ベラスケス【Diego Rodríguez de Silva y Velázquez】
ディエゴ・ベラスケス
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ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599年6月6日(洗礼日) - 1660年8月6日)は、バロック期のスペインの画家。エドゥアール・マネが「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠である[1]。
- ^ 「新潮 世界美術事典」pp1323-1324 新潮社 昭和60年2月20日発行
- ^ 大高保二郎『ベラスケス』(岩波新書、2018年)p237。Otaka, Yasujiro (2000年9月). “An Aspiration Sealed”. Special Issue: Art History and the Jew. Studies in Western Art. 2007年12月8日閲覧。
- ^ SAMUEL, EDGAR (17 June 1996). “The Jewish ancestry of Velasquez”. Jewish Historical Studies 35: 27–32. doi:10.2307/29779978 . Ingram, Kevin (1999)."Diego Velázquez's Secret History", Boletín del Museo del Prado, XVII (35): 69–85. Newitt, Malyn (2009). Portugal in European and World History. London: Reaktion Books. p. 98. ISBN 9781861895196
- ^ ノリス・マクワーター, ed (1978). ギネスブック 世界記録事典 79年度版. 講談社. p. 124
- ^ 「スペイン文化事典」pp122-123 川成洋・坂東省次編 丸善 平成23年1月31日発行
- ^ 『新訂増補 スペイン・ポルトガルを知る事典』pp312-314 平凡社 2001年10月24日新訂増補第1刷
- ^ 大高『ベラスケス』(2018年)p126。
- ^ a b 作品紹介3 『バリェーカスの少年』 ディエゴ・ベラスケスプラド美術館展ニュース、美術館ナビ、2017.10.24
- ^ “1年前に発見されたベラスケスの絵画、3.7億円で落札 英国”. AFPBB News. (2011年12月8日) 2020年2月27日閲覧。
- 1 ディエゴ・ベラスケスとは
- 2 ディエゴ・ベラスケスの概要
- 3 1650-1660年の代表作
- 4 参考文献
ディエゴ・ベラスケス (1)
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「スペイン黄金時代美術」の記事における「ディエゴ・ベラスケス (1)」の解説
ディエゴ・ベラスケスは1599年セビリアに生まれる。貴族の家系と年代記の作者は書いているものの具体的な根拠はなく、ポルトガルから来たコンベルソ(キリスト教に改宗した元ユダヤ教徒)の家系とされる。同郷の画家パチェーコのもとで研鑽を積む。初期の作品はやはりボテゴンの絵が主であるが、その高い技術力からセビリアにいたころから宮廷の目に留まっていた。1623年にマドリードへ行った際オリバール伯爵ガスパール・デ・グスマンの紹介でフェリペ4世の肖像画を描き、若い国王に気に入られて宮廷に呼ばれる。1627年に『スペインからモリスコを追放するフェリペ三世』(現存せず)のコンペティションが行われ、長老格のビセンテ・カルドゥチョらそうそうたる顔ぶれの中ベラスケスは参加し、見事勝利した。以降フェリペ4世の絶大な信頼を受け宮廷画家として確固たる地位を早くも掴んだのである。 彼は敵を作らないよう控えめに過ごしていたが、絵画の研究を惜しまなかった。オランダ絵画を版画を通じて学び取り、1628年にルーベンスがマドリードに長期滞在した際に親交を結んだ。ベラスケスはルーベンスから深い影響を受け、彼の技法や構図をまねたりしている。『バッカス』がこの頃の代表作。また、ルーベンスの「イタリアに行くといい」という助言を受けすぐさまイタリアへ行くというほど彼を尊敬していた。 1629年外交官の役割も兼ねながら、ヴェネツィアやフェッラーラ、ナポリそしてローマに最も長く滞在した。イタリアの巨匠たちの絵画をどん欲に吸収して1630年に帰ってきた。しかし単なる技法の習得だけではなく様式まで学び取り、スペイン宮廷でこれまで見たことのない大胆な背景を用いた絵を描くようになる。彼自身はその後王宮の装飾などを手掛けるが、時代的にネーデルランドやフランスとの相次ぐ戦争があり、戦争を主題にした絵をたくさん描いている。