紀元前4世紀とは? わかりやすく解説

紀元前4世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 09:55 UTC 版)

千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前5世紀 - 紀元前4世紀 - 前3世紀
十年紀: 前390年代 前380年代 前370年代 前360年代 前350年代
前340年代 前330年代 前320年代 前310年代 前300年代
イッソスの戦い。画像はローマ時代のポンペイモザイク壁画で、アケメネス朝ダレイオス3世と向かい合うマケドニアのアレクサンドロス大王ナポリ国立考古学博物館蔵)。
マケドニアの勃興。アレクサンドロス大王の父ピリッポス2世の時代からマケドニアは財力と軍事力によって周辺諸国を圧倒し始めた。画像はマケドニアの首都であったペラに残る「ディオニュソスの館」の遺跡。
プラトンのアカデメイア学園。アカデメイア学園は古典古代を通じて教育機関の模範と見なされ、後世「アカデミー」の語源ともなった。画像はローマ時代のポンペイのモザイク壁画(ナポリ国立考古学博物館蔵)。
アリストテレス。『形而上学』を初めとする諸学に通じ、「万学の祖」として後世の学問に多大な影響を与えるとともに、アレクサンドロス大王の家庭教師を務めたことでも知られる。画像はローマ国立博物館所蔵の胸像。
エピダウロスの劇場。古代ギリシアでは悲劇や喜劇が民衆に支持されていた。医療の神アスクレピオスの聖地でもあったエピダウロスの劇場はそれらの中でも最も保存状態が良く、この世紀に作られて以来、現在でも劇場として用いられている。
アッピア街道。「全ての道はローマに通ず」という言葉があるように、支配地域を拡大した都市国家ローマにとって軍事や運搬のための道路整備は不可欠だった。画像はクアルト・ミグリオ(Quarto Miglio)付近の街道の風景。
「エルチェの貴婦人」。フェニキア人の入植活動が盛んになる以前にイベリア半島にいた先住民イベリア人は独特な文化を発達させていた。イベリア人の文化を代表するこの貴婦人像はスペインのマドリッド国立考古学博物館に所蔵されている。
アケメネス朝の残照。大英博物館所蔵の「オクサスの遺宝」はマケドニアに滅ぼされたアケメネス朝の工芸の巧緻さを示すものとして名高い。画像はグリフォンをかたどった黄金の腕輪で紀元前5世紀から紀元前4世紀のもの。
マウリア朝の成立。アレクサンドロス大王襲来の後、インドでも統一王朝の機運が高まった。画像はマウリア朝の初代君主(サムラート)チャンドラグプタジャイナ教の師(スワミ)バドラバーフに帰依したことを記録した碑文で聖地シュラバナベラゴラに置かれているもの。
ドンソン文化(東山文化)。紀元前4世紀から紀元前1世紀にベトナム北部で発展した青銅器文化で、特に祭器としての銅鼓は中国雲南からインドシナ半島各地に伝播していく原型ともなった。画像はディエンビエンフー(奠邊府)のダー川(沱江)流域で発見された銅鼓。
中山王墓。遊牧民族白狄を起源とする中山国は、戦国の大国に挟まれた小国であったが1970年代の発掘により中山王の王墓と大量の埋葬品が出土した。画像は出土した銀象嵌双翼神獣像。

紀元前4世紀(きげんぜんよんせいき)は、西暦による紀元前400年から紀元前301年までの100年間を指す世紀

できごと

紀元前400年代

紀元前390年代

紀元前380年代

紀元前370年代

紀元前360年代

紀元前350年代

紀元前340年代

  • 紀元前347年 - プラトンが死去、甥のスペウシッポスがアカデメイア学園の学頭を継ぐ。
  • 紀元前343年
  • 紀元前342年 - アリストテレスがマケドニアの王子アレクサンドロスの師傅となり、都ペラ近郊にミエザの学園を作る。
  • 紀元前341年 - 田斉が孫臏の計略により魏を破る(馬陵の戦い)。
  • 紀元前340年 - 呉城の戦いで、秦が魏に勝利し黄河以西の領土を併合。魏は安邑から大梁へ遷都する。
  • 紀元前340年頃 - 最古のヨーロッパのパピルス文書である「デルヴェニ・パピルス」はこの時期のもの。
    • これはマケドニアの貴族の墓から出土したもので、オルペウス詩を論じた注釈。

紀元前330年代

紀元前320年代

紀元前310年代

紀元前300年代

人物

地中海世界

ギリシア

アレクサンドロス帝国とヘレニズム国家

共和政ローマとその周辺

北アフリカ・西アジア・中央アジア

南アジア

中国(周・戦国時代)

