アルゼンチン海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/10 23:59 UTC 版)
アルゼンチン海軍(西:Armada de la Republica Argentina、ARA)は、アルゼンチンの海軍。
- 1 アルゼンチン海軍とは
- 2 アルゼンチン海軍の概要
アルゼンチン海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/27 04:03 UTC 版)
「マカビ (潜水艦)」の記事における「アルゼンチン海軍」の解説
1960年4月1日にアメリカ海軍とアルゼンチン海軍はマカビおよびランプレイ (USS Lamprey, SS-372) の2隻の潜水艦を移籍させる協定に署名した。マカビは相互防衛援助計画の下1960年8月11日にアルゼンチン海軍へ貸与された。マカビはサンティアゴ・デル・エステロ (ARA Santiago del Estero, S-12) と改名され、ランプレイはサンタフェ (ARA Santa Fe, S-11) と改名された。サンティアゴ・デル・エステロの艦長はフリオ・A・アウレジであった。2隻の潜水艦は1960年9月23日にサンフランシスコを出航し、11月30日にマル・デル・プラタ海軍基地に到着した。その後、マカビはアメリカ海軍から除籍され、1971年9月1日にアルゼンチンに完全に売却された。1年後の1972年にはアルゼンチン海軍から除籍され、僚艦修理のための予備部品として解体された。
※この「アルゼンチン海軍」の解説は、「マカビ (潜水艦)」の解説の一部です。
「アルゼンチン海軍」を含む「マカビ (潜水艦)」の記事については、「マカビ (潜水艦)」の概要を参照ください。
アルゼンチン海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 09:33 UTC 版)
「インデペンデンシア (空母)」の記事における「アルゼンチン海軍」の解説
1942年、アルゼンチンで、同国を取り巻く状況を分析した戦略的研究が実施された。その研究は、アルゼンチンに2隻の航空母艦が必要であると報告していた。翌1943年9月16日の政府決定により、現実に空母を購入する道が開かれた。 第二次世界大戦の影響を受けた当時の国際状況とアルゼンチン国内の事情により、実際の空母購入は十数年も遅れた1958年9月16日のことであったが、このとき購入の対象となったのが元イギリス海軍の空母ウォリアーである。購入資金は2隻のリバダビア級戦艦(リバダビア・モレノ)と沿岸警備艇プエイレドン (ARA Pueyrredón) の売却によって得られたものであった。 早速、保存状態から駆り出されたウォリアーは、500人まで減らした乗員で航海できるようにする作業が行われたが、それは10週間という短期間で行われた。 旧ウォリアーは、スペイン語で「独立」を意味するインデペンデンシア (Independencia) と再命名された。この名前には、「アルゼンチン国民の、独立を維持し強化していく揺るぎない意志を再確認する」という意味が込められている。1958年12月10日にポーツマスを出港し、巡洋艦ヘネラル・ベルグラノと巡洋艦ベインティシンコ・デ・マヨに先導されて、同月30日にアルゼンチン海軍最大の基地であるプエルト・ベルグラノに到着した。 この艦の作戦行動は1959年から始まり、同年6月8日には5機のT-6 テキサンによる離着陸が行われた。1960年には艦隊の新たな中核となり、戦艦用埠頭に係留された状態で兵員の配置と軍務への登録が完了した。その埠頭は、この艦が戦艦の売却資金で購入されたという意味でも、また、時代は既に戦艦でなく航空母艦に艦隊の主役を移していたと言う意味でも、まさにこの艦が受け継ぐ権利を持つ物であった。 1961年にはモンテビデオを訪問し、1962年の4月には6機のS-2 トラッカー、2機のF9F クーガー、2機のS-55を受領するためにアメリカまで航海した。ノーフォークに停泊して航空機を受け取るとすぐにアルゼンチンへの航海を始め、1962年の5月24日にプエルト・ベルグラノ海軍基地に着岸した。 1962年以降、この艦はアメリカ海軍との合同演習であるUNITASに毎回参加し、1967年マル・デル・プラタの眼前の海で行われた海軍百周年記念観艦式では式の中心を担った。 1963年、T-6テキサンの墜落事故が起こり、パイロットのグスタボ・ララ中尉 (Gustavo Lara) はその事故により殉職した。同年、S-2 トラッカーの夜間作戦が開始された。その激動の生涯の中でこの艦は、アメリカ海軍、イギリス海軍、イタリア海軍、フランス海軍、ウルグアイ海軍など様々な海軍との合同演習に参加した。また、アルゼンチン陸軍やアルゼンチン沿岸警備隊、アルゼンチン商船艦隊とも一緒に訓練している。 1967年11月、フアン・サラベッリ大尉 (Juan Salaverri) の操縦するS-2 トラッカー (0542/2-AS-79) が、記念すべき5000番目の着任兵士を乗せてこの艦に着艦し、盛大に迎えられた。しかしその一年後、その同じ機体がこの艦からカタパルト発進した最後の機体となった。 1969年、アルゼンチン海軍は第2の空母ベインティシンコ・デ・マヨを就役させた。それに伴い、インデペンデンシアは予備役となり、任務から外された。アルゼンチン海軍はこの艦の売却先として、ペルー海軍に購入を持ちかけたが受け入れられなかった。ついに1971年10月、222,200,000ペソで落札したロサリオのSaric S.A. 社によって解体が始められた。
