南北朝時代の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 14:43 UTC 版)
建武2年(1335年)、足利尊氏が後醍醐天皇に離反。貞久は一時敗れて九州へ逃げのびた尊氏を助け、多々良浜の戦いで菊池勢を撃退、尊氏の巻き返しに協力するなど、室町幕府成立に大きく貢献した。しかし、膝下の三州では谷山氏や肝付氏が南朝方として挙兵。これに対し貞久は庶長子・川上頼久らを薩摩に下向させ、南九州における南北朝の激戦が繰り広げられる。 従来、南九州は谷山氏ら薩摩平氏や肝付氏など在庁官人が勢力をもっていた地であったが、鎌倉時代、島津氏や渋谷氏と言った東国武士団が進駐し、在地勢力との間に軋轢を生んでいた。その鬱憤が、在地勢力をこぞって南朝方に誘導し、守護島津氏との対決姿勢を顕わにする事となった。
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