「新民会」の結成とは? わかりやすく解説

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「新民会」の結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/06 03:42 UTC 版)

新民会 (1920年)」の記事における「「新民会」の結成」の解説

新たな団体作ることを痛感した林呈禄は、林献堂、蔡恵如らとともに1920年大正9年1月11日に「新民会」を設立し林献堂会長、蔡恵如を副会長、黄呈聰と蔡式穀を幹事選任した。同会の表面上の目標は、「台湾あらゆる革新すべき事項考究し文化向上を図ることとされたが、その意図するところは台湾における台湾人地位改善と向上を実現することであった。「六三法撤廃運動は、「啓発会」より「新民会」に引き継がれた。しかし、林呈禄はこの運動は、台湾人みずからが台湾独自性否定し原敬首相田健治郎台湾総督のすすめる「内地延長主義」を肯定するのである考えようになった。彼は、「六三法撤廃運動の中止主張し代わりに植民地自治理念に基づき台湾独自性強調する台湾議会設置運動提唱した。これに対し、「新民会会長林献堂は、日本政府並びに台湾総督府との正面衝突警戒し、完全自治ではなく、「半自治」を求めるという自制的な主張行った。「半自治」の具体的な内容は、台湾総督立法権および財政のうち特別会計予算編成対す台湾側の協賛のみ行使することである。このため新民会」の運動方針は、帝国議会対し請願権行使し、「台湾統治法」の制定と、それに基づく「台湾議会」の設置請願することに決定した。この「台湾議会設置請願運動」1921年大正10年1月30日最初請願行った

※この「「新民会」の結成」の解説は、「新民会 (1920年)」の解説の一部です。
「「新民会」の結成」を含む「新民会 (1920年)」の記事については、「新民会 (1920年)」の概要を参照ください。

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