王としての経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:34 UTC 版)
紀元前148年にマシニッサが死去すると、遺言執行人のスキピオ・アエミリアヌスのもと王国はミキプサ、グルッサ、マスナナバルに分割統治されることになった。ミキプサがヌミディアの首都キルタ(現コンスタンティーヌ、アルジェリア)を含む地域を治めることになった。 ミキプサ達は父の意志を受け継ぎカルタゴとの戦争を継続した。第三次ポエニ戦争が勃発し、紀元前146年にカルタゴは滅亡した。このときカルタゴは破壊されたが、そこからカルタゴ人がヌミディアに逃れてきた。彼らはヌミディアの文化的・経済的な発展の一助となった。その後グルッサとマスタナバルは相次いで死去し、ミキプサが王国全土を統治することになった。 カルタゴ滅亡後、ミキプサは甥ユグルタを養子に迎えた。ユグルタは王の子として待遇され、堅実な軍事訓練を施された。その後もヌミディアは同盟国として、ローマの軍事行動の補助を行った。紀元前142年にローマ軍司令官クィントゥス・ファビウス・マクシムス・セルウィリアヌスがミキプサに宛てた書簡には、ルシタニアのウィリアトゥスの反乱の鎮圧のため、軍用象の部隊を送るよう要請している。また、紀元前134年にはスキピオ・アエミリアヌスのヌマンティア攻略に際し援軍を送った。このときユグルタも派遣されている。
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