枢密顧問官とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 社会 > 身分 > > 枢密顧問官の意味・解説 

すうみつ‐こもんかん〔‐コモンクワン〕【枢密顧問官】

読み方:すうみつこもんかん

明治憲法下枢密院構成した顧問官


枢密院

(枢密顧問官 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 00:32 UTC 版)

枢密院(すうみついん)は、国王・皇帝の諮問機関である。共和制国家には大統領等の諮問・参与機関として国家評議会が設置される場合がある。「枢密」とは機密や政治上の重要な秘密のこと[1]

脚注

  1. ^ 枢密とは コトバンク

枢密顧問官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:29 UTC 版)

竹越與三郎」の記事における「枢密顧問官」の解説

大正4年1915年)の第12回衆議院議員総選挙大隈信常大隈重信養子)に敗れて落選した竹越本野一郎らと「日本経済史編纂会」を結成し大正8年1919年)から翌年にかけて上知令基軸天保改革論じ、『日本経済史』全8巻刊行した竹越は「歴史第一原因経済的要因」にあると唱えた大正11年1922年)に宮内省臨時帝室編修局御用掛に任命されほどなく編修官長転じて明治天皇紀編纂中心的役割担った(ただし、後に竹越書いた草稿読んだ竹越夫人の甥である中村哲は、最終的に金子堅太郎三上参次らがまとめた現存の『明治天皇紀』との大きな違い存在指摘している)。竹越は『記紀神話』の要点史実として述べ、その中に一流合理的解釈をはさむという手法取ったこの年貴族院議員任じられ政友会系の交友倶楽部属した昭和5年1930年)には西園寺公望半生記した伝記『陶庵公』を執筆する昭和15年1940年)には枢密顧問官に転じるが、軍部圧迫で『二千五百年史』が発売禁止になるなどの圧迫受けた。更に東京大空襲蔵書原稿焼失した戦後枢密院廃止後は一切公職から退く。昭和22年1947年)に公職追放処分受けた

※この「枢密顧問官」の解説は、「竹越與三郎」の解説の一部です。
「枢密顧問官」を含む「竹越與三郎」の記事については、「竹越與三郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「枢密顧問官」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



枢密顧問官と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「枢密顧問官」の関連用語







7
井上毅 デジタル大辞泉
100% |||||

8
佐野常民 デジタル大辞泉
100% |||||

9
山川健次郎 デジタル大辞泉
100% |||||

10
江木千之 デジタル大辞泉
100% |||||

枢密顧問官のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



枢密顧問官のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの枢密院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの竹越與三郎 (改訂履歴)、GHQ草案手交時の脅迫問題 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS