スペイン宮廷で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 08:13 UTC 版)
「ソフォニスバ・アングイッソラ」の記事における「スペイン宮廷で」の解説
彼女の名がよく知られるようになると、ソフォニスバは1558年に時々ミラノへ向かい、そこでアルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドの肖像を描いた。アルバ公が彼女をスペイン王フェリペ2世に推薦した。同じ年、ソフォニスバはスペイン宮廷に招かれ、これが彼女の経歴の転機となった。 ソフォニスバがイタリアを発ってスペイン宮廷に赴いたとき、彼女は27歳前後であった。1559年から1560年の冬にかけ、彼女は宮廷画家としてマドリードに到着し、フェリペ2世の3度目の妃エリザベート・ド・ヴァロワの女官となった。 ソフォニスバはすぐに若い王妃の信頼と尊敬を得た。1560年は宮廷で多くの公式肖像画を描くのに費やされた。フェリペ2世の実妹フアナ・デ・アウストリア像、フェリペの長男カルロス像が含まれる。 こういった仕事は、彼女が初期に手掛けていた形式張らない肖像画より困難なものであった。何故なら、途方もない時間とエネルギーを、精巧な織物や王家の宝石を描くことに注ぎ込む必要があったためである。そういった挑戦にもかかわらず、ソフォニスバの描いたエリザベート王妃像(彼女の死後は、フェリペの4度目の妃アナ・デ・アウストリア像)は力強く生命に溢れたものとなっている。 エリザベート王妃に仕えている間、ソフォニスバはコエリョと密接に仕事をした。事実、フェリペ2世が中年の頃の有名な肖像画は、最初はコエーリョ作とされていたのである。最近になってこの絵がソフォニスバの作品と認識されるようになった。
※この「スペイン宮廷で」の解説は、「ソフォニスバ・アングイッソラ」の解説の一部です。
「スペイン宮廷で」を含む「ソフォニスバ・アングイッソラ」の記事については、「ソフォニスバ・アングイッソラ」の概要を参照ください。
- スペイン宮廷でのページへのリンク