不穏な動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 17:33 UTC 版)
「サウスジョージア侵攻」の記事における「不穏な動き」の解説
1982年3月19日、サウスジョージア島、島都グリトビケンより約24km北西に位置するリース港にアルゼンチン海軍の輸送艦「バイア・ブエン・スセソ」が突如来航しているのを同島に駐在しているイギリス南極観測隊隊員が野外観測中に発見。輸送艦より50から60名のアルゼンチン人が物資を港に下ろす作業を行い、港の施設にはアルゼンチン国旗が揚がっていた。 イギリス観測隊がその場に駆けつけるとアルゼンチン人らはクズ鉄業者を名乗り、20年以上前から放棄されていた捕鯨工場の解体が目的であり、英国政府からの上陸許可ももらっていると主張したが正規の入国手続きは一切行っていなかった。 イギリス南極観測隊員らはイギリス本国にこの事態を報告するがイギリス政府はこの時点でアルゼンチン側に本格的な軍事侵攻の意志はないと判断しており、さし当たっての対抗策として氷海巡視船「エンデュアランス」に武装した海兵隊23名と軍用ヘリワスプ2機を積載して同島海域に派遣すると同時にアルゼンチン政府に抗議したが、アルゼンチン側は反抗的で相手にしなかった。 アルゼンチン人らは数名の人間を残し、物資だけ下ろして輸送艦「バイア・ブエン・スセソ」は22日に港を出たが、この残ったアルゼンチン人はアルゼンチン海兵隊の分遣隊であり、下ろした物資は武器、弾薬、食糧などの軍事物資であった。 そして、3月25日深夜、アルゼンチン海軍砕氷艦「バイア・パライソ」が海兵隊員約500名とヘリコプター2機、追加の物資を運んでリース港に来航。兵員を下ろしてリース港に陣取った。 イギリス側はこの時点で「エンデュアランス」より23名の海兵隊員が島都グリトビケンに到着し、南極観測隊員ら在イギリス人らを「エンデュアランス」に避難させていたが、「エンデュアランス」を利用した湾内の警備行動はイギリス政府より外交的問題として禁じられており、東側沖合に待機せざるをえなかった。 戦力差は歴然としていたが、イギリス海兵隊は防御陣地を構築し、抗戦の構えを見せた。
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