スペイン宮廷での活動とチャパスの司教位受諾
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「バルトロメ・デ・ラス・カサス」の記事における「スペイン宮廷での活動とチャパスの司教位受諾」の解説
1540年、インディアスでの宣教師を募るためと、宮廷において現状報告を行うため、ラス・カサスは20年ぶりにスペインの土を踏んだ。国王カルロス1世(カール5世)はラス・カサスの報告を聞き、これを受けて1542年にバリャドリードにおいてインディアス評議会を召集し、インディアス政策の抜本的見直しとインディオ保護の方法を検討することを決めた。この評議会のために書かれた報告書が有名な『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』である。1542年11月、討議のすえにインディアス評議会はインディオ保護とエンコミエンダ制の段階的廃止をうたった画期的な「インディアス新法」を公布した。このことは植民地当局と植民者のラス・カサスへのいっそうの憎悪をあおることになった。 ラス・カサスを宮廷から引き離そうとする反対者たちの画策と、インディアスにあって現状の報告者になってほしいと願う支持者たちの意思の不思議な一致の結果として、ラス・カサスはメキシコに設置されたチアパス司教区の初代司教に任命された。チアパスについたラス・カサスは司教として植民地当局に「新法」の施行を厳しく求めたが、植民者たちの激しい抵抗を受けた。結局、植民地全体のスペイン人の反発によって「新法」のうたったエンコミエンダ制廃止は先送りになり、不完全なものとなってしまった。ラス・カサスと植民者たちの間で繰り返された対立は泥沼化し、なんとか打開策を見出そうとしたラス・カサスは再びスペイン行きを決意、メキシコを離れた。
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