であり、文献に度々名が見えることから小槻山君が古代に当地を治めていたと考えられている。古墳・遺跡の出土品から当地では鉄の生産が行われていたとわかっており、その関与が指摘されている。小槻山君は貞観15年(873年)京に移り、当地からは離れた。
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「郡司」の例文・使い方・用例・文例
- 領という郡司の官名
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