※この「アルゼンチン海軍」の解説は、「インデペンデンシア (空母)」の解説の一部です。
「アルゼンチン海軍」を含む「インデペンデンシア (空母)」の記事については、「インデペンデンシア (空母)」の概要を参照ください。
アルゼンチン海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:57 UTC 版)
「ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦」の記事における「アルゼンチン海軍」の解説
ガリバルディ級装甲巡洋艦 ガリバルディ(英語版) - 1895年進水。旧ジュゼッペ・ガリバルディ。 サン・マルティン(英語版) - 1896年進水。旧ヴァレーゼ。 プエイレドン(英語版) - 1897年進水。旧ジュゼッペ・ガリバルディ。 ヘネラル・ベルグラノ(英語版) - 1897年進水。旧ヴァレーゼ。 リヴァダヴィア - 1902年進水。旧ミトラ。日本へ譲渡。⇒春日 モレノ - 1903年進水。旧サン・ロカ。日本へ譲渡。⇒日進
※この「アルゼンチン海軍」の解説は、「ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦」の解説の一部です。
「アルゼンチン海軍」を含む「ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦」の記事については、「ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦」の概要を参照ください。
アルゼンチン海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 16:22 UTC 版)
「シュペルエタンダール」の記事における「アルゼンチン海軍」の解説
アルゼンチン海軍には14機採用されている。1982年に発生したイギリスとのフォークランド紛争では、イギリス艦船に対してエグゾセ空対艦ミサイルを使用し、イギリス海軍の駆逐艦「シェフィールド」を撃沈するなど大きな被害を与え、イギリス海軍に空母機動部隊のフォークランド諸島接近を逡巡させるなど、同機の名前を世界的に有名にした。
※この「アルゼンチン海軍」の解説は、「シュペルエタンダール」の解説の一部です。
「アルゼンチン海軍」を含む「シュペルエタンダール」の記事については、「シュペルエタンダール」の概要を参照ください。
アルゼンチン海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 16:31 UTC 版)
「ヒーアマン (駆逐艦)」の記事における「アルゼンチン海軍」の解説
1961年8月14日、ヒーアマンは軍事援助計画(Military Assistance Program)の下でアルゼンチン政府に供与され、アルゼンチン海軍のアルミランテ・ブラウン(ARA Almirante Brown, D-20)となった。アルミランテ・ブラウンは艦長ホルヘ・ロドリゲス(Jorge Rodríguez)中佐の指揮の下で就役し、さらにコンスタンティノ・アルゲジェス(Constantino Arguelles)大佐の指揮の下で第2駆逐隊(II División de Destructores)旗艦となった。 アルミランテ・ブラウンは現役期間中に国内の演習だけでなく、UNITAS(英語版)をはじめとする外国軍との共同演習にも積極的に参加した。1965年7月にはイタリア海軍のヘリコプター巡洋艦カイオ・ドゥイリオと南大西洋で対潜・対空演習を実施したほか、翌月には遠洋練習航海で訪問した海上自衛隊の護衛艦あきづき(DD-161)、てるづき(DD-162)、むらさめ(DD-107)、ゆうだち(DD-108)とともに「サヨナラ作戦」(Operativo Sayonara)の名で親善対潜訓練を行った。 1975年11月18日にプエルト・ベルグラノ海軍基地(スペイン語版)へ到着した航海が、アルミランテ・ブラウンにとって最後の航海となった。アルミランテ・ブラウンことヒーアマンは1979年12月18日にサンタ・ローザ冶金(Establecimientos Metalúrgicos Santa Rosa)にスクラップとして売却され、1982年に解体された。
※この「アルゼンチン海軍」の解説は、「ヒーアマン (駆逐艦)」の解説の一部です。
「アルゼンチン海軍」を含む「ヒーアマン (駆逐艦)」の記事については、「ヒーアマン (駆逐艦)」の概要を参照ください。
- アルゼンチン海軍のページへのリンク