紀元前7世紀とは? わかりやすく解説

紀元前7世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 13:37 UTC 版)

千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前8世紀 - 紀元前7世紀 - 前6世紀
アッシリアの世界帝国。強力な軍事力と過酷な統治体制でアッシリアは最初の「世界帝国」を樹立した。画像は都ニネヴェの北宮殿を飾っていたアッシリア王アッシュールバニパルの「獅子狩り英語版」浮き彫り(ロンドン大英博物館蔵)。
ジビエの遺宝。イランのクルディスタン地方ウルミア湖沿いのジビエ(遺跡)英語版から発見されたもので、マンナエ王国かメディア王国の時代に属するものと推定されている。画像は黄金製の羊頭型リュトンテヘランレザー・アッバシー博物館英語版蔵)。
ヌビアのピラミッド第25王朝の崩壊とともにエジプトを離れ故地へと南下したヌビア人はこの地に幾つものピラミッドを造営した。画像はヌビア上流のナイル西岸のヌリ(ヌビア)英語版にある王一族のピラミッド。
南アラビア文字。この時代のアラビア半島イエメンにはサバ王国があり、アッシリアとも交流があったことが判明している。画像はセム系サバ語を南アラビア文字で記録した月神アルマカへの奉納文(ルーヴル美術館蔵)。
スパルタ第二次メッセニア戦争メッセニア人に勝利したことでスパルタは厳しい軍律を定める国民皆兵の社会を確立した。画像は現在のスパルタで、前景に古代の遺跡を、中景に新市街スパルティを、後景にタイゲトス山を望むことができる。
騎馬民族スキタイ。スキタイはユーラシア中央部に拠点を持ち交易や略奪を通じてオリエント諸国に大きな影響を与えた。画像はアゼルバイジャンミンゲチェヴィルで発見された黄金製動物意匠のベルトの留め金。
ハルシュタット文化。ヨーロッパは青銅器時代から鉄器時代に移行しつつあった。画像はオーストリア南東部の墳墓で発見された青銅製の「ストレットヴェクの祭式馬車英語版」で女性像を中心に多くの人物が置かれている(グラーツのヨアネウム博物館蔵)。
神武天皇。『日本書紀』『古事記』の神武東征の記録によると日向高千穂から出立し瀬戸内海を経て大和に入り、橿原宮で即位し初代の天皇になったとされる。画像は月岡芳年『大日本名将鑑』の金の鵄(とび)を従えて敵を圧倒する神武天皇。
道臣命

(きげんぜんななせいき、きげんぜんしちせいき)は、西暦による紀元前700年から紀元前601年までの100年間を指す世紀

出来事

紀元前700年代

紀元前690年代

紀元前680年代

  • 紀元前689年 - アッシリア王センナケリブのバビロニア遠征。バビロンは陥落しアッシリアの直接支配下におかれる。
  • 紀元前687年頃 - リュディア王カンダウレスを倒したギュゲス英語版が王となり、メルムナデス朝英語版が成立。
  • 紀元前685年 - 桓公が君主となり、管仲を宰相に迎える。
  • 紀元前685年頃 - ギリシアのメガラ人により植民市カルケドンが建設される。
  • 紀元前683年 - アテナイのアルコンの任期が10年から1年に限定され、翌年クレオンがその任期で職務に就く。
  • 紀元前681年- アッシリア王センナケリブが暗殺される。王位継承争いを制した王子エサルハドンが即位。

紀元前670年代

紀元前660年代

紀元前650年代

紀元前640年代

紀元前630年代

  • 紀元前639年 - 襄公による鹿上の会盟・盂の会盟。
  • 紀元前638年 - 宋の襄公と成王が泓水(現:河南省柘城県)にて激突し、楚が大勝する(泓水の戦い)。
  • 紀元前636年 - 重耳が亡命19年の後即位し、文公となる。
  • 紀元前635年 - エジプト王プサメティコス1世アシュドッドを陥落させる英語版
  • 紀元前632年 - 文公が率いる晋と楚が城濮(現:山東省西部の濮県の南)にて激突し、晋が大勝する(城濮の戦い)。
    • この勝利により晋の文公は践土の会盟を行い覇者となる。
  • 紀元前630年頃
    • キュロン英語版アテナイアクロポリスを占拠し僭主の地位を得ようとするが失敗し殺害される。
      • キュロン殺害を促したメガクレスとアルクマイオン一族は追放され、これが原因でアテナイとメガラの間で戦争が起こる。
    • リビアの植民都市キュレネがティラ島のギリシャ人によって建設される。

紀元前620年代

  • 紀元前627年 - 秦と晋が殽の戦い中国語版で激突し、晋が勝利する。
  • 紀元前627年頃
  • 紀元前625年頃
  • 紀元前624年 - 秦と晋が王官の戦いで激突し、秦が勝利する。
  • 紀元前623年 - 秦と晋が新城の戦いで激突。秦の穆公が西戎を制圧し、西戎の覇者となる。
  • 紀元前622年 - エルサレム聖殿で大祭司ヒルキヤが律法の書を発見、それに基づいてユダ国王ヨシヤが「申命記改革」を行う。
  • 紀元前621年 - 秦の穆公が死去し、177名の殉死者が出たことで、秦の国力が低下する。
  • 紀元前621年頃 - ギリシアのアテナイでドラコンが法典を成文化する。
  • 紀元前620年頃 - ギリシアのコリントスで「黒絵式」陶器が発明される。

