アルゼンチン海軍へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 23:41 UTC 版)
「ベインティシンコ・デ・マヨ (空母)」の記事における「アルゼンチン海軍へ」の解説
機関室で起きた火災の後、オランダはこの空母をアルゼンチンに売却した。損傷した機関部は、コロッサス級とほぼ同型のマジェスティック級航空母艦で、建造途中で大戦が終結したために建艦中止になっていた空母レヴァイアサンから流用して置き換えられた。オランダにてその復旧工事を行っている最中の1969年3月12日に、この元ヴェネラブル・元カレル・ドールマンはベインティシンコ・デ・マヨと名付けられてアルゼンチン海軍に就役し、その年の8月には工事も完了した。このレヴァイアサンから流用された機関は、ベインティシンコ・デ・マヨに換装された当初より不調だったと言われる。 アルゼンチン海軍は、既にインデペンデンシア(これも元イギリスのコロッサス級空母ウォリアーである)で空母の運用は経験済みであった。インデペンデンシアが1970年に退役すると、24機の艦載機を搭載するベインティシンコ・デ・マヨがアルゼンチン艦隊唯一の空母となった。 艦載機部隊はF9FパンサーとF9Fクーガーから始まり、1972年にA-4Qスカイホークとそれを補佐するS-2トラッカー対潜哨戒機とSH-3シーキングに置き換えられた。さらに1980年から1981年にかけて、飛行甲板面積の増加、アングルド・デッキの延長などの改修が行われ、シュペルエタンダールが搭載可能になった。
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