リキニウス・セクスティウス法
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リキニウス・セクスティウス法(リキニウス・セクスティウスほう、ラテン語: leges Liciniae Sextiae)は、古代ローマで紀元前367年に護民官ガイウス・リキニウス・ストロ、ルキウス・セクスティウス・セクスティヌス・ラテラヌスによって提案、制定された法。名称は二人の提案者の名前から。リキニウス法とも表記される。
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- 2 リキニウス・セクスティウス法の概要
リキニウス・セクスティウス法
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「ルキウス・セクスティウス・セクスティヌス・ラテラヌス」の記事における「リキニウス・セクスティウス法」の解説
セクスティウスは護民官としてガイウス・リキニウス・ストロと共にリキニウス・セクスティウス法を成立させた。この法律はもともと三条からなっており、一つは「債務者がすでに払った利息は元本から差し引かれる。そして残額を三年間の均等分割払いで支払う」、もう一つは「何人も500ユゲラ(約125ヘクタール)以上の土地を保持してはならない。公有地で100匹以上の羊を放牧してはならない」であり、最も重要なのは「執政武官(トリブヌス・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ)を廃止し執政官を復活させる。執政官のうち一人はプレブスから選出されなければならない」であった 。両者は10年間護民官を継続していた。紀元前369年に両護民官は聖なるシビュラの書を守護する神官に関する法案を提唱して翌年成立している。紀元前368年には債務と土地に関する法案が成立したが、執政官をプレブスに開放する法案は拒否された。しかし、紀元前367年にはこの法案も成立している。セクスティウスはこの年に行われた選挙で翌年の執政官に選出された。ティトゥス・リウィウスは彼を「この職に就任する最初の栄誉を得たプレブス」と書いている。
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