リキニウス・ムキウス法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:31 UTC 版)
「同盟市戦争」の記事における「リキニウス・ムキウス法」の解説
市民でないものが市民権を享受するのは間違っている。このことは賢明な2人の執政官、クラッススとスカエウォラによって法的に解決されたが、外国人(peregrinos)が首都を享受できないようにするのは、非人道的(inhumanum)だ。 キケロ『義務について』3.47 深刻に市民権の必要性を悟ったイタリック人たちは、恐らく首都ローマで抗議を行い、民会に紛れ込むものたちも出たようで、その対策として、紀元前95年の両執政官(上記クラッススとスカエウォラ・ポンティフェクス)は、ローマ市民権を持たないラテン人やイタリック人を首都から追放するリキニウス・ムキウス法(Lex Licinia Mucia de civibus redigundis)を通過させた。このことは、今まで大人しかったイタリック人の富裕層をも、反ローマ活動に向かわせたと考えられており、キケロの古註で知られるアスコニウス・ペディアヌス(英語版)は、この法を同盟市戦争の原因としている。
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