みんかんしんこう 【民間信仰】
民間信仰
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民間信仰(みんかんしんこう)とは、教義や教団組織をもたずに地域共同体に機能する庶民信仰のことで、個人の自覚的入信にもとづく創唱宗教とは異なる[1]。民間宗教、民俗宗教、民衆宗教、伝承的信仰ともいう[1]。フォークロアの訳語としての「民間信仰」は1897年に姉崎正治が初例とされる[2]。
- ^ a b 世界大百科事典 第2版
- ^ 「中奥の民間信仰」(「哲学雑誌」1897)
- ^ (マルク・ブロック『封建社会』p.49)
- ^ J・ル・ゴフ 2005, p. 212.
- ^ J・ル・ゴフ 2005, p. 264.
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
民間信仰
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古くから白い動物は、その希少性や見た目の美しさから、神の使いや吉凶の前ぶれなどとして畏れられてきた。アルビノも例外ではなく、古くから信仰の対象として地元の人たちに大切にされてきた例がある。 シロヘビ - アオダイショウのアルビノ。山口県岩国市では比較的シロヘビが多く、この地域のものは国の天然記念物に指定されている。他にも奈良県の大神神社でも白蛇が信仰心されており蛇が現れる杉の木を「巳の神杉」と呼んでいる。 弁天ナマズ - 琵琶湖で見られるイワトコナマズ・ビワコオオナマズのアルビノの通称。地元の猟師たちの間では竹生島の弁才天(日本三大弁才天)の使いとされる。 タイの白象やヒマラヤのホワイトタイガーはアルビノではない。
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民間信仰
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死に瀕した人間の魂が生霊となる伝承が、日本全国に見られる。青森県西津軽郡では、死の直前の魂が出歩いたり物音を立てるのを「アマビト(あま人)」といい、逢いたい人のもとを訪ねるという。柳田國男によれば、「あま人」と同様、秋田県仙北郡の伝承ではこのように自分の魂を遊離させてその光景を夢見できる能力を「飛びだまし」と称していた。同じく秋田県の鹿角地方では、知人を訪ねる死際の生霊が「オモカゲ(面影)」と呼ばれていたが、生前の人間の姿をして足が生えており、足音を立てたりもする。 また柳田の著書『遠野物語拾遺』によれば、岩手県遠野地方では、「生者や死者の思いが凝って出歩く姿が、幻になって人の目に見える」ことを「オマク」と称し、その一例として傷寒(急性熱性疾患)で重体なはずの娘の姿が死の前日に、土淵村光岸寺の工事現場に現れた話を挙げている。『遠野物語』に関して柳田の主要情報源だった佐々木喜善は、このときまだ幼少で、柳田は目撃現場にいた別の人物からこの例話を収録したとしており、佐々木当人は「オマク」という言葉は知らず、ただ「オモイオマク」(おそらく「思い思はく」)と言う表現には覚えがあることを鈴木棠三が尋ね出している。 能登半島では「シニンボウ(死人坊)」といって、数日後に死を控えた者の魂が檀那寺へお礼参りに行くという。こうした怪異はほかの地域にも見られ、特に戦時中、はるか日本国外の戦地にいるはずの人が、肉親や知人のもとへ挨拶に訪れ、当人は戦地で戦死していたという伝承が多くみられる。 また昭和15年(1940年)の三重県梅戸井村(現・いなべ市)の民俗資料には前述の『曾呂利物語』と同様の話があり、深夜に男たちが火の玉を見つけて追いかけたところ、その火の玉は酒蔵に入り、中で眠っていた女中が目覚めて「大勢の男たちに追いかけられて逃げて来た」と語ったことから、あの火の玉は女の魂とわかったという。
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民間信仰
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「チベットにおける宗教」の記事における「民間信仰」の解説
1981年、アムド県で、ケサル王伝の転生者を自称するソナム・プンツォというチベット人が「リンの英雄たち」という民俗宗教の一派を立ち上げた。この教団は1980年代に最盛期を迎え、地元の共産党幹部の一部までもを改宗させた。その後、中国共産党は「リンの英雄」を、破壊的で「分裂主義」的な宗派として禁止した。
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民間信仰
