南北朝時代の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:33 UTC 版)
「南北朝時代 (日本)」の記事における「南北朝時代の意義」の解説
南北朝時代の意義とは、上部構造から見れば、公家勢力のほぼ完全な無力化、そして武家単独政権の成立である。前代鎌倉時代は鎌倉幕府と朝廷の公武二重権力であり、公家もなお荘園・公領を通じて一定の権力を有していた。ところが、天皇親政を掲げる南朝の失敗により、皇室など旧勢力の権威は失墜し、一方、北朝の公家も、室町幕府第3代将軍足利義満によって、警察権・民事裁判権・商業課税権などを次々と簒奪されていった。南北朝が合一したとき、後に残った勝者は南朝でも北朝でもなく、足利将軍家を中心とする室町幕府と守護体制による強力な武家の支配機構だった。 一方、南北朝時代の意義は、下部構造から見れば、二毛作の普及等で生産力が向上し、民衆の力が増したことにより、それまでの日本社会は族縁(血筋・婚姻)を元に形成されていたのに対し、この時代に「惣」(村落)、つまり地縁で結ばれるようになったことにある。氏族の支配ではなく、地域の支配が重要になったのである。戦乱が60年近くの長期に及んだのも、この社会構造の変化が、基本的な要因である。こうして、地域を単位とした新しい勢力は「国人」と呼ばれ、南北朝の内乱を契機として台頭し、やがて国人層への優遇政策を打ち出した室町幕府につくなど、大勢力の政治動向を左右した。南北朝の社会をリードしたのは、バサラ大名(旧来の権威を無視する武士)に加えて、下部構造から出現した「悪党」(悪人という意味ではなく、旧勢力に反抗的な地域組織という意味)だった。河内の一悪党に過ぎなかった楠木正成が南朝に有力武将として登用されて『太平記』でヒーローとして描かれ、その息子の楠木正儀も公卿である参議にまで登りつめていることは、その端的な象徴である。
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