スペイン王位継承問題
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「エムス電報事件」の記事における「スペイン王位継承問題」の解説
1868年9月、スペインで革命(スペイン語版)が起き、女王イサベル2世はフランスへ亡命した。その後スペインでは、1869年1月に初の普通選挙が実施され、同年6月に憲法が発布されたが、その中で革命後の政体は立憲君主制に定められた。革命後も各地で混乱が続き、共和主義者による蜂起も発生したため、新政府にとって新国王の選出は体制安定のための緊急課題となった。 新国王の候補者としてホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯家(英語版)のレオポルトの名前が挙がる。ホーエンツォレルン・ジグマリンゲン家はホーエンツォレルン家の本家筋にあたり、1849年以降はジグマリンゲン侯領がプロイセン王国に併合されたため、王族として扱われた。1869年春、ビスマルクの買収工作により、スペインの使節がビスマルクを訪問する。フランスはこれに反応し、ビスマルクから、プロイセン王ヴィルヘルム1世が家長としてレオポルトの王位受諾を承認しない確約を得ようとするが、ビスマルクはこれを拒否した。さらにビスマルクに買収されたスペイン使節が、1869年秋と1870年2月に訪独し、レオポルトに王位を受諾させようとする。レオポルトは国王の許可を条件に受諾し、6月21日、ついにヴィルヘルム1世の承認が下りる。 しかし、これが公表されるや否やフランスの世論も政府も強い反発を示す。ヴィルヘルムはもともと執着なく、レオポルト自身気乗りがしていなかったこともあってプロイセン側が折れ、7月12日にレオポルトは正式に王位を辞退した。このプロイセン側の譲歩によって事態は平和的に解決した。 辞退が公表された以上、外交的には、ビスマルクの敗北と、ナポレオン3世の勝利をそれぞれ意味して終わるはずであった。ビスマルクは、自らの計画が無駄になったことを知って激怒し、またオイレンベルク伯を通じて、国王に辞職を願い出ようとした。
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スペイン王位継承問題
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「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事における「スペイン王位継承問題」の解説
1868年9月にスペイン女王イザベル2世がフアン・プリム将軍らスペイン軍部のクーデタにより王位を追われ、プリム将軍らは次のスペイン王の選定を開始した。ホーエンツォレルン家の分家であるジグマリンゲン家のカール・アントン侯(「新時代」期のプロイセン首相)の息子レオポルトが候補者として浮上した。 他のスペイン王候補がダメになり、1870年2月26日にスペイン枢密顧問官エウセビオ・デ・サラザール(Eusebio de Salazar)がレオポルトのスペイン王立候補を要請するカール・アントン侯宛ての公的・秘密裏の手紙をもって訪普したことでレオポルトのスペイン王即位の話がいよいよ現実課題になった。 ヴィルヘルム1世は慎重だったが、ビスマルクは彼にハプスブルク家のスペイン王カール5世のことを思い起こさせ、もしホーエンツォレルン家がスペイン王冠を継げば、ホーエンツォレルン家はハプスブルク家に匹敵する高い世俗的地位を得ると述べて説得にあたった。ヴィルヘルム1世はなおもしばらく反対し続けたが、結局5月24日になってホーエンツォレルン家の者が他国の王位を継ぐことになったとしても止めないとビスマルクに言明を与えるに至った。6月半ばにはレオポルトも立候補を決意し、ヴィルヘルムはそれに承諾を与えた。 しかし対プロイセン強硬派のフランス外相アジェノール・ド・グラモン(フランス語版)伯爵はこれに強く反発し、7月6日のフランス下院(フランス語版)でその件についての演説を行い、いかなる手段を持ってもこれを阻止することを宣言した。 ヴィルヘルムはフランスの強硬姿勢を危惧したが、国王である自分が他国の顔色をうかがうためにレオポルトに立候補を辞めるよう命じるのは王としてのプライドが許さず、レオポルト自らが立候補を辞退することを希望した。ビスマルクに独断でジグマリンゲンに使者を送り、その旨をカール・アントン侯に伝えた。これを受けて7月12日にカール・アントン侯はレオポルトが立候補を断念した旨を発表し、ヴィルヘルムはそれに承諾を与えた。
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