紀元前610年代

紀元前600年代

遺物

  • フラッド・タブレット英語版:現在のイラクで紀元前7世紀頃に記された。[1]
    フラッド・タブレット。大英博物館所蔵。

人物

オリエント世界

南アジア世界

中国(周・春秋時代)

地中海世界

ギリシア

王政ローマ


出典

  1. ^ マクレガー 2012, p. 155「16 フラッド・タブレット―洪水を語る粘土板」

参考文献

関連項目


紀元前7世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 19:47 UTC 版)

新アッシリア帝国の軍事史」の記事における「紀元前7世紀」の解説

紀元前694年 センナケリブエラム攻撃するエラムは、アッシリア軍のいなくなったバビロン攻撃した 紀元前693年 ディヤーラー川戦いアッシリア軍はエラム強襲したが、バビロニア反乱知らせを受け、やむなく撤退する 紀元前692年 ハルル戦いエラム人、バビロニア人、カルデア人アラムザクロス諸部族連合軍が、アッシリア軍を撃退する 紀元前691年 大損の上に、センナケリブエラム勝利するその上でバビロン反乱鎮圧した 紀元前681年 センナケリブ2人の息子殺される別のエサルハドン争い制してアッシリア王になる 紀元前679年 エサルハドンの軍が、キンメリアスキタイ連合軍を破る 紀元前679年 エサルハドン部隊がArzaniの街を占領しエジプト国境達す紀元前676年 増大するイラン国力対抗するため、エサルハドン攻撃開始する 紀元前675年 エジプト攻撃するが、撃退される 紀元前671年 アッシリア軍による再度エジプト攻撃成功する 紀元前669年 メンフィスアッシリア軍の略奪を受ける 紀元前668年 アッシュルバニパルエサルハドン跡を継ぐアッシリア王としてメソポタミア以外の地域において国境広げるのは、彼が最後となる 紀元前665年 メディア対する、10年に及ぶ遠征が始まる 紀元前665年 エラムバビロン攻撃するが、失敗に終わる 紀元前665年 エラムバビロン攻撃するエジプト同時にアッシリアに対して攻撃開始するアッシュルバニパル編成した大軍により、エラム攻撃撃退される 紀元前663年 アッシュルバニパルエジプトメンフィス包囲解き、南のテーベ破壊する 時期不詳(あるいは紀元前655年か) アッシュルバニパルエラム軍を、ウライ川の向こうスーサ平原まで追いやる 紀元前653年 メディア侵入が、スキタイ攻撃により止まる 紀元前652年 アッシュルバニパルの兄、シャマシュ・シュム・ウキン治めバビロン反乱する 紀元前651年 アッシュルバニパルエジプト諦めエラムによる攻撃への対応に集中するこの頃から、アッシリア軍に疲弊兆候現れ始め紀元前648年 バビロン陥落バビロンは完全に破壊されシャマシュ・シュム・ウキン死亡 紀元前647年 スーサの戦いアッシュルバニパルによりスーサが完全に破壊される 紀元前639年 アッシュルバニパルが、エラムの地を荒廃させるエラム王朝その後復興することはなかった アッシリアの滅亡 紀元前635年 紀元前651年以降野放しだったエジプトアシュドドを襲う 紀元前631年 アッシュルバニパルが死ぬ。以後アッシリア衰退加速する 紀元前622年 ユーフラテス川西側アッシリア遠征が行われた可能性があるが、アッシリアにおける記録欠落は、アッシリア敗北を示すのかもしれない 紀元前616年 紀元前626年バビロンとなったナボポラッサルが、アッシリア軍をバビロニア地方から追い払う 紀元前615年 メディアアッシリア侵入アラプハ占領する 紀元前614年 アッシリア最初首都だったアッシュルが、キュアクサレス率いメディア軍によって略奪され紀元前612年 ニネヴェの戦いメディアバビロニア連合軍によって3か月包囲された後、ニネヴェ陥落破壊される 紀元前609年 メギドの戦いエジプトアッシリア救援試みたが、失敗に終わる 紀元前609年 ハッラーン陥落新たにアッシリア首都定められていたハッラーンが、メディアバビロニア軍の進撃により破壊される 紀元前608年 最後アッシリア王アッシュル・ウバリト2世消息絶たれ、ここに新アッシリア帝国は完全に消えた

※この「紀元前7世紀」の解説は、「新アッシリア帝国の軍事史」の解説の一部です。
「紀元前7世紀」を含む「新アッシリア帝国の軍事史」の記事については、「新アッシリア帝国の軍事史」の概要を参照ください。

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