ラーマーヤナ【(梵)Rāmāyana】
ラーマーヤナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 14:41 UTC 版)
【スムリティ(聖伝)】
- ^ NHK高校講座 世界史 第6回 東南アジア世界の形成、東南アジアは、海上交通の中継地点として、古代インドや中国大陸と、商品や人の往来だけでなく、宗教、思想、制度も得ていった。特に、古代インドよりもたらされた王権思想により東南アジアの国家形成は進んでいった。
- ^ NHK高校講座 世界史 東南アジア世界の形成、タイの小学校では「ラーマーヤナ」の古典舞踊の授業が必須であり、タイの国王の名前が代々「ラーマ」である点にもその影響力を見ることができる(2015年5月時点でラーマ9世)。インドネシアでは、「ラーマーヤナ」は「影絵」として民衆に親しまれており、また、世界遺産のプランバナン寺院群では回廊に「ラーマーヤナ」の石造レリーフ(壁彫刻)があり、ステージでは「ラーマーヤナ」の舞台劇が行われ、内外の観光客に対する観光資源の一つになっている。カンボジアのアンコール・ワットの遺跡でも「ラーマーヤナ」のレリーフが見られる。
- ^ 下掲、中村(2012)第1巻26頁他。
- ^ 阿部訳は、グーテンベルク21(上下)で電子出版
- ^ 池田訳は『マハバーラト』(マハーバーラタ)も同社で刊行(全4巻)
- ^ 神殿の回廊にラーマーヤナの石造レリーフ(壁彫刻)があり、オープンステージでラーマーヤナの舞踏劇上演が行われている
- 1 ラーマーヤナとは
- 2 ラーマーヤナの概要
- 3 内容
- 4 参考文献
- 5 脚注
ラーマーヤナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 23:09 UTC 版)
『ラーマーヤナ』の「第7巻 ウッタラ・カーンダ(後の巻)」は、それまでの話とは違って、シーターがラーヴァナに誘拐されていた間の貞操が主題となっており、その貞操の証をたてる逸話という体裁で、ナラクーバラとラムバーの夫婦の話が取り上げられている。 ある夜、ラークシャサの王ラーヴァナは美しいアプサラスのラムバーに目が留まった。ラーヴァナが言い寄ると、ラムバーは、クベーラとラーヴァナは(ヴィシュラヴァス(英語版)の子で)兄弟だから、(ナラクーバラはラーヴァナの甥なので、)ナラクーバラの妻である自分はラーヴァナの義理の娘(義理の姪)にあたる、と説いて拒否した。しかし、ラーヴァナは、アプサラスに結婚は存在しないのでナラクーバラとの結婚は無効だと主張し、ラムバーを強姦した。 その後、ラムバーがラーヴァナのことをナラクーバラに話すと、ナラクーバラは瞑想を始め、全ての経緯を悟った。怒り狂ったナラクーバラは、今後ラーヴァナが女性の意思に逆らって強姦に及ぶと頭破七分になる呪いをかけた。 このことがあったので、シーターはラーヴァナに誘拐されている間も貞操を守ることができた。 「ラムバー」も参照
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ラーマーヤナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 04:57 UTC 版)
ラーマーヤナにおけるプシュパカ・ヴィマナへの言及が空飛ぶものとしては初めての記録となる。このプシュパカ・ヴィマナ(花のようなヴィマナ)はもともとはヴィシュヴァカルマンが創造の神、ブラフマーのために造ったもので、ブラフマーは後にそれを富みの神クベーラへ譲る。後にランカー島とともに異母兄弟であるラーヴァナに奪われた。
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ラーマーヤナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:33 UTC 版)
「ヴィシュヴァカルマン」の記事における「ラーマーヤナ」の解説
『ラーマーヤナ』ではシヴァの弓とヴィシュヌの弓を作ったとパラシュラーマが語っている。 羅刹族の居城であるランカー島の都市の建設はヴィシュヴァカルマンの仕事であり、その壮麗さが繰り返し述べられている。クベーラ神に与えられ、後に羅刹王ラーヴァナの手に落ちた天を翔る戦車プシュパカ・ラタや、聖仙アガステャから英雄ラーマに授けられた黄金弓ブラフマダッタもヴィシュヴァカルマンの作とされる。
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ラーマーヤナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 07:26 UTC 版)