  • 扁鵲(生没年不明) - 春秋戦国時代の医師・半ば伝説的な人物で『難経(黄帝八十一難経)』の執筆者にも仮託される
  • 墨子前450年 - 前390年頃?) - 戦国時代墨家の始祖で『墨子』の著者・「兼愛」「交利」「尚賢」「非攻」などの思想で有名
  • 列子(活躍時期は前400年頃) - 戦国時代の道家の思想家・荘子に先立つ・『列子』が残るが実在を否定する説もある
  • 田和(? - 前385年) - 戦国時代の田斉の初代君主(太公)(在位前386年 - 前385年)・姜斉の康公を追放し自ら斉公を名乗る
  • 呉起(? - 前381年) - 戦国時代の軍人・政治家・思想家(兵家)・元公や魏の文侯そして楚の悼王に仕え国政改革を行う
  • 静公(生没年不詳) - 戦国時代のの最後の君主(在位前377年 - 前376年)・晋の三侯(韓哀侯・魏武侯・趙敬侯)に滅ぼされる
  • 甘徳(生没年不明) - 戦国時代の田斉の天文学者・魏の石申とともに世界最古級の星表「甘石星経」を記したと伝えられている
  • 威王(? - 前343年) - 戦国時代の田斉の君主で初代王・暗君を装って数年間雌伏の後に斉を強国にしたことで知られる
  • 鄒忌(生没年不明) - 戦国時代の田斉の政治家・威王と宣王に宰相として仕え政敵の田忌を斥ける・美丈夫であったことも有名
  • 淳于髠(生没年不詳) - 戦国時代の田斉の威王に仕える・稷下の学の中心人物で鄒衍田駢らと交わる・「鳴かず飛ばず」の故事でも有名
  • 慎到(生没年不詳) - 戦国時代の田斉の稷下の学の一人・法家でも道家でもあったとされ『慎子』5編が断片的に残る・韓非子に影響を与える
  • 孫臏(生没年不明) - 戦国時代の孫武の孫で兵法家・『孫臏兵法』の著者・斉の威王に仕え馬陵の戦いで魏の恵王を破る
  • 田忌中国語版(生没年不詳) - 戦国時代の斉の将軍・孫臏の推挙により馬陵の戦いで指揮を執り魏に大勝利・後に宰相鄒忌と対立し楚に亡命
  • 龐涓(生没年不詳) - 戦国時代の魏の将軍・孫臏を謀略で罪に陥れ排除した・馬陵の戦いでは孫臏の復讐により魏は大敗を喫し龐涓も戦死
  • 恵王前400年 - 前319年) - 戦国時代の魏の君主(在位前369年 - 前319年)・馬陵の戦いで敗北し秦の商鞅に攻撃され覇権喪失
  • 尉繚(生没年不明) - 戦国時代の兵法家・魏の恵王との対話篇が残る・武経七書の一つ『尉繚子』を著したとされる
  • 申不害(? - 前337年) - 戦国時代の韓の政治家・釐侯に宰相として仕える・法家思想を援用し弱小国であった韓を安定させる
  • 孝公前381年 - 前338年) - 戦国時代の秦の君主(在位前361年 - 前338年)・商鞅の変法を支持し中央集権化策を推進
  • 商鞅(? - 前338年) - 戦国時代の秦の政治家・法家思想による国政改革を進めるが反対派により車裂きの刑に処される
  • 恵文王(? - 前311年) - 戦国時代の秦の君主で初代王(在位前338年 - 前311年)・孝公の子だが意に沿わぬ商鞅を粛清する
  • 樗里疾(? - 前300年) - 戦国時代の秦の王族・恵文王の異母弟・韓・魏・趙・燕・斉連合軍を撃破・知者で「智嚢」と呼ばれる
  • 甘茂(生没年不詳) - 戦国時代の秦の政治家・樗里疾と並び恵文王から昭襄王まで仕える・宜陽の戦いを指揮し韓に勝利する
  • 宣王(? - 前324年) - 戦国時代の田斉の君主で威王の子・稷下の学を保護し孟子らを招聘・弟の靖郭君と甥の孟嘗君を重用し全盛期を現出
  • 蘇秦(? - 前317年?) - 戦国時代の縦横家・諸国を遊説し秦以外の燕・斉・趙・韓・魏・楚を同盟させた合従策で知られる
  • 張儀(? - 前309年) - 戦国時代の縦横家・秦の恵文王に仕え宰相となる・蘇秦合従策に対し連衡策で諸国を秦と同盟させる
  • 司馬錯(生没年不詳) - 戦国時代の秦の将軍・恵文王・武王昭襄王の3代に仕えた・張儀との論戦に勝ち蜀を併合する
  • 懐王(? - 前299年) - 戦国時代の楚の王(在位前329年 - 前299年)・張儀の謀略で藍田で戦い秦に敗北・秦に幽閉され死去
  • 武霊王(? - 紀元前295年) - 戦国時代の趙の王(在位前326年 - 前298年)・胡服騎射を取り入れて趙を軍事強国とした
  • 孟子前372年? - 前289年) - 戦国時代の儒家性善説)・『孟子』を著し仁義に基づく王道政治を理想とする
  • 楊朱前370年頃? - 前319年頃?) - 戦国時代の思想家・個人主義的な思想である為我説(自愛説)を主張・孟子と対立
  • 恵施前370年頃? - 前310年頃?) - 戦国時代の思想家・政治家・名家に属すが公孫竜とは立場が異なる・荘子と接点あり
  • 荘子前369年? - 前286年?) - 戦国時代の道家の思想家・諸侯の招聘を拒否し隠棲・著作『荘子』では万物斉同の思想を展開
  • 昭王前335年 - 前279年) - 戦国時代の燕の王(在位前308年 - 前279年)・斉への復讐のため楽毅らの賢才を募る
  • 郭隗(生没年不詳) - 戦国時代の燕の学者・昭王に仕え「隗より始めよ」の故事で知られるよう楽毅・劇辛・鄒衍らの賢才を集める端緒となった

