「新時代」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:27 UTC 版)
「ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)」の記事における「「新時代」」の解説
兄王は政治的遺言書の中で「憲法宣誓すべきではない。立憲体制を否定するクーデタをおこすべき」とヴィルヘルムに要求したが、ヴィルヘルムはこれを無視して摂政就任後の10月26日に議会において憲法宣誓を行い、立憲統治を宣言した。 ヴィルヘルム王子当人はカマリラに対する粛清人事を避けたがっていたが、カマリラを憎むアウグスタ妃の強い希望や後任の首相としてプロイセン王家ホーエンツォレルン家分家ジグマリンゲン家のカール・アントン侯を確保できたことなどにより、内閣の完全入れ替えを決意し、11月6日にマントイフェル内閣に解任を申し渡した。 こうしてカール・アントン侯を首相、ルドルフ・フォン・アウエルスヴァルト(ドイツ語版)を副首相(実質的な首相)とし、週報党も入閣した自由主義的保守派貴族の内閣が発足した(この体制は「新時代(ドイツ語版)」と呼ばれた)。「新時代」内閣はマントイフェルやゲルラッハの頃の絶対主義体制と決別し、議会を尊重する姿勢を示した。とはいえこの内閣は完全な自由主義ではなく、君主を議会から独立させることに固執するなど保守的傾向も示した。ヴィルヘルム自身も内閣に提示した統治綱領(Regierungsprogramm)の中で改革について「恣意的なもの、時代の諸要請に逆行するものが示される部分には細心の改革の手が差し伸べられねばならない」と表現するにとどめた。 またヴィルヘルム王子は「カマリラ」を政府や宮廷から追放しつつも、軍の実力者である軍事内局(国王の軍事的側近)局長エドヴィン・フォン・マントイフェル中将(前首相マントイフェルの従兄弟)は留め置いた。マントイフェル中将は徹底した王権至上主義者であり、王権の擁護者たる軍部による独裁政治を企図する人物だった。そんな彼が軍全体を掌握する地位に留まったことは「新時代」内閣に楔を打ち込んだに等しかった。
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