「新演劇研究会」結成
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1940年(昭和15年)、道夫は慶應義塾大学英吉利文学科に入学した。同期には向井啓雄、掛川長平などがいた。同年には、仏蘭西文学科の芥川比呂志の演出でシャルル・ヴィルドラックの『商船テナシティ』を原語で試演し、道夫はイドウを演じた。 在学中の1941年(昭和16年)、道夫は芥川比呂志、原田義人、鳴海弘(鳴海四郎)、鬼頭哲人らと研究劇団「新演劇研究会」を結成。劇作や戯曲翻訳の執筆を始め、「十一月の夜」「ばあや」などを試作した。この頃に堀田善衛、白井浩司と知り合った。 在学中は、学費を稼ぐため映画出版社で働いたこともあり、映画に関する評論を映画雑誌に書いた。大学の授業ではエリザベス朝演劇を勉強。西脇順三郎、ジョン・モリスに研究上の指導を受け、内村直也とも知り合った。 1942年(昭和17年)に慶應義塾大学を卒業した道夫は大学院に進学し、おもにシェイクスピア、ベン・ジョンスンを研究した。その傍ら、神田区神田三崎町(現・千代田区神田三崎町)のアテネ・フランセにも通い、画家の山内穎吾と交友した。 1943年(昭和18年)には、高津春繁からギリシャ語を学んだ。この年から道夫は、最初の長編戯曲となる「なよたけ」を書き始めた(翌年春まで)。この頃、ヴァレリー、リルケ、ジャン・ジロドゥ、クローデルなどを愛読した。 道夫は能にも興味をもち、中村真一郎らと共によく観劇に行った。折口信夫の作品にも影響を受けた。また、この年には、陸軍省通訳官の試験を受けて任官した。
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