発明・発見

関連項目

外部リンク

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紀元前4世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 16:50 UTC 版)

共和政ローマ監察官一覧」の記事における「紀元前4世紀」の解説

不明 XVII 紀元前393年 - ユリウス・ユッルスが任期中死亡し補充ケンソル選出されたが、このルーストルム期間中 (5年間)にローマガリア人占領されたため (前390年)、不吉な前例として補充される事はなくなったルキウス・パピリウス・クルソル (紀元前387年執政武官) ガイウス・ユリウス・ユッルス (紀元前408年執政武官)マルクス・コルネリウス・マルギネンシス (補充) 紀元前389年 XVIII - ウェイイから加わった市民新設し4つ農村トリブス選挙区)に登録かマルクス・フリウス・フスス ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前380年執政武官) 紀元前380年 - 借金巡って不穏な動きがあり、市民財産査定のため選出されたが、ポストゥミウスが任期中死去したためスルピキウスも辞任し補充選出されたものの瑕疵があり辞任ガイウス・スルピキウス・カメリヌス スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス・レギッレンシス 紀元前378年 XIX- 借金巡って暴動起きたため、実態調査のため選出されたが戦争中断スプリウス・セルウィリウス・プリスクス クィントゥス・クロエリウス・シクルス 紀元前366年 - 翌年ポストゥミウスが疫病死去-・ポストゥミウス・レギッレンシス・アルビヌス ガイウス・スルピキウス・ペティクス 紀元前363年 XXマルクス・ファビウス・アンブストゥス (紀元前381年執政武官) ルキウス・フリウス・メドゥッリヌス (紀元前381年執政武官) 紀元前358年 XXI - 恐らくこの年行われたトリブスのポンプティナ区とプブリリア区の追加マルクス・ファビウス・アンブストゥス (紀元前360年の執政官) 不明 紀元前351年 XXII - 初のプレブス出身ケンソル誕生 (マルキウス)ガイウス・マルキウス・ルティルス (紀元前357年の執政官) グナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス 紀元前340年 XXIII - 成年人口165000人ルキウス・コルネリウス・スキピオ (紀元前350年の執政官) プブリウス・コルネリウス・スキピオ 紀元前332年 XXIV - 2つトリブス新設され、マエキア区にはラヌウィウム人が、スカプティア区にはウェリトラエ人が登録されクィントゥス・プブリリウス・ピロ スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス 紀元前319年ガイウス・スルピキウス・ロングス 紀元前318年 XXV - 新しトリブス、オウフェンティナ区とファレルナ区が追加ルキウス・パピリウス・クラッスス ガイウス・マエニウス 紀元前312年 XXVI - 無産市民トリブスに登録。一年半任期終了後もカエクス辞任せず。アッピア街道アッピア水道建設アッピウス・クラウディウス・カエクス ガイウス・プラウティウス・ウェノクス 紀元前307年 XXVII - ブルトゥスによってサルース神殿建設開始両者によってウァレリア街道建設されるマルクス・ウァレリウス・マクシムス・コルウィヌス ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス (紀元前317年の執政官) 紀元前304年 XXVIII - カエクスによって全トリブス登録され無産市民らを4つ都市トリブス集中的に再配置クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス プブリウス・デキウス・ムス (紀元前312年の執政官) 紀元前300年 XXIX - 新しトリブス、アニエンシス区とテレンティナ区が追加プブリウス・センプロニウス・ソプス (紀元前304年の執政官) プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ (紀元前304年の執政官)

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