カルドゥチョら先行作品を学び描いているが1634年の『ブレダの開城』は敵味方が対等に描かれており斬新な表現がなされている画期的な傑作であった。鍵を渡す際の図像は劇作家カルデロンの『ブレダの包囲戦』という作品の一節から来ているとされる。 カルドゥチョやカヘスら長老が亡くなると、ベラスケスは宮廷画家として絶大な力を持つことになる。王室コレクションの管理や画家の招聘など様々な業務を行っている。1636年から1640年まで王室周辺の人物の肖像画や神話や古代の人物たちを描いている。とうに存在していない人物であっても現実を写し取ったかのような迫真性は、肖像画の極致といわれる。彼は宮廷画家であるが宗教画を比較的描いていないことも特筆される。無論宗教画の需要は多かったので同時代にはアントニオ・デ・ペレーダやフライ・フアン・リシなどの宗教画家が活躍していた。
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ディエゴ・ベラスケス (2)
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「スペイン黄金時代美術」の記事における「ディエゴ・ベラスケス (2)」の解説
ベラスケスは、相次ぐ戦争の最中でも宮廷画家の仕事を全うしている。それどころかティツィアーノやルーベンスを研究し、より成熟した作品を創り上げた。1648年の『ヴィーナスとキューピット』ではスペイン絵画として珍しい女性裸体が描かれている。これはティツィアーノが宮廷コレクションにのこした『ポエジア』という神話の連作から着想を得ており、彼とルーベンスの裸体表現を参考に仕上げている。この頃から精力的に宮廷のコレクションを整理し始めるので、それまでに蓄積された巨匠たちの絵画と直に触れられる機会ができたのは大きかった。 1649年から再度ヴェネツィアへ行きそれからローマに1651年まで滞在した。イタリア絵画の買い付けだけでなく外交官としての仕事も果たしていたとされる。彼は1650年に教皇インノケンティウス10世と面会し『インノケンティウス10世の肖像』を描きあげ、彼の肖像画で最もすぐれた作品のひとつとされる。また当時のローマではやはりフランスのクロード・ロランらが戸外での製作をしていたので、それを参考にベラスケスも戸外でローマの風景を描いた作品を残している。このように彼の名声は全ヨーロッパに広がりつつあり、教皇や英国王チャールズ一世のコレクションに収められるようになった。 王宮の装飾など様々な仕事を精力的にこなすベラスケスに対し、フェリペ4世は名誉あるサンチャゴ騎士団の称号を与えようと思い始める。身元調査などを秘密裏に行い1658年にサンチャゴ騎士団員になる。一画家では到底なりえない名誉を手にする時期周辺に描かれたのが『ラス・メニーナス』である。自身の肖像も描きこまれているがそこにある騎士団のマークは、授爵されてから付け加えたものである。晩年も全く衰えることなく大作を完成させていった。1660年に長年続いたフランスとの戦争が終わり、フェリペ4世の娘マリー・テレーズとルイ14世の婚儀を取り仕切る仕事をし終えると熱病に倒れ、マドリードでその栄光に満ちた生涯を終えた。
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ディエゴ・ベラスケス
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「アラトリステ (映画)」の記事における「ディエゴ・ベラスケス」の解説
ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケスは「スペイン黄金世紀」の絵画を代表する画家のひとり。セビリアの生まれで1623年に24歳で宮廷画家に取り立てられ、以後マドリードで暮らす。1629年に船でイタリアに旅した際にベラスケスは4年前にブレダの包囲戦を指揮したアンブロジオ・スピノラと同船している。スピノラはネーデルラント政策をめぐってオリバーレス公伯爵と対立し、前年に司令官職を解任されてスペインに戻り、イタリアに赴任する途中であったが翌年に病死する。ベラスケスは6年後の1635年にブレダでのスペイン軍の戦勝を描いた「ブレダの開城」を制作した。さらに2年後にブレダの町はオランダに奪い返されている。
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固有名詞の分類
美術家 | 浜口陽三 ピエロ・ディ・コジモ ディエゴ・ベラスケス フランシス・ベーコン オラファー・エリアソン |
17世紀の美術家 | ホセ・デ・リベーラ ラヴィニア・フォンターナ ディエゴ・ベラスケス シャルル・ルブラン 俵屋宗達 |
スペインの画家 | ジョアン・ミロ ミゲル・ペイドロ ディエゴ・ベラスケス エル・グレコ サンティアゴ・ルシニョール |
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