『ラーマーヤナ』ではヴァシシュタはブラフマーの子で明けの明星の女神アルンダティー(英語版)を妻として百人の息子があった。ダシャラタ(英語版)王の師であり、ラーマ王子を含むその息子たちを教育した。 巻1では有名なヴァシシュタとヴィシュヴァーミトラの争いの逸話が語られる。それによればヴィシュヴァーミトラは何千年にもわたって地上を支配した王だった。ヴァシシュタは欲したものを何でも出してくれるカーマデーヌという牛を飼っていて、その力でヴィシュヴァーミトラ王をもてなしたが、王は牛を欲しがって力づくで奪った。しかし牛は軍隊を出してヴィシュヴァーミトラの軍を襲った。敗北したヴィシュヴァーミトラは準備を整えてヴァシシュタの庵を攻撃するが、再び敗北したため、軍事力では精神の力に及ばないと知って自らもバラモンになるために苦行を行った。その後、イクシュヴァーク王家のトリシャンク王 (Trishanku) は生身のままで天に登りたいという望みを持った。その望みはヴァシシュタに拒絶されたが、ヴィシュヴァーミトラは王を天に上げた。しかし天上の神々は王を拒絶して落とそうとし、両者の力が釣り合ってトリシャンク王は中空にとどまった。これが南十字星であるという。ヴィシュヴァーミトラはその後も苦行を続け、最終的にヴァシシュタはヴィシュヴァーミトラをブラフマリシと認めた。 巻7の伝える逸話ではイクシュヴァークの子のニミ (Nimi) が王であったときにヴァシシュタの祭儀が終わるのを待たずに別の人物を王が祭官に選んだことからヴァシシュタと王は仲違いし、互いに相手を呪ってその肉体を滅ぼした。その後、ミトラとヴァルナがアプサラスのウルヴァシーの姿に興奮して器に精を放ったが、そこからアガスティヤとヴァシシュタが生まれた。アガスティヤは国を去ったが、再生したヴァシシュタは残ってイクシュヴァーク王家の祭官となった。
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ラーマーヤナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 08:25 UTC 版)
ラーマとの戦争が始まると、インドラジットはまずヴァナラの将アンガダと戦った。この初日の戦闘は羅刹軍の敗北であり、インドラジットもアンガダに2度も戦車を破壊された。怒ったインドラジットは姿を消し、ナーガの縄を投げつけて猿軍の動きを止めつつ、矢を射掛け、多くの者を傷つけた。ラーマとラクシュマナも身動きがとれず一方的に矢傷を負わされた。そのうえインドラジットが去った後もナーガに締めつけられて苦しまなければならなかった。ガルダが現れてナーガを追い払ってようやく解放された。 次にインドラジットが戦闘に出たのは、クンバカルナを筆頭に有力な将が戦死し、ランカーの敗北が濃厚になったときであった。インドラジットはニクムビラの森で犠牲祭を行い、勝利の兆しが現れるのを見て出陣した。猿軍は地に伏してブラフマーの加護を祈りながら、インドラジットの攻撃がやむのを待つしかなかった。こうしたインドラジットの攻撃によって、猿軍の戦死者は67億にも達したとされる。それを見たインドラジットは意気揚々とランカーに帰還した。 しかし猿軍が傷つくたびにハヌマーンが遠方より霊薬を運んできたため、息ある者はすぐに回復した。猿軍の攻撃によってランカーが炎上すると、インドラジットはシーターの幻を作り、ハヌマーンの目の前で幻を切り裂いた。ハヌマーンは戦争の目的を失ったと思って退却せざるを得なかった。 ハヌマーンがラーマにシーターの死を報告している間、インドラジットは再びニクムビラの森に赴いて犠牲祭を行った。しかしヴィビーシャナはハヌマーンの報告を聞いて、インドラジットの策略であることを見抜き、ニクムビラの森を攻めるよう説得した。そこでラクシュマナはハヌマーン、ジャーンバヴァット、ヴィビーシャナらを率いてニクムビラに急行し、羅刹軍を圧倒した。そのためインドラジットは祭祀を終えないまま出陣せざるをえなくなった。さらにハヌマーンやラクシュマナはインドラジットを挑発して姿を消さずに戦うように仕向けた。インドラジットはラクシュマナと戦ったが、激戦の末、神々がラクシュマナに味方して、かつてアスラを滅ぼす際に用いられた矢を与え、その矢によってインドラジットは倒された。
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ラーマーヤナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 03:00 UTC 版)
『ラーマーヤナ』巻1によると、バラドヴァージャは『ラーマーヤナ』作者とされるヴァールミーキの弟子であり、ヴァールミーキが『ラーマーヤナ』を語るきっかけとなった事件(狩人がつがいの鳥の片方を殺し、残った1羽が悲しんで鳴くのを聞いた)にも居合わせている。 ラーマとラクシュマナの兄弟がアヨーディヤーから追放されたとき、バラドヴァージャの祝福を受けるためにその庵(アーシュラマ)を訪れた。ラーマの弟のバラタは巨大な軍隊とともにラーマを追いかけてきたが、バラドヴァージャはヴィシュヴァカルマンを呼んで天上の宴席を設けて彼らをもてなした。
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「ラーマーヤナ」の例文・使い方・用例・文例
- シンハラ語版のラーマーヤナ
ラーマーヤナと同じ種類の言葉
叙事詩に関連する言葉 | エピック オデュッセイア ユーカラ ラーマーヤナ 長恨歌 |
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