堂宇とは? わかりやすく解説

どう‐う〔ダウ‐〕【堂宇】

読み方:どうう

堂の軒。堂の建物


堂宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/31 07:44 UTC 版)

堂宇(どうう)は、四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物[1]


  1. ^ a b 前久夫『古建築の基礎知識』光村推古書院、1986年、36頁。
  2. ^ a b c 前久夫『古建築の基礎知識』光村推古書院、1986年、55頁。
  3. ^ 前久夫『古建築の基礎知識』光村推古書院、1986年、55-56頁。
  4. ^ a b 前久夫『古建築の基礎知識』光村推古書院、1986年、55頁。


「堂宇」の続きの解説一覧

堂宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 23:34 UTC 版)

長遠寺 (横浜市)」の記事における「堂宇」の解説

本堂 - 慶応元年(1865年)10月28世の戒亮院日住が再建した本堂伝わっていたが、老朽のため昭和50年代新築再建木造屋根銅板葺、間口五間、奥行六間、内陣間口三間奥行二間庫裏 - 檀信徒寄進よる。

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堂宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:31 UTC 版)

西福寺 (奈良市)」の記事における「堂宇」の解説

本堂 薬師堂 - 薬師如来安置している。 地蔵堂 - 地蔵菩薩安置している。 鐘楼 - 梵鐘1945年(昭和20年)の鋳造

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堂宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 04:47 UTC 版)

耕三寺」の記事における「堂宇」の解説

境内には、日本著名仏教建築などを模した建物所狭しと配置されている。詳細以下のとおりである。 山門 - 京都御所紫宸殿の門を模したもの。御所の門は素木造であるのに対し、こちらは鉄鋼13トン用いた極彩色の門である。登録有形文化財中門 - 法隆寺西伽藍楼門中門)を模したもの。登録有形文化財羅漢堂 - 法隆寺西伽藍回廊原型とした。中門左右に伸びる回廊状の建物で、内部には五百羅漢像安置する登録有形文化財礼拝堂 - 中門入って真正面位置する清水寺西門原型とし、内部観世音菩薩像がある。 鼓楼 - 中門入った先の右に位置する新薬師寺鐘楼模したもの。登録有形文化財鐘楼 - 中門入った先の左、鼓楼対称位置にある。新薬師寺鐘楼模したもの。登録有形文化財五重塔 - 鼓楼鐘楼から階段上がって一段高くなった敷地に建つ。室生寺五重塔模したもので、心柱鉄鋼製。第二次大戦後の起工で、1955年完成した法宝蔵 - 五重塔の右に位置する四天王寺金堂模したもの。近代美術展示館3号館となっている。登録有形文化財。 僧宝蔵 - 五重塔の左、法宝対称位置にある。四天王寺金堂模したもの。茶道美術展示館(4号館となっている。登録有形文化財孝養門 - 五重塔からさらに階段上がった敷地に建つ。10年をかけて1963年完成した日光東照宮陽明門模したのであるが、陽明門よりも色鮮やかで、「母親綺麗に着飾らせたいという気持ち作られた」とも言われる五重塔孝養門は第二次大戦後の建築であるため、登録有形文化財の登録対象外となっている。 至心殿 - 孝養門の右方に建つ。法界寺阿弥陀堂模したもので、現在は法要倉庫としている。登録有形文化財信楽殿(しんぎょうでん) - 孝養門の左方に建つ。法界寺阿弥陀堂模したもので、当寺大講堂である。登録有形文化財大礼壇 - 孝養門の先、本堂の手前にある大理石の礼壇。 本堂 - 平等院鳳凰堂模したもの。1940年完成中堂には本尊阿弥陀如来像安置西翼には塑造不空羂索観音像(第二次大戦後の制作)、東翼には奈良興福寺から移され釈迦如来坐像重要文化財平安時代)を安置する登録有形文化財千仏洞地獄峡 - 約350mに及ぶ地下霊場仏教世界地獄観・極楽観を描く。1955年起工1964年完成建設時富士山熔岩浅間山焼石使われた。 救世観音大尊像 - 本堂後方に立つ。コンクリート漆喰併用彫像総高15mで、法隆寺夢殿御本尊秘仏救世観音手本である。1967年完成多宝塔 - 本堂右方に建つ。石山寺多宝塔模したもの。八角円堂とともに伽藍中心軸線に対し正面45度振って建っており、日本社寺の中では唯一の配置と言われる登録有形文化財八角円堂聖徳堂) - 本堂左方に建つ。法隆寺夢殿模したもの。登録有形文化財銀龍閣 - 八角円堂のさらに西方にある「琵琶の池」の畔に建つ。慈照寺銀閣模したもの。登録有形文化財祖堂 - 伽藍東南隅に建つ小堂で、1966年竣工である。複雑な屋根形式を持つ。毎年11月3日文化の日茶筅感謝の意込める供茶式野点行事行っている。 仏宝 - 境内西側に建つ。新薬師寺本堂模したもの。登録有形文化財。 潮聲閣 - 境内西側に建つ。金本耕三が母のために建てた邸宅で、入母屋造日本住宅二階建て洋館二部からなる耕三寺建立原点登録有形文化財藤棚 - 憩いの場金剛館 - 境内南方に建つ宝物館1968年完成未来心の丘 - 境内北方位置する広さ5000平方メートル高低差25メートル、イタリア・カッラーラ産の3000トン大理石用いた環境芸術丘の上から瀬戸田の町と瀬戸内海見渡せ、丘全体には「毘沙門天」や「光明の塔」など、大小10あまりのモニュメント点在する彫刻家杭谷一東1988年から12年をかけて作り上げたという。

