アルゼンチン領南極の人口と南極生まれの子供
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 01:01 UTC 版)
「アルゼンチン領南極」の記事における「アルゼンチン領南極の人口と南極生まれの子供」の解説
1978年1月7日、アルゼンチンの管理するエスペランサ基地の「フォルティン・サルヘント・カブラル」(Fortín Sargento Cabral)で、基地所在の陸軍分遣隊の長であるホルヘ・エミリオ・パルマ大尉の息子が生まれ、エミリオ・パルマ(Emilio Palma)と名付けられた。その後南極圏では10人以上が生まれているが、彼は人類史上もっとも南で生まれた人間であり、かつ最初に南極大陸で生まれた人間でもある。アルゼンチン政府はこの出産を領有権主張に利用することも意図し、母親のシルビア・モレロ・デ・パルマを妊娠7カ月で基地へと空輸している。これは前年の1977年に南極を自ら訪問して領有権を主張したチリのアウグスト・ピノチェト大統領への報復とされる。対抗してチリも妊婦を南極におくりこんで1984年にフアン・パブロ・カマチョ(Juan Pablo Camacho)を出産させて「真の南極生まれの子供」であると主張した。 1991年の時点で、南極のアルゼンチン基地では合計142人の「常住住民」がおり、うち未成年が19人を数えた。ここで「住民」とされるのは南極生活をする軍人や科学者の家族、および2年以上南極で生活している科学者らが含まれている。うち男性は121人で女性が21人であり、ほとんどはエスペランサ基地に住んでいた。エスペランサ基地では彼らのための学校やラジオ局も成立している。1998年から1999年にかけての期間、アルゼンチン領南極で冬を越した人口は165人であった。
※この「アルゼンチン領南極の人口と南極生まれの子供」の解説は、「アルゼンチン領南極」の解説の一部です。
「アルゼンチン領南極の人口と南極生まれの子供」を含む「アルゼンチン領南極」の記事については、「アルゼンチン領南極」の概要を参照ください。
- アルゼンチン領南極の人口と南極生まれの子供のページへのリンク