むげんざいのおんやどり【無原罪の御宿り】
無原罪の御宿り
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無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり、ラテン語: Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)とは、聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって[1]、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である[2]。無原罪懐胎(むげんざいかいたい)とも言う。1854年に正式に信仰箇条として宣言決定された[3]。
- ^ a b c d フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』244頁、教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353
- ^ a b c 新要理書編纂特別委員会/編、日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』106頁 - 107頁、カトリック中央協議会、ISBN 9784877501068
- ^ a b “Ineffabilis Deus (1854)”. New Advent. 2022年12月8日閲覧。
- ^ a b c d 『キリスト教大事典 改訂新版』1044頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版
- ^ ジャン・ルクレール『修道院文化入門』神崎忠昭・矢内義顕訳、知泉書館、2004年10月25日、ISBN 4-9016-5441-1、p285
- ^ a b 矢内義顕「カンタベリーのエアドメルス 聖母マリアの御やどりについて 解説」『中世思想原典集成10 修道院神学』平凡社、1997年10月1日、ISBN 4-582-73420-0、p71-72
- ^ 矢内義顕「カンタベリーのエアドメルス 聖母マリアの御やどりについて 解説」『中世思想原典集成10 修道院神学』平凡社、1997年10月1日、ISBN 4-582-73420-0、p71
- ^ a b c d 『カトリック大辞典』(106頁 - 108頁、上智大学編纂、冨山房、昭和42年第七刷)
- ^ 「正教会とローマ・カトリック教会の相違」(長司祭長屋房夫によるウェブサイト)の13頁、14頁にある「生神女の無原罪懐胎について」
- ^ a b c 府主教カリストス・ウェア著、司祭ダヴィド水口優明・司祭ゲオルギイ松島雄一訳『カリストス・ウェア主教論集1 私たちはどのように救われるのか』17頁 - 18頁、日本ハリストス正教会 西日本主教区
- ^ 『キリスト教大事典 改訂新版』911頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版
- ^ 『キリスト教大事典 改訂新版』911頁 - 912頁, 1044頁、教文館、昭和52年 改訂新版第四版
- 1 無原罪の御宿りとは
- 2 無原罪の御宿りの概要
- 3 関連項目
無原罪の御宿り
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おそらくこの祭壇画の主題として当初望まれていたのは、聖母マリアの処女懐胎の秘蹟である無原罪の御宿りに、より近いものだった。無原罪の御宿りには独特な概念が存在し、教会はキリストは処女たるマリアを母として誕生した神の子であるという教理を常に掲げてきた。15世紀にはフランシスコ修道会を中心として処女マリア崇敬が盛んとなり、マリアの処女懐胎は「純潔」と同義になっていった。このマリア崇敬はマリアが処女のまま神の子を生んだとする秘蹟に対するものではなく、マリアが神の子を宿したことによってアダムとエバの末裔たる人類が逃れることのできない原罪から、マリアが解き放たれたことに対する信仰である。当初の『岩窟の聖母』の納品指定日は12月8日だったが、これは無原罪の御宿りの祝日が12月8日だったためである。『岩窟の聖母』の制作依頼がなされた1483年は、ローマ教皇シクストゥス4世が無原罪の御宿りの教義を受け入れないものはカトリックから破門すると脅した年でもあった。
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