南北朝時代から戦国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:03 UTC 版)
南北朝時代になり成生佛向寺を開基した里見氏に斯波兼頼(最上氏の祖)の係累が養子として入ると、本拠地を成生から天童に移し、それに伴って佛向寺も天童へ移った。佛向寺は天童城の西の守りとして機能し、僧兵を持っていた。やがて、戦国時代となり天童氏が最上氏から自立すると天童氏の側に立って最上氏と争うことになる。 天正12年(1584年)最上義光が天童氏の居城天童城を攻め落とした際、堂宇を焼失している。
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