アルゼンチン軍の侵攻準備とイギリス側の対応
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「フォークランド諸島侵攻」の記事における「アルゼンチン軍の侵攻準備とイギリス側の対応」の解説
1982年3月下旬頃よりアルゼンチン海軍の動きが活発化し、ウルグアイ海軍との軍事演習と称して空母、駆逐艦、フリゲート艦、潜水艦、輸送艦などの移動を開始。空母「ベインティシンコ・デ・マジョ」を旗艦とした第79機動艦隊を陸軍4000名の将兵を載せ、フォークランド諸島へ出撃させる。 イギリス側はこのアルゼンチン側の動きを諜報部などの活動によって察知していたが、その艦隊の明確な動きの情報が当時のイギリス首相マーガレット・サッチャーら首脳部に伝えられはじめたのは3月29日のことであり、アルゼンチン艦隊が明確な侵攻を行うとの情報を入手したのは同31日のことだった。サッチャーは同日の夕方に関係閣僚の招集を行い、機動艦隊派遣の検討を始めるとともにアメリカ大統領ロナルド・レーガンへアルゼンチンの説得の依頼を電報で行ったがレーガンが翌4月1日夜に行ったガルチェリとの電話会談による説得は失敗し、外交による戦争の阻止は不可能な所に来ていた。 3月31日朝、フォークランド諸島の島都ポート・スタンリーの民政庁に駐在していたイギリス民政官のレックス・ハント(英語版)総督の元にイギリス本国から「アルゼンチン軍潜水艦が付近を航行中」という情報がもたらされ、同諸島の在海兵隊部隊による沿岸への監視を強化するが、彼らはこの時点でアルゼンチン軍が本格的な軍事侵攻を行うとは考えておらず、アルゼンチン側のパフォーマンスであるという考えを持っていた。イギリス本国からハント総督の元にアルゼンチン軍艦隊の出撃と本格的な侵攻の可能性が伝えられたのは翌、1日午後でアルゼンチン軍がフォークランド諸島へ上陸作戦を開始するまでわずか6時間前のことであり、この時点でイギリス側のフォークランド諸島における総戦力はイギリス海兵隊隊員79名と数十名の海軍水兵に過ぎず、戦闘機も装甲車両などもなく、艦船も流氷哨戒艇程度しかなかった。 ハント総督らは侵攻の可能性を伝えられてから即座に機密書類の処分と暗号機の破壊を行い、ポート・スタンリーの空港を閉鎖。更にフォークランド諸島内の在留アルゼンチン人17名を逮捕、拘留した。島都同日夜8時ごろにはフォークランド諸島のラジオを通してハント総督自らが非常事態宣言と民政庁において徹底抗戦する旨を島民に伝えた。
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