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堂宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/23 10:10 UTC 版)

鷹栖観音堂」の記事における「堂宇」の解説

観音堂 鷹栖観音堂本体江戸時代絵図によればかつては山門などもあったようだが、現在は失われている。断崖作られ懸造り建築物過去何度建て替えられ記録残り現在の建物江戸時代建築階段登り口には仁王像残されているほか、仁王像周辺には多数地蔵・石仏などがある。中には小振りながら磨崖仏もある。現在は文化財保護観点から主な祭礼慈眼堂行われる大悲通常の参拝に使うため、地元民寄付により観音堂下に建設され堂塔周辺公園休憩所として使われる東屋風の建築で、休憩所の奥に観音像安置されているような形式になっている慈眼堂 観音堂老朽化対応し祭祀等も行えるような通常の寺院建築として観音堂下に建設され堂塔祭礼の際には多数参拝者一度詰めかけるため、老朽化した観音堂では危険があることから、もっぱらこちらで行われる薬師堂 宇佐八幡宮弥勒寺から移された旧虚空蔵寺本尊祀る断崖中に安置され懸造りである点は観音堂同じだが、こちらは参拝者中にはいるような造りではなく、ただ薬師像を安置するためだけの建物である。上記3つの堂とは少し離れた位置にある。

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堂宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:04 UTC 版)

東福寺 (横浜市港南区)」の記事における「堂宇」の解説

関東大震災本堂倒壊したので25世海旭により再建され、のち1963年昭和38年11月10日瓦葺屋根本堂新築した書院庫裏1922年大正11年)の新築であり震災被害もなく現在に至る。屋根亜鉛葺。 鐘楼山門瓦葺。鐘は1957年昭和32年)に新鋳また、東福寺近辺明治から大正時代には、横浜の花どころといわれ、花かごをせおって商いする風景がよく見られたという。東福寺の「花塚」は、の人が花の精感謝する気持で、作られたものとされる。 ほかに接待所、花塚、親鸞上人像庚申塔がある。

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堂宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:12 UTC 版)

光明寺 (横浜市南区)」の記事における「堂宇」の解説

本堂間口7間、奥行10間の入母屋造向拝唐破風造木瓦葺き。無憂の間、吉上の間、法雲の間、金の間の4室と、執事寮・学衆寮・知客からなる書院客殿建坪130余り木造瓦葺き。元小田原御用邸一部鐘楼和香殿鉄筋コンクリート造二階建梵鐘昭和36年1961年9月鋳造、鋳匠山形渡辺壹郎

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