スペイン王国成立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:51 UTC 版)
大航海時代、新大陸からもたらされたトマトやトウガラシは、スペインの食生活全体に影響を与えた。ジャガイモ、トマト、カボチャ、ピーマンなどの新大陸由来の野菜が多く使われるチャンファイナソースはクリストファー・コロンブスがもたらしたソースと言われる。 15世紀から17世紀にかけてのスペイン黄金世紀にはスペイン宮廷で華やかな宴会が開かれていたが、財政が厳しくなった17世紀半ばからは、十分な食事を用意できなかった日もあった。黄金世紀の民衆は飢餓と隣り合わせの状況に置かれており、17世紀に農民の窮乏は極まり、粗末な食事しか口にできなかった。飢饉と隣り合わせの状況、多くの人間が行き交うイベリア半島の立地より、スペインでは保存・携行に長けた料理が好まれるようになった。ハモン(ハム、Jamón)、ソーセージ、バカラオ (Bacalao)、チーズなどの保存食が好まれ、発達を遂げる。 16世紀初頭、スペイン初の総合的な料理書であるルペルト(ルベルト)・デ・ノラの『料理の書』がカタルーニャ語とスペイン語で出版される。1611年にフェリペ4世に仕えた料理人フランシスコ・マルティネス・モンティーニョが著した『厨房、菓子、カステラ、保存食品の技』はノラの『料理の書』以上の人気を博し、1800年までに20版近く出版された。 16世紀から18世紀にかけては国と教会がスペインのカトリック化のため豚肉食を推奨し、豚肉を忌避するイスラム教徒やユダヤ教徒を迫害した。イスラームとユダヤ両方の戒律に反する煮込み料理コシード (Cocid) を食べることがカトリック教徒の倫理的名誉とされ、イスラム教徒追放後はパエリアに豚肉、魚介類(イスラームの戒律では鶏肉と一緒に料理に使用することが禁じられている)が使われるようになり、料理にも反イスラームの意思が示された。イスラム教徒を祖先とするモリスコが多いアンダルシア地方では、現在コシードにイスラームで忌避される豚肉を入れないのが一般的になっている。 18世紀のボルボン朝成立後、スペイン宮廷の食文化はフランスの影響を大きく受ける。フェリペ5世の妃エリザベッタ・ファルネーゼを通して、イタリアの食文化がスペイン宮廷にもたらされた。この世紀にコース料理におけるスープとデザートの位置づけが確立され、一般の食卓でフォークが使われるようになった。 1839年にマドリードにスペインで最初の本格的なレストラン「ラルディ」が開店する。しかし、19世紀末には民衆の飢餓は社会問題化しており、中産階級が十分に形成されていないマドリードの外食産業の発展には限りがあった。
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