紀元前148年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/22 07:20 UTC 版)
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十年紀 | 前160年代 前150年代 前140年代 前130年代 前120年代 |
年 | 前151年 前150年 前149年 紀元前148年 前147年 前146年 前145年 |
紀元前148年は、ローマ暦の年である。
他の紀年法
できごと
アイルランド
- ロングフォード州にCorlea Trackwayが建設された。
ローマ
- ピュドナの戦いでアンドリスコスがクィントゥス・カエキリウス・メテルスの軍に敗れた。これにより、紀元前146年には、マケドニア王国はローマ帝国の属州と見なされるようになった。
- アクイレイアとジェノヴァを結ぶポストイナ街道が建設された。
- スキピオ・アエミリアヌスは、マシニッサの死後、3人の息子ミキプサ、グルッサ、マスタナバルにヌミディアを分割して相続させた。
誕生
死去
脚注
注釈
出典
関連項目
紀元前148年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:10 UTC 版)
ローマは二人の新しい紀元前148年の執政官を選出したが、アフリカに派遣されたのはルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌス一人だけであった。そしてルキウス・ホスティリウス・マンキヌスがカエソニヌスの部下として海軍を指揮した。カエソニヌスはカルタゴに対する固い包囲を緩い封鎖に戻し、地域内の他のカルタゴを支援する都市を一掃しようとした。しかし、ネアポリスを降伏させることに成功し、都市を略奪した一方で、アスピス(英語版)はローマの陸軍と海軍の双方の攻撃に耐え、ヒッポに対する包囲も攻略に至らなかったことで、カエソニヌスの作戦は失敗に終わった。さらに、ヒッポから出撃したカルタゴ軍がローマ軍の攻城兵器を破壊したため、ローマ軍は軍事作戦を中断して冬営地に撤退せざるを得なくなった。一方のカルタゴ側では、それまで野戦軍を預かる立場にあったハスドルバルがカルタゴの文民指導者を打倒し、自ら軍権を掌握した。そしてカルタゴはマケドニアの王位を主張するアンドリスコスと同盟を結んだ。アンドリスコスはローマが支配するマケドニアに侵攻してローマ軍を破り、自らマケドニア王ピリッポス6世を称して第四次マケドニア戦争を引き起こしていた。
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