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民間信仰的要素は歴史的経緯もあり、複雑な様相を成している。これらは主にアニミズムを基盤としており、社殿以前の磐座や山岳信仰などに顕著であるが、神仏習合の影響も受け、形を変えて受け継がれているものも多い(道祖神と地蔵菩薩、えびす信仰など)。密教などの影響を受け、仏教や神道の枠に収まりがたい発展を遂げた宗教には、修験道、陰陽道、山岳信仰などがあり、真言陀羅尼や功徳を積んだ法力への期待から御霊会など怨霊の鎮魂を担っていた。現代でも地鎮祭などにはこの考えが残っている。
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民間信仰
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詳細は「台湾の民間信仰(中国語版)」および「王爺千歳信仰(中国語版)」を参照 台湾の民間信仰は儒教、仏教、道教が融合したものであり、福建や広東からの移民を通して華南地区より台湾にもたらされ台湾化したものである。台湾の道教徒の大多数が民間信仰と混同されており、先祖崇拝、巫術、鬼神、その他心霊及び動物崇拝が特徴となっている。
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民間信仰
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10世紀にスラヴにおいてキリスト教への改宗が進められ、主要な神々(神格)への信仰が失われた。しかし下記のような「小神格(ディイ・ミノーレス)」については、キリスト教徒となったスラヴ人の生活の中に民間信仰として残ってきた。これらは自然現象などに由来した精霊と考えられている。 家の精ドモヴォーイ 水の精ヴォジャノーイ 森の精レーシー 水の精ルサールカ ゾリャー(英語版) (オーロラ[要曖昧さ回避][要検証 – ノート]の神格化) さらに、下記のような存在は昔話にも登場する。 魔女の老婆バーバ・ヤーガ 不死の老人コシチェイ 寒さのジェド・マロース スラヴの民間伝承で特に有名なのは、吸血鬼(シチシガ(英語版))と人狼(ヴィルコラク(英語版))に関するものである。
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民間信仰
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「神道」も参照 東北地方の秋田県男鹿半島地域では、なまはげに扮した男たちが、鬼のような仮面と伝統的な藁の岬(蓑)を身に着けて、毎年恒例の儀式として家を巡る。これらの鬼男は、火の周りで怠惰にアイドリングしている子供たちに恐怖を植え付けようとしている神 (神道)になりすます。これは今なお生き続けている民俗慣行でも特にカラフルな例である。 同じ習慣はアカマタ・クロマタが沖縄本島八重山列島で儀式として存在し、これはシークレットで写真を撮ることはできない。 神棚、小さな神社の棚を所有している世帯は今日ますます少なくなっているが、まだ多くの世帯にある。神道のバージョンではキッチンの神さまであるKamado kami(かまど神)と融合した仏教のバージョンである荒神、ハースの神は台所に安置する。 日本には人気カルトには、時には特定の神と仏、例えば怒りに専念している不動明王やヒーラー系の薬師如来などがいる。そして多くのカルトには、次のような聖地への敬意を払った中心として伊勢神宮(伊勢講またはおかげ参り)または富士山(それによって富士講、多くの地元の模擬富士神社が建てられた)もある。これらのメッカへの巡礼は江戸時代以降衰退した。しかし最近では88の寺院跡の四国巡礼(通称おへんろさん)が流行しているほか、人気メディアや情報誌などでは現在、多くの神社や神聖な自然の場所をパワースポットなどとして紹介している。 例えば太鼓を鳴らすなど、悪病に行う長いプラクティスのリストとして厄除けまたは厄払いが行われるが、一部の地域では家の外、玄関先にに小さな塩の山を置くのが一般的(盛り塩)。塩の散布は一般的に浄化だと考えられているが 、著名な例では相撲試合で使用されている。時代のストックルーチンやテレビドラマでも、家のあるじが気に食わない訪問者が去った直後に、妻に塩をまき散らすように命じるというのが描かれる。逆にあるじが仕事に出かけるときに、燧石などで火花を灯すというのがあるが、こちらは幸運を招くと考えられている。 現在では庚申信仰カルトが要する沈黙警戒に従事している人は誰もいないが、このカルトは象徴的な三猿と関連付けられていることに留意。 中国から陰陽道を通じて日本に持ち込まれたジオマンシーの痕跡もいくつかある。鬼門という言葉「鬼の門」は、口語的には人が常に不運を抱えている可能性のあることを指すが、本来の意味では北東方向を指し、不運または危険で悪意のある霊を招いていると見なされている (cf 。金神)。ほかに家相つまり文字通り「家の人相」として知られている風水の日本語版もある。陰陽や陰陽道のカタタゲなどの概念が密接につながったものは平安時代に貴族によって広く実践されていたカタイミとしても知られている。他に日本で広く知られているタブーに北枕があり、これは頭を北に向けて寝ないようにアドバイスしているものであるが、この禁止事項に真剣に注意を払う必要があるものかどうかは懐疑的なものである。 日本の民間伝承では、キジは天国からのメッセンジャーと見なされていた。しかし、日本の総合研究大学院大学と国立極地研究所の研究者は、2020年3月に、西暦620年に日本の夜空を横切って目撃した赤いキジの尾とされたものは、磁気嵐の間に生成された赤いオーロラである可能性があると主張した。
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民間信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 20:13 UTC 版)
民間信仰においては、狐憑きの話は日本全国各地に見られる。狐憑きは、精神薄弱者や暗示にかかりやすい女性たちの間に多く見られる発作性、ヒステリー性精神病と説明され、実際に自ら狐となって、さまざまなことを口走ったり、動作をしたりするという話が、平安時代ごろから文献に述べられている。行者や神職などが、「松葉いぶし」や、狐の恐れる犬に全身をなめさせるといった方法で、狐を落とす呪術を行っていた。 狐憑きで有名なものは、長篠を中心に語り伝えられる「おとら狐」で、「長篠のおとら狐」とか「長篠の御城狐」などと呼ばれていた。おとら狐は、病人や、時には健康な人にも憑くことがあって、憑いた人の口を借りて長篠の戦いの物語を語る。櫓(やぐら)に上がって合戦を見物しているときに、流れ弾に当たって左目を失明し、その後左足を狙撃されたため、おとら狐にとり憑かれた人は、左の目から目やにを出して、左足の痛みを訴えるという。 他にも長崎県五島列島でいう「テンコー(天狐)」のように、憑いた者に神通力を与えるとされる狐憑きもある。 これらのほか「稲荷下げ」などといって、修験者や巫者が狐を神の使いの一種とみなし、修法や託宣を行うといった形式での狐憑きもある。 狐に対する信仰の厚さは、狐を稲荷神やその使いとみなす稲荷信仰、密教徒や修験者が行う荼枳尼天法、巫者や行者が狐を使って行う託宣に示されており、これらの信仰を背景として狐憑きの習俗が成立したものと見られている。
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民間信仰
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日本各地の俗信においては、歯の生えた鬼子は良くないもの、縁起の悪いものとして生まれた後に殺害したり、捨てて他の誰かに拾ってもらうなどの事例が見られる。群馬県山田郡ではかつて、1本歯が生えて生まれた子供は捨てて近所の人に拾ってもらい、2本そろって生えていた子は大いに出世するといわれた。同県の別の地方では、生まれて10か月に歯の生えた子供は「塔婆」と呼び、三つ辻に捨て、人に頼んで拾ってもらっていた。また長崎県久賀島でも、33歳のときに娘を産むと親に逆らう鬼子になるといい、別の親に拾わせる風習があった。 愛知県田峯では、鬼子を放置すると親子のうちの一方が死ぬと言われ、鬼子は出産して間もなくすべて殺されていた。同様の理由での嬰児殺しは各地で行われていたが、屋久島では親に養育の意思がある場合、鬼子の歯を折ることで鬼子ではなかったことにしていたという。 また、妊婦が出産しないまま死んだ場合、その胎児は鬼子と見做された。子を宿したまま埋葬された女性は産女となってこの世に未練を残すという伝承が日本の各地に見られるが、産女伝承には鬼子伝承が付随している場合が多い。
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民間信仰
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呂洞賓が悪政に苦しむ民衆を助けるために出現したという伝承は各地にあり、三国時代の武将である関羽と肩を並べるほどの人気がある。癒神、武神、試験の神、財神(砂金採りの神)、御神籤・占いの神、理髪師・文具・遊女の業神として、道教では主神として祭る廟も多い。 また、全真教の開祖である王重陽に田舎の酒屋で金丹道の口訣を与えたという説話から、全真教では特に重要視されており、江南の全真教道士であった苗善時は宋・元代の呂洞賓の奇跡譚をまとめた「純陽帝君神化妙通紀」を編纂した。
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