「新樋越川」の完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 21:13 UTC 版)
工事は1959年(昭和34年)に完成し、離湖の水位がさらに下がったことにより、離湖の湖中にあった離島の西側が陸続きとなり、周辺で冠水被害を受ける田も減少して新たに数十町の耕作可能地がうまれた。 新樋越川は、川幅を広くとったことで離湖と日本海を舟で航行することも可能になった。川の両岸には砂丘地の果樹園やアカシヤの林、防風林の松が展開し、月見草や果樹の花々が咲き乱れ季節の移ろいを川面に映す風光明媚なことでしられる。 1963年(昭和38年)には、波による逆流で離湖に海水が流入するのを防止するため、水門が設置された。 なお、樋越川・新樋越川・離湖はいずれもそれぞれ単体で京都府が管理する二級河川に数えられる。
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