王として
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「タルクィニウス・スペルブス」の記事における「王として」の解説
妻にけしかけられて遂にセルウィウスを排除すると、タルクィニウスは王の諮問機関である元老院を召集、自らを王と宣言する。常に身近に衛兵を置き自らの身を守ると、先王に関わった元老院議員を殺害していき、更に市民の生殺与奪を思いのままにして恐怖でもって支配を強めていった。 対外的にはラティウム同盟との盟約を新たにし、ローマとラティウムの混成部隊を編成すると、ウォルスキ族や近隣都市ガビイとの戦争を始め、ガビイの守りが堅いと見るや、息子セクストゥス・タルクィニウスを使った計略でもって手に入れた。そうして国外が安定した所で、今度はユピテル神殿や下水道の建設事業に市民を酷使し始めた。
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王として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 11:39 UTC 版)
いずれの伝承にしてもアイネイアースを父に持つ事と、父の長男としてラティウムの王(王女ラヴィニアとの共同統治であった)となったのは同じである。王になって直ぐに中北部に居住するエトルリア人の王メゼンティウスと戦争になり 、敗れたアスカニウスはメゼンティウスに税の支払いを約束して講和した。そしてメゼンティウスの軍が引き返した所を強襲し、油断していたエトルリア軍を壊滅させた。更にアスカニウスは報復としてメゼンティウスの息子を処刑した上で、逆に税の支払いを命じた。 その後も30年間に亘ってラヴィニウムの宮殿でラヴィニアと統治を続けていたアスカニウスであったが、シルウィウスが成人したのでアルバ・ロンガという新たな都を築いて其処に宮殿を移したという(アルバ王)。シルウィウスがアスカニウスの弟か息子なのか、ラヴィニアが義母なのか実母なのかは不明である。ともかく、アスカニウスは死後にラヴィニアとシルウィウスに街を譲り、王位を継いだシルウィウスはアルバ・ロンガの方を宮殿